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大聖女様の私室のある本殿に出入りできるのは、上級の聖女だけだ。
アデルは下級の聖女に区分されているので、本来ならば出入りすることさえ叶わない。
それだけでも畏れ多いのだが、アデルが案内されたのは、本殿の更にその奥だった。
(うああ……目の膜に焼き付けておこう)
視神経に染みこませるように、アデルは瞬きをせずに歩こうと心がけた。
色とりどりのステンドグラスや壁画。
美しい装飾は、歴史と神秘の彩りを聖堂に与えている。
案内してくれた聖女は、黒地に金の縁取りのある特別な衣を身にまとっている。
上級聖女の証だ。
上級聖女は本殿に出入りして、大聖女の仕事の補佐や世話をする。
アデルにとってみれば、大聖女様は勿論崇拝しているが、上級聖女にも憧れがあった。
数少ない精鋭の、選ばれし魔力持ちだ。
上級聖女が大きな扉の前で立ち止まり、ノックをした。
「お連れしました」
「お入りになって」
扉の向こうから聞こえてきた、上品だがはっきりと響く声。
(わああああ!)
嫌がおうにもアデルの心臓はバクバクと鼓動を速めた。
扉が開かれ、大聖女の柔和だが意志の強そうな瞳が、アデルを出迎えた。
「あなたがアデルね」
「は、は、はははいっ!」
興奮のあまり、後半はため息のようになってしまった。
まさか自分の名前を呼ばれると思っていなかったアデルは、大聖女様の前へ歩み出るとき、動揺のあまり自分で自分の足を踏んでしまったくらいだった。
「今日はお休みだったのですって? そんなときに無理を言ってごめんなさいね」
「いえっ! 全く問題ありません」
手のひらから、確実に小さな水たまりができるくらいの汗が出た。
アデルはカラカラになりそうな口の中から返事を絞り出した。
「あの、ご用件というのは何でございましょうか……」
「ええ。それがね」
大聖女ユーリンヒッテは物憂げにため息をついた。
「私の甥っ子がどうしても貴方に会わせろってきかなくてね」
「はあ……」
「職権乱用だわ。ごめんなさいね」
その時、アデルは初めて気が付いた。
ユーリンヒッテの座る玉座の奥に、もう一人誰かがいる。
アデルはいぶかしげに目を細めた。
「アデル!」
きらきらと光る玉のような美貌。
金色の巻き毛と彫刻のような美しい肌。
宗教画の中から、天使が飛び出てきたのだと思った。
アデルは珍しい生き物に遭遇したような気持ちで、その男を眺めた。
上背があってアデルよりも大きいが、まだ年若そうな顔つきだ。
「あの……?」
「ミシェルだよ。覚えてない? 5年前に会ってるんだけど」
「ええと。あなたのような方に会えば覚えているはずですが――」
金星のように輝き、どこにいても目を引く美貌。
ユーリンヒッテの甥っ子。
大聖女の血縁者とあって、さすがに風格がある。
立っているだけで後光が差してくるような気品と、華のある美しさを兼ね備えている。貴族のお嬢さん方向けの絵画のモデルにちょうど良いのではないだろうか。
アデルは、ミシェルと名乗った男をしげしげと見た。
白いジャケットと花蜜色の、とろけそうに甘い色をした瞳。
「あっ!」
間違いない、あの男だ。
アデルはようやく気が付いた。
黒のベールごしに大聖堂で見た、あの貴人だ。
つまりはミカエルとかいう、王族の関係者だ。
(えっ! じゃあユーリンヒッテ様も王族の関係者!?)
アデルは別の意味で衝撃を受けていた。
男に関してはいったん置いておいて、大聖女ユーリンヒッテが高貴な血筋の方なのだという新情報が胸を震わせてくる。
(知らなかった。けど、それをひけらかさないユーリンヒッテ様! さすが! 高貴な血筋とそれを鼻にかけない謙虚さと実力! ますます尊い)
アデルはユーリンヒッテに熱い視線を送った。
すると、大聖女は優しい声でアデルの名前を呼んだ。




