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聖女たちの着る服はすべて同じだ。
単調ながらも、一緒になって祈りを捧げる姿は何とも荘厳だ。聖堂の中は厳かな空気に満ち、讃美歌の美しいハーモニーが響き渡る。聖女たちはその合唱も仕事の内だ。アデルも心を込めて讃美歌を歌った。
大聖女ユーリンヒッテも、壁の花の聖女たちの前に立ち、方向を同じくして祈りの歌を歌う。
(うわあああ……、ユーリンヒッテ様、御髪さえも恰好良いッ……白髪さえも優雅とはどういうことなんだ……老いすらも従えるユーリンヒッテ様……すごい)
アデルは心からの憧れを胸に、大聖女ユーリンヒッテの後ろ姿に目を奪われていた。
後頭部さえ尊い。
しかし、未だアデルが気づいていなかったことが一つあった。
このとき、式典の主役が、讃美歌の響く中、聖堂の中央に姿を現していた。
仕事に熱心な聖女たちは、誰も一言もしゃべらなかった。
しかしながら不思議なことに、聖堂全体の空気が静かに変質し始めた。
口に出さずとも、少しばかりのため息や驚きの瞬きや、そんな静かなさざめきが聖女たちの間に広がっていた。
(ユーリンヒッテ様は何を食べていらっしゃるのだろう……雲とかだろうか……?)
と、明後日の方向を向いている聖女は一人だけであった。
言うまでもなくアデルのことだ。
「ミシェル王子、前へ」
と、大聖女ユーリンヒッテが厳かに言った。
その時初めて、ノエルは大聖堂の中央に目を向けた。
「ミカエル」という天使の名前に形容される男の優美な出で立ちが、全ての者の視線を集めていた。
ミシェル王子は聖職者たちに囲まれながら、その場で気高く神聖に微笑んでいた。
(ほぉん。あの王子殿の誕生日だったか)
黒いベールごしであるのをいいことに、アデルはミシェルをじろじろと眺めた。
確かに美しい男だ。
いや、美しすぎるといっていい。
強固な理性と鉄壁の貞淑さを持ち合わせた、神の使いが聖女なのだが――そんな聖女たちが呆けたように彼を見ているのが分かった。
(まあ王族なんだから、美貌は武器になるんだろうな。人心を掌握できる)
王子はまだ成人したての若者と聞いていたが、この調子だと将来有望だろう。
アデルは国民として好ましくこの王族を見守ることにした。
王子の後ろから護衛の騎士たちも入ってきた。
その中にも特別、傲岸不遜な顔をした者がいる。
燃えるような瞳に赤茶色の髪。鋭い目は獲物を狩る鷲のようで、剣が良く似合った。
ミシェル王子とは対照的だ。
アデルは大聖女の朗々と謳うような祈りの言葉に聞き入っていた。
ユーリンヒッテに注がれていた王子の視線がふとした瞬間、ベールで顔を隠したアデルに静かに留まった。
あたかも蝶が花に止まるように、そっと。
(んぁ?)
熱を帯びた、宝石のような王子の瞳がじっとアデルに注がれる。
(どこ見てんだ王子)
ベールごしに目が合った気さえする。
珍しい虫でもいるのかもしれない。
アデルはよく分からずに、ベールの上をさりげなく手で払った。
(何もいないと思うんだが……)
ユーリンヒッテの静かな声が聖堂に響いた。
「ミシェル王子の生誕に携えて――」
式典が進むにつれて、アデルはたびたび感じる視線の熱を覚え始めた。
アデルは恐る恐る周囲を見渡したが、いや、どう考えても。
(王子殿、なんでこっち見るんだ!?)
やっぱり幻の蝶が止まっているとか、あるいはベールが小麦粉で汚れているとか、そういう可能性を百通りは考えたのだが、アデルの予想はことごとく外れているようだった。
王子の視線はどこか深い興味と好奇心に満ちていた。時折ベールを暴くように鋭く、かと思えば甘えるようにきらめく。
緊張するし、何となくいたたまれない。
(キョロキョロしないでユーリンヒッテ様だけを見ろ、王子殿!)
アデルの心中も虚しく、何とか式典が終わった。
(なんか疲れた……)
王子が退席し、ユーリンヒッテが出る。
聖堂のドアが閉まると、聖女たちは皆、静かに溜息をついた。
「目が合ったわ……」
聖女のうちの一人が言った。
「私のことを見ていらっしゃった」
「いいえ、それは貴方の勘違い。私よ」
アデルの隣で歌っていた聖女が言った。
そしてアデルは思ったのだった。
(あー、美しいものを見ると人間こうなるんだな)
と。
そして、もれなく自分も毒されている。
自分もこの女たちと同じだ。
おそらく王子は壁の花の何かに気を取られたのだろう。
あの宝石のような瞳にじっと興味深そうに覗き込まれたら、常人では精神に多少なりとも異常をきたしそうだ。
(馬鹿らしい勘違いか。にしても、あんなに集中できない王子ってのも、幻滅だな)
アデルは尊敬という意味において、仕事のできない人間はあまり好きではない。
(グラタンあるかな)
と思いながら、アデルは食堂を恋しく思った。
花の祭典なのだから、特別メニューがあるかもしれない。
アデルは気を取り直して、食堂へと直行した。午後からは研究も捗るだろう。




