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聖女アデルの清らかな結婚  作者: 丹空 舞


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13/13

11 (終)

「そもそも、王子なんて初耳だ。そのへんの貴族とは訳が違うじゃないか」

「……嘘は言っていないよ」

「それに、あのときの子どもはどうみても10歳かそこらだった」

「あの頃の僕はひ弱だったからね。背も小さかったけど、好き嫌いを無くして、よく運動をして、しっかりと睡眠をとるようにしたら、ぐんぐんと育ったよ。乳母も母様も驚いていた」


アデルはへの字に口を曲げた。

5年も前の他愛もない口約束を、よくもまあ覚えていたものだ。


「とにかく、結婚はできない。約束を破ってしまい、悪かった」

アデルは律儀に頭を下げた。

約束は約束だ。

子ども相手だと思って、軽い気持ちで約束なんてするんじゃなかった。


「どうしましょうねえ」


のんびりと呟く大聖女ユーリンヒッテの傍らで、貴人の美貌は青ざめていた。


「もしかして……他の男が?」

地を這うような声で呟くと、ミシェルは光を失った瞳をしてアデルを見た。


「まさか」

この王子様は何を言っているんだろうか。

アデルは痩せぎすの自分の体を見た。

色もとりわけ白くないし、見目麗しい令嬢や姫君とは程遠い。


「恋愛や結婚なんて、あたしみたいなのには一生縁が無いと思いますよ」

「つまり? 特定の相手はいないんだよね?」

言葉が被さりそうなくらい早口でミシェルが言う。

アデルもすげなく答える。

「いるわけないでしょう」


これだけ仕事に勤しんで、休日は研究に邁進しているのに。

結婚の約束どころか、男性とお付き合いらしいお付き合いをしたこともない。

聖女といえど、純潔を守る必要など今時無いが、わざわざ休日に必要のない縁談を探し回って無駄な体力を使うことがあろうか。


生殖の枠組みから外れたって、人は人として、他人の役に立つことはできる。


アデルは大聖女ユーリンヒッテに向かって、宣言した。


「私は大聖女様と共に神殿で生きるつもりでおります」

「あらぁ」


ユーリンヒッテは微笑んだ。


「貴女に結婚の意思はないと?」

「はい」

「我が甥ながら、この子はとっても女人に人気があるのよ。この見た目でしょう」

「お察し致します」

「相手がこの子でも?」


ユーリンヒッテは僅かに口角をあげた。

「先日、国をあげての剣技大会で優勝したときには国中の女性から花やら菓子やら手紙やらが山のように届いたの。貴族も平民も関係なく、娘たちはこの子の絵姿を飾っているわ。ミシェルと一度だけでも間近で話をしたいと願う国民はたくさんいるのよ」


「それでは余計に私のようなものが隣には立てません。見ての通り、私には可愛げも色気もなく、あるのは仕事と研究への情熱だけです」

「まあ……」

「これでは天使様を誑かした魔女と噂されてしまいます。ミシェル様はご乱心のようです。国民が納得するような完全無欠の女人を探されるのが賢明かと」


黙っていたミシェルが口を開いた。


「それでは約束が違うね、アデル?」

柔和だが、有無を言わせぬ権力者の威圧感があった。

「あなたは一度した約束を違えるような人だったのかな」


ピリッとした緊張感がはしる。

さすがに王族だけのことはある。

しかし、何を気に入って自分を娶りたいのかはついぞ謎のままだが、ここで流されるわけにはいかない。

アデルはゆっくり瞬きをして息を吸った。


「その点に関しては、本当に申し訳ないと思っています。ですが5年経ち、大聖女様のお膝元で働けることに生き甲斐を感じているのも事実なのです。どうかご理解下さい。結婚以外でしたら、このアデル、微力ながら殿下のためにできることに最善を尽くしましょう」


「そうねえ……ここまで言っているのだし、ミシェル、この聖女は貴方にはどうにもできないんじゃないかしら」

大聖女ユーリンヒッテは、言外に『諦めろ』と助け舟を出してくれた。

アデルは大聖女への敬愛を更に深くした。


美貌の天使は、柔らかく眼尻を下げた。

ただし、蜜色の瞳にはどことなく妖しげな光が忍んでいた。


「そう……何でもする?」


ぞくり、と背筋が泡立つような感覚。

だめだ、流されてはいけない。

あの貴人の瞳が悪い。

どこが天使だというのか。

美貌の影に隠して、この貴人はとてつもない劇薬なのではないか。毒か薬かは分からない。

まるで兇悪な悪魔とも渡り合えそうな危なさを孕んでいる。

直視しないようにして、アデルは己を奮い立たせた。


「私に出来ることであれば」


蜜色の瞳をじっと見返す。


(こいつ、本当に年下か?)


成長した青年は鋭利な美しい刃物のようで、とうていあのときの純朴そうな庇護欲をあおる少年には見えない。


ユーリンヒッテが、

「……夜伽を命じて既成事実を作るのは駄目ですよ」

と釘をさした。

「さすがに大聖堂は子育てには向いていませんからね」


「まさか。伯母様、僕がアデルにそんなことを命じそうに見えますか?」

「そうでなければこのようなあけすけな忠告などしません」

「兄様達はともかく、僕はそんな悪趣味じゃありませんよ」


アデルは遠い目になりながら思った。

英雄色を好む、と言うが、好み方もそれぞれであると。


少なくとも、歴々のご令嬢を差し置いて、アデルに目をつけて執着するのは、悪趣味以外の何物でもないと思う。


「では、第3王子として、大聖女ユーリンヒッテ様に請願しましょう。我が王立騎士団に魔道具の研究部隊を創設したい。先に見せたような魔道具を、新しく創り出していくのだ。貴重品である魔道具を、量産品に変える。これがうまくいけば、我が騎士団は比類無きものとなるでしょう」

「つきましては、『優秀な』『仕事のできる』聖女を何名か派遣して頂きたい。勿論、生活のできる快適な拠点を準備しよう」


ああ、と天使はアデルを見やり、にこやかに付け加えた。


「ちなみに、うちの騎士団の食事は王宮のシェフが作っているんだけれどね。オーブン料理が素晴らしく上手いんだ。彼の弟子が大聖堂に来ているね……そうそう、グラタンは絶品だよ。魔法のように舌の上で溶けていって……ガブリエルなんか3杯はおかわりするんだ」


無邪気に笑うミシェルは、絵面だけ見れば宗教画の大天使に相違ない。


いや、考えすぎだ。グラタンの話なんて、たまたま出ただけだろう。まさか一介の聖女の好物など、王弟殿下が知るはずはない。


アデルはふーむと唸った。

魅力的だ。実に魅力的だ。

魔道具の研究も面白そうだし、グラタンも美味しそうだ。


「特別任務になりますからね。給料は弾みましょう。研究関連の書籍の購入は、全て王宮が補助金を出しますし……」


「大聖女様! 私アデルに行かせて下さい!」



我慢できず、アデルは勢い良く手を上げた。

ユーリンヒッテは苦笑して頷く。


結局、この甥っ子の思い通りになったのだろう。末恐ろしい。


第3王子ミシェルは満足げに、柔和な笑みを上品に浮かべていた。



END

何となく続きそうですが、いったん完結です。

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