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今日は厄日だとアデルは思った。
「アデルさんアデルさんっ」
「……」
「聞こえてますよねー?」
「聞こえてません。もう本日の営業は終了しております」
モルガネがずずいっと顔を近づけてきた。
花のような芳香が鼻をくすぐる。
女性特有の丸みを帯びた頬の艶やかさを見つめて、アデルは現実逃避した。
「お呼び出しですよ」
本日二度目の研究の中断である。
(せっかく絹のハンカチを染めていたのに)
ロゼッタの薄ピンク色に染まりかけた絹のハンカチは、片側には奇麗に色が付いている。
が、反面は白いままだ。
もうすぐ浸透するはずだったのに。
アデルは不機嫌の極みだった。
仕事中ならばいざ知らず、今は休日のまっただ中だ。
アデルは不機嫌を隠すこともせずに、早口でまくしたてた。
「またですか!? 今度はどこの部署です? こんなに休日のさなか、引っ張り出さなくてもいいんじゃないですか? どこの誰が呼んでるのか知りませんけど、なんて空気が読めない人なんだろう。正直、いい加減にして欲しいな。今すごーく良いところだったんですよ。こんな研究だってね、そりゃあ趣味だけども、遊びじゃないんです。というか何度も言ってますけど、今日はあたしは職場にいるってだけで、業務時間じゃないんです。困るなあ、そこんところしっかり考えてもらわないと」
「お呼びなのは、大聖女様ですが」
「行きます」
アデルは簡単に掌を返した。
「わざわざ、ここへ貴方を呼びに来た私への一言は?」
「ありがとうございます、モルガネ様」
「よろしいです」
モルガネはにっこり笑って、大聖堂の本殿に行くようにアデルに告げた。
大聖女様の私室である。
「ふわあ……夢のようだ……」
何かやらかしてしまっただろうか。
いや、そんなことは今問題ではない。
(あの大聖女様本人と一対一で話す機会を得た!)
ということこそが、アデルの中では最重要事項なのだった。
(どうしよう。もしやアデルと呼ばれてしまうのではないか!?)
ふわふわと雲の上を歩くような足取りのアデルは、本日二度目の大聖女様にまみえる機会に浮かれていた。
「アデルさん? ちょっと視線がおかしい気がするけど……ねえ? 大丈夫?」
その後、モルガネなにやら小声で付け足していたような気もするが覚えていない。
(あの大聖女様が! 直々に! あたしを! ご指名! ふおーっ!)
と、興奮冷めやらずのアデルの耳に、モルガネの忠告が届くわけなどなかった。
研究に没頭する人間というのは、過度に集中してしまう性質がある。
つまりは周りが何を言っていても、何かのことを考えているときは音が耳に入ってこない。
先天的な天性の資質、才能と言ってもいいかもしれない。
そんな自分の長所を、この日アデルは初めて痛烈に己の【欠点】だと認識することになった。




