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まさかの再会

広大な敷地にある大聖堂の周りは、堅固な塀に囲まれている。まるで要塞だ。しかし、ここは聖女たちの暮らす聖域でもある。

宿舎に帰ってきたアデルは、寮内の食堂で、遅い夕食をとっていた。

食堂といっても、絢爛豪華な内装は貴族の屋敷と何ら変わらない。

ただし、公爵家に比べれば劣る。

アデルが養子になったヴァレリアン公爵家は、国中でも指折りの大貴族なのだから、致し方ない。

アデルが食堂名物、ミルクたっぷり旬の野菜のチーズがけグラタンを噛み締めていると、声がかかった。

「あらぁ？　辛気くさいと思ったら、また一人で食べてる平民上がりがいるわぁ」

「ん？」

小柄なアデルは、もしかしたらまだ、あわよくばもう少し、背が伸びるのではと淡い期待をしている。

背と反比例するように態度は大きいアデルは、しれっと縦ロールの巻き髪の令嬢に向かって口を開いた。

シルヴェーヌという公爵令嬢だ。

これも指折りの、なんとかという貴族だったが、忘れてしまった。

「何の用？」

「聖女たるもの、もっと丁寧にお話なさい！」

「なにかごようじでしょーか」

腰に手をあてて、食堂の机の前に立ったシルヴェーヌはフンッと鼻を鳴らした。

「残業なんかするからそんな残ったグラタンなんかしか食べられないのですわ。わたくしのように手際よく終わらせば、みなさんとお喋りしながら好きなものを食べられますのに」

