第二十二話 小さな龍たち
巨大地底湖と報告するだけあって、その現場は広い空間だった。
奥行きだけで数キロ、幅も二キロ以上あり深度も不明な巨大地底湖。崖と鍾乳石が作り出す複雑な岸は岩肌が濡れていて滑りやすい。
いまも滑落したらしき魔物が地底湖の天井で白化雨龍に貪り食われていた。
尊い犠牲と割り切っているのか、群れらしき魔物は白化雨龍からこそこそと隠れるように水を飲んでいる。
白化雨龍が生態系の頂点に君臨しているのを如実に示す光景だった。
天井に尻尾を食い込ませる形で垂れ下がっている白化雨龍は短い前足を使って器用に魔物の体を支えて柔らかそうな腹から食べている。
「全長は八メートル、数は四体。……おそらく、どれも幼龍だ」
成体らしき白化雨龍をヤニクの港で見たアウリオが冒険者や騎士たちに伝える。
八メートルの龍は十分な巨体だ。あれよりも二回りも大きい成体となると、大柄な人間でも一口で丸飲みにするだろう。
獲物を食らっている白化雨龍の幼龍の横で丸まって寝ていた別の幼龍が身体を伸ばし始める。丸まって強張った体をほぐすように湖面へ向かって身体を一直線に伸ばした幼龍はそのまま垂直に落下して地底湖に潜った。
水を飲んでいた魔物の群れが焦ったように鳴き声を上げた瞬間、地底湖の水が一直線に魔物の群れに放水された。
ただでさえ滑りやすい足場で水の圧力を受けて体勢を崩した魔物が地底湖に転がり落ちる。
水面でもがく魔物へと、水中から幼龍が襲い掛かった。
「もう自主的に狩りができるほど成長していますね」
独り立ちが近いのだろう。
セラは地底湖を見る。何の変哲もない水に見えるが、ここが白化雨龍の巣だとすればあの水に白化雨が溶け込んでいる可能性は高い。
あまり観察している時間はなさそうだ。
どの道、天井からこの地底湖全域を見下ろしている白化雨龍たちはセラたち人間の存在にも気付いている。
オースタが手信号で騎士たちに指示を出す。予定通り、白化雨龍の討伐は騎士の仕事だ。
騎士たちが動き出すのに合わせ、冒険者たちも水を飲みに来る魔物の群れの対処に動き出す。
白化雨龍たちも、セラたちが戦闘態勢を整えようとしていることに気付いたらしい。注目するように顔を向け、中には天井に食い込ませていた尾を外して宙に浮く者もいる。
それでも、魔物に比べると数が多いだけで小さな人間を脅威とは認識していないのか、興味本位で観察するだけだ。小さいのもあって食べ応えがないと判断しているのかもしれない。
――油断。
それが致命的であることを経験の少ない幼龍は身をもって知ることになる。
「始め!」
オースタの号令一下、騎士たちが武器を構える。抜き放たれた武器が奏でる金属音が鍾乳洞に木霊し、幼龍たちの気を引いた。
その最中に少数の精鋭が鍾乳洞の壁を駆け上がり、天井を足場に幼龍たちへと迫っていた。
これ見よがしの号令も一糸乱れぬ抜刀が奏でる壮大な金属音もすべてが囮。
狙いは最初から別動隊による奇襲だった。
地走りのポーションを飲んだ別動隊は大地が接続した天然の足場であれば重力を無視して駆け抜ける。その最速の奇襲が繰り出す渾身の一撃が幼龍たちの尻尾に叩き付けられた。
予想外の攻撃に幼龍が叫び声を上げてたまらず天井から落下する。
そこへ準備を整えていた地上の騎士たちが槍を投げつけた。
並の魔物なら確実に仕留めている威力と連携だ。だが、騎士たちは一切の油断をしていない。
相手は幼体とはいえ龍種。この鍾乳洞の頂点に座す強力な魔物だ。この程度で仕留めきれるとは思っていない。
「……それでも、ほぼ無傷とは思いませんでしたよ」
一度は地底湖に落ちた幼龍たちが一気に浮上し、湖上に浮遊する。その体には傷がなく、尾の鱗が割れている程度。しかも、幼龍たちはここまでされてもまだ人間を脅威とみなしていないのか、驚きこそすれ警戒はしていない。
猫を眺めていたら突然引っかかれた程度の認識らしい。
驚く幼龍たちは騎士たちの数が減っていることに気付かなかっただろう。
地底湖から部隊長率いる王国騎士団第三部隊が飛び上がる。
またも死角からの奇襲。しかし、先ほどの奇襲とは人数も威力も段違いだった。
