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パタパタパタ……
「アデル嬢!」
「どうしてこんなところに?」
「あの、その、実は……今は、僕も、貴族で……」
「養子になれたの!? よかった。しっかり食べられている? 大きくなったら君が領民をお腹いっぱい食べさせてやれるように頑張るんだよ」
「……うん」
ザーッ……ザザ、ザッ
「アデル。僕、ミシェルっていうんだ。5年! 5年待ってて。アデルをちゃんと迎えにいけるように、僕は強くなるから」
「ふふ? ミシェルが迎えに来てくれるの。それは楽しみだわ」
「本気だよ。ちゃんと待っていて、アデル。僕が君を守れるくらい、この国の誰よりも強くなったら……僕と結婚して」
「結婚」
プツッ……ザ、ザー、ザッ
「あっはっは! それはいい。そのときはこの聖女アデルが、君のお姫様になろうじゃない」
「本当! 絶対だからね」
ブツッ!!
太い紐が切れるような音をたてて、過去が消え去った。
「あーはは、は、うん、なるほど、そうか、あのときの……」
アデルは薄っすらとした記憶を掘り起こした。
あれは、アデルが聖女に就任することが決定したパーティーだった。
「迎えに来たよ? 僕のお姫様」
魅惑の甘い微笑が、真っ直ぐにアデルに飛んで来る。
蜜色の瞳はアデルを映し、ロゼッタのような唇はどこの女人よりも艶っぽく蠱惑的だ。
天使の誘惑に、反射的にグッと心臓を揺らされそうになったが、職業人・アデルは冷静だった。
「ちょっと待ってくれ。姫って誰のことだ」
「アデルに決まってるじゃないか。さあ、結婚式はいつにしよう? アデルの誕生日にしようか。いや、そうすると、記念日が重なってしまうな……毎月楽しみがあったほうがいい。どうだろう、あえて夏まで待つというのは」
「待ってくれと言っている」
「どうしたの?」
「いきなり、結婚と言われても、困る」
ミシェルは何を言われてるか分からない顔でアデルを見た。こてん、と小首を傾げる。
「どうして困るの?」
好かれることに一片の疑いもない。
愛玩用のペットの猫が餌を待つのと似ている。
確かにこの天使のような男――大聖堂の全ての聖女よりも、美しく気高い――に、男だろうと女だろうと、好かれて困るような者は存在しないだろう。そう、アデルを除いては。
「あたしは仕事がしたいんだ」
アデルは正直に言った。
「ユッ……ユーリンヒッテ様の右腕となるのが、ワタクシの夢なんです!」
「あら、まあ」
※この辺りの経緯を詳しく知りたい時は、ヴァレリアン公爵夫人の穏やかな復讐 をご参照下さい。