シルヴェーヌは挑発するようにアデルを見下ろした。

金髪の巻き上げた長髪を大きなリボンで結い上げている。目鼻立ちのはっきりしている派手な美人だ。

両端にも後ろにも取り巻きの令嬢たちがいる。

シルヴェーヌを慕う彼女たちはいつも、くすくす、と音がたたないように笑う。

「ねえ、皆様」

「ええ、そうですわね。くすくす」

「実にその通りですわ、くすくす」

アデルは、うわあ、と思いながら、スプーンについたチーズを舐め取った。

「私だって残りたくて残ってるわけじゃない。王子やら騎士団長やらがわけのわからん書類を出してくるから手間取るんだ」

「ミッシェル様を愚弄するんじゃないわよ！」

「ん？」

「今あなたがお話していた第三王子ミッシェル様に決まってるでしょう！？」

アデルは、早く風呂に入って寝たいな、と思っていた。

「ねえ、セルヴェール」

「シルヴェーヌですわ！　胃薬みたいな名前で呼ばないでちょうだい！」

「ごめんごめん」

アデルはむぐむぐグラタンを食べながら言った。

「残業、心配してくれたんでしょ。ありがと」

シルヴェーヌは、未知の生き物に遭遇したような表情をしてアデルを見ていた。が、すぐに茹でダコのように真っ赤になった。

「な、なっ……！　アンタ、私は由緒正しい公爵の……くっ、覚えてなさい！」

シルヴェーヌは取り巻きと共に走って消え去った。

あのシルヴェーヌという女はことあるごとにアデルに絡んでくる。

正直、放っておいてもらって全くかまわないのだが、いつもツンツンしながら話しかけてくるのだ。

魔力量もアデルと同じくらいだったはずだ。

アデルにしてみたって、平均よりはずっと、魔力のある方だから、シルヴェーヌだって良い資質を持っているのだろう。

聖堂は女性に箔をつける。

大聖堂には多くの聖女がいるが、ここに集う者は全て王家による直々の選抜を受けている。

ほとんどが貴族だがまれに平民もいる。

その「まれ」がアデルだ。

聖女といえばきこえはいいが、実際は魔力探知に特化した女性精鋭部隊といったほうが正しい。

昔は男もいたらしいが、聖堂の風紀が乱れた上にクーデターのようなものが起こってしまい粛清され、それからは女性のみを集めるようになったらしい。

アデルがこの大聖堂を出るのは、仕事の出張か、届けを書いた帰省や外出の際か、そうでなければ結婚したときだ。

（まあ、結婚はないな）

グラタンの皿を洗い場に下げながらアデルは思う。

今は貴族籍とはいえ、平民上がりのこんな男勝りの女をわざわざ娶ろうと考える男は無いに等しい。

さもなければ、それは公爵家との縁故を目当てにしている下心のある者だ。

それでは、せっかく拾ってくれた公爵夫妻に申し訳ない。

世の中、金だと言い切るつもりは毛頭無い。

が、【地獄の沙汰も金次第】という格言もおよそ間違ってはいないのだ。

かつて領地の資金繰りのために、生まれながらの伯爵の身分を捨てた過去を持つアデルには、それが骨身にしみていた。

だからこそ、こうして自分の力で稼いだ金を貯めることに快感を覚えている。

今更、貴族のどこぞのお坊ちゃんと結婚して、食い扶持が稼げなくなるのは嫌だった。

アデルの趣味は、詩集でも刺繍でもなく、貯金だ。

これまでの５年間で貯めに貯めた給金は、金庫に保管してある。

聖女でこの待遇なのだ。

大聖女ともなれば……と想像するたび、アデルはにんまりしてしまう。

だが、いつか大聖女になろう、と思わないのがアデルだ。

右腕と呼ばれるような、聖女になりたい.

ナンバーツーという絶妙に現実的な目標。

そして、それを叶えるべく努力するという、この地味極まりない長所が、アデルのアデルたるゆえんだった。

大聖女の側近ともなれば、かなりの能力のある者でなければ務まらない。

そのため、来たる未来のためにも、アデルは日々こつこつと仕事をこなしていた。

ひょんなことから夫妻の養子となったアデルは、結婚せず、聖女としてここで一生を終える予定でいる。

公爵も夫人のレベッカもアデルを大切にしてくれて、不足はないかと気遣ってくれる。

屋敷に来ないかとも誘ってくれる。

だが、貴族に生まれながらも平民となり、それから公爵家の養子となって、聖女に成り上がる波乱万丈の人生を送ってきたアデルだ。

正直なところ、何も生活に困ってはいない。

ここでも普通に働けば、メイドだったときの給料の倍は出るのだ。

アデルは自分を聖女として見出してくれたヴァレリアン公爵家に恩返しをすると決めている。

公爵家は金銭は湯水のように湧き出てくるような場所だから、せめて誉れをあげたかった。

聖女に選ばれてからのこの５年、アデルは仕事に没頭してきた。

最初こそなりゆきで与えられた職だったが、やってみれば案外にそれはアデルに合っていた。

式典に参加して祈りを捧げ、諸外国との懸案事項の書類に大聖堂としての見解を書き入れて回し、王家からの訪問客があれば対応し、自国の民が困っている案件には裁判所を通して大聖堂の見解を通達した。

100年前ごろは風呂は魂が汚れるといって規制されていたらしいが、革命が起きてからは大聖堂にもシャワーが導入された。

アデルはシャワー室で、ぬるま湯を浴びながら考える。

公爵夫妻は、平民のアデルを一度も見下さなかった。

ふと、爵位を売って農民となった両親の顔が思い出された。

政治は下手だったが、なぜか野菜作りにはまった気の良い人たちだった。

（近々また仕送りをしよう）

あまり多過ぎても送り返されてくるので、アデルは両親に決まった額を定期的に送っている。

脱衣所で体を拭き、夜着に着替えると、１日の疲労がさっぱりと流れる気がする。

まだ何人か残っていた女たちが、きゃらきゃらと笑い声をたてている。

「明日、ミッシェル様が来るそうよ！　18のお誕生日でご成人されるから大聖女様にご報告にいらっしゃるのですって」

「やだぁ、あたし非番だわ！　でもご尊顔を拝みたい。こっそり出勤しようかしら」

「こっちも寿命が延びるわよね」

「ええ、肖像画でしか拝見したことがないもの。きっと美しくお育ちになられてるわ」

まるでアデルの存在はないかのように彼女たちはあけすけに喋る。

ミッシェル。

ああ、あの字の綺麗な王子様か。

アデルは明日の出勤に思いを馳せた。貴人だか大道芸人だか知らないが、特別業務が増えるのは勘弁してほしい。

前々からならともかく、こういうときはイレギュラーな指令が降ってくる率がものすごく高いのだ。

まあ、１日頑張れば休みだ。

アデルは気合いを入れた。