粥の思い出
上等な朱の生地には、金糸の刺繍が散りばめられており、それを舞が着たならば、素材の良さも相まってさながら美術品のよう。
ただし、そうやって布地が覆う部分は――少ない。
肩から先……そして、太ももから先は大胆に肌が出されていて、しかも、股を覆う布部分は切れ込みが凄まじく、横から見てぎりぎり中身が見えない瀬戸際を攻めているのだ。
「ふっははは!
よいではないか! よいではないか!」
孤魅九の手で着替えさせられた舞を見てご満悦の天凱であったが、狂気の宴はたった一着では終わらない。
修験服、袈裟、忍び装束、武者鎧などは序の口。
魔界の仕立て屋が手がけし、人界には存在しない衣服も、続々と試着させられていく。
とりわけ、天凱の心を打ったのは、白い半袖の上衣に濃紺の襟を重ねた装束であった。
これに、襟と同じ丈短の腰布を合わせると、失われし甘酸っぱい青春というものが、今にも蘇ってくるかのようなのだ。
ただ、それらはあくまでも変化球というものであり、当の舞がもじもじとして恥ずかしそうにしている様は、愛らしくも少しばかり気の毒というものである。
よって、最終的には元々着ていたのと同じ巫女装束に、緋袴ではなく、孤魅九のそれと似た丈短の赤い腰布を合わせる形となった。
舞は素足を隠したいようであったが、逆に素足をできる限り鑑賞したい天凱が、そこは強く押したのだ。
「ふうう……。
まだ朝餉を食していないというのに、存分に堪能したわ」
「「「「「天凱様が楽しむお役に立てて、孤魅九は幸せでございます」」」」」
満悦しほくほくとする天凱に対し、分身した孤魅九たちが礼儀正しく応じる。
一方、散々に着せ替え人形とされた舞は「お嫁にいけない」などとつぶやいていたが、そもそも、天凱以外の下へ嫁になどいけぬ行為を昨夜散々やっていた。
「では、着替えたところで朝餉にするか。
いかに土鍋の粥といえども、あまり時間を置けば冷めてしまうからな」
天凱の言葉に応え、孤魅九の分身たちがてきぱきと立ち働く。
部屋の隅に設置されていた椅子と丸机を動かし、朝食の場として整えたのだ。
なお、骸羅が生み出した骨冥城天守閣のここが骨造りと思えぬ内装なのは、ここにいる孤魅九が、運び込んできた調度品や壁紙で手早く整えたからである。
さすがは、忍びの喜劇役者と呼ばれし大妖……他者を喜ばせることに関して、右に出る者はいなかった。
「さあ、食おうぞ。
ちなみにだが、椅子と机を用いるのがオレ流だ。
まあ、慣れぬかもしれぬが、合わせてくれ」
「………………」
着席し、孤魅九の配膳を待つ天凱であったが、着替え終わった舞は立ち尽くしたまま、向かいの席に腰かけようとはしない。
それで、内心を見透かしたかつての龍神は、つい、幼子へ言い聞かせるような言葉遣いとなってしまったのだ。
「敵の出した飯、敵の出した食糧というのは、食べる気にならなかろうな。
しかし、現実としてお前は腹を空かせているし、食べ物に罪はないわけだ。
毒など仕込む理由もないのだし、ここは大人しく食べてごらん」
言いながら、舞をじっと見つめる。
「う……」
それに対し、愛しき娘は逡巡してみせたが……。
「い、いただき、ます」
そう言って目を逸らしながら、天凱の向かい側へと着席する。
そんな彼女の前へ供されたのは、土鍋からよそわれた白粥だ。
しかも、米は石臼によって軽く挽かれ、細かくされていた。
天凱が好む割粥である。
「これは……」
「魔界の米を使った粥だ。
まあ、食べてみるがいい」
土鍋で保温されていた粥は、着せ替え劇の間にやや冷めてしまったようだが、それでも十分に温かい。
むしろ、舌の火傷を心配せずに済むという点では、適温であるとも言えた。
「ん……」
匙ですくった粥を、舞がすすり込む。
食事の作法というものは、人の生まれ育った環境を如実に表す。
そこへいくと、着席からここまでの少ない動作で、舞の受けてきた教育が高度かつ、洗練されたものであることを見抜ける。
今生の彼女は、なかなかいいところのお嬢さんであるらしい。
「……?」
そんな彼女が、やや眉を動かした。
はっきり表情に出さないのもまた、育ちがいいことの表れ。
だが、米という主食の味にはっきり存在する違和感は、どうしようもない戸惑いを脳へ与えたのだろう。
「ふっふ……。
ひどく味が薄いと、そう思えるだろう?」
舞が思っているだろうことを、言い当てる天凱だ。
「いや、その……」
言い淀む舞は、出された料理へ文句をつけることに抵抗があるようだったが……。
これは、ただの純然たる事実である。
「魔界は、太陽がない常夜の世界と伝えられているだろうがな……。
実際は、異なる。
ばかりか、二つも存在し、それらが常に天から地上を照らしている。
ただ、それらの光は弱々しく、こちらにおける月くらいの光量しかない。
ゆえに、永遠の夜が続く世界と思えるのだ」
神界の者……。
あるいは、神々からの伝聞でしか知らぬ者にとっては、あまりに意外な事実だ。
実際、魔界に降り立った直後の天凱は、空に浮かぶのが月でなく太陽であると知って、ひどく驚いたものである。
「当然ながら、そのような世界では、この人界や、あるいは天界のように生命が進化していくことは、ままならぬ。
ああ、進化というのは、生物がより洗練された形態へと、時に数万年かけて徐々に変化していくことだ」
つい、神々の叡智を交えてしまったため、軽く補足しておく。
「例えば、小鬼など……お前も知るように下級の妖魔が人界の生物と大きくかけ離れた姿であるというのは、太陽光の弱さが原因だな。
だが、代わりに向こうの太陽は、こちらのそれと異なり、微量の魔力が光に宿っている。
それが、一部の生物に思いもよらぬ変化を与えた。
例えば、今食しているこの米は、味こそひどく薄いものの、食せば妖気や霊気が充填される。
その点では、こちらの百姓が作る米に勝っていると言えるだろう」
言いながら、舞の顔色をうかがう天凱だ。
もし、心尽くしの料理が、口に合わなかったなら……。
妖魔軍総大将といえども、そのようにありきたりな不安は抱いてしまうものであり、先ほどから口数が増えてしまっていたのは、その表れであると言えるだろう。
だが、そのような心配は、まったくの杞憂であった。
何故ならば……。
「……優しい味だと思う。
確かに、知っているお米の味とは違う。
でも、作っている人が心を砕いているのは分かる」
舞は、心から穏やかな顔でそう言ったのだ。
そして、その言葉が、天凱の記憶を鮮やかに蘇らせた。
あの時……。
若く傲慢な自分は、目の前にいる彼女――当時は兎の特質を備えた上級妖魔だった――が出してくれた粥を吐き出し、不味い、味が薄いと叫んだものである。
考えてもみれば、なんという無礼。
そんな自分の双角を掴み、彼女は……君は、それがいかに我儘な態度であるか、米を作った相手と調理した相手に対し失礼な態度であるかを、切々と語ったものだ。
それで、神の位階を持つだけの愚かな龍は、食事というものが、食材を生んでくれた者と調理してくれた者の心意気を味わうものだと知ったのであった。
もう、どれだけ昔のことだったか……。
「ふ、ふふ……」
「……わたしは、変なことを言ったでしょうか?」
「いいや、オレも思ったのだ。
優しく、美味な粥であると」
いぶかしむ愛しき巫女に対し、天凱はそう言って笑いかけたのである。
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