「落としちまって悪かったな! 天井に帰んなっ!」
部隊長の大剣が振り上げられる。魔力をまとうその一撃は幼龍の長い胴体を九十度曲げるほどの威力で天井へと打ち上げた。
続く第三部隊も次々と幼龍を打ち上げる。
天井にいた奇襲部隊が剣を下に向け、強く足場の天井を蹴る。跳躍力と重力を乗せた剣での突進は幼龍の胴体に突き刺さる。
幼龍が初めて悲鳴を上げた。
空中で身を捻るようにして突き刺さった剣ごと騎士を振り払った幼龍の目にはもう油断の色はない。
だがその目の前に、オースタが大斧を振りかぶり迫っていた。
「――一匹」
短い呟きと同時に大斧が振り下ろされ、幼龍が一匹、力を失ったように湖面に落下する。
湖面に浮かぶ幼龍の亡骸に着地したオースタが残りの三匹を見上げた。
「頑丈ですね。部隊長クラスでないと傷がつかない」
この場にいる部隊長クラスは第五部隊副隊長のオースタと第三部隊長、副隊長の三人。
しかも、いま叩き伏せた一匹とは違って残った三匹は体に魔力をまとって防御力を上げている。仲間が殺された現場を見てさらに危機感を刺激されたらしい。
長丁場になると体力の限界を察した幼龍が逃げる可能性も高い。短期決戦にしたいのに決定打がない。
どうするかと悩みつつ大斧を肩に担いだオースタの横にアウリオが着地した。
「みんなのトラウマ、白衣の堕天使様から要望だ。鱗を四枚。それと胃が欲しいとさ」
「ここで解体する気ですか? いいでしょう。守りますよ」
「助かる」
剣で幼龍の腹を裂き始めるアウリオに残った幼龍三体が憎悪の目を向ける。仲間を目の前で解体されて怒らないはずもない。
格好つけて安請け合いしてしまったかなと苦笑しつつ、オースタは騎士団に呼びかける。
「龍退治をしたいのは私だけか!? そんな腰抜けだから女にもてないんだ、お前らは! こいつらの後に親龍も控えてるんだ。肩慣らしを済ませるぞ!」
「……行儀が良すぎるぞ、オースタ」
第三部隊長が快活に笑いながら自らの腰をバチンと叩く。
「女に振る腰をこんな前哨戦で抜かしてどうする? 俺はそんな半端な鍛え方はしとらんぞ!」
「部隊ごとに色があるものですね」
「うるせぇ色男だ。こっちの方が気合入んだろうがよ」
第三、第五、それぞれの騎士たちが笑いながら幼龍を睨む。自分たちの実力では鱗を割るのが精いっぱいだと見せつけられて弱っていた心に気合がこもる。
オースタ達が部下を奮い立たせている間、幼龍たちは憎悪を目に宿しながら冷徹に人間たちを観察していた。
初めて自分たちに傷をつけられる相手に出会ったからこそ、警戒と観察と情報共有を怠らない。
三匹の幼龍たちは高い知能で互いに気付いたことを囁き合っていた。
――殺そう。食うのではなく、殺すべきだ。
三匹の幼龍の意見は一致し、鍾乳洞を揺らすほどの轟音で雄たけびを上げる。
まずは自分たちを殺せると確定している大斧の男、次に同朋の遺体を切り裂いている男、それから残りだ。
幼龍たちが口を開き、魔力を口中に貯め込みながら高速で大斧の男、オースタに迫る。
その幼龍の頭上、天井から騎士が剣を振り下ろした。
いつの間に天井へ?
そんな疑問の答えを見つけ出す前に正面から別の騎士が槍を投げ、別の騎士が地底湖の水面を走り抜けて幼龍の後ろに回る。
幼龍の目の動きから生じる僅かな死角に滑り込んだ騎士の一撃が鱗を砕く。
その衝撃に驚いて幼龍が反射的に目を向けてできた死角にはすでに別の騎士が待機している。
食べるための狩りを行う魔物の群れとは違う、標的を殺すための人間の群れ。弱っている獲物を優先的に狙う魔物や動物の捕食行動とは違い、人間は強者を狩るための動きをする。
この鍾乳洞が自分たちにとっての楽園だったのは天敵たる人間がいなかったからだと、幼龍たちは学習した。
新たな一匹の犠牲と共に。
第三部隊長の大剣が幼龍の心臓を貫く。アウリオが白化雨龍の胃を探すために開いた腹を見て二つある心臓の位置を正確に記憶した第三部隊長の狙いすました一撃は最短距離で幼龍の心臓二つを貫き、切り裂いた。
「――後、二匹!」
一匹仕留めたことを伝えるとともに、着実に幼龍を減らしている実感をもたらすために第三部隊長は声を張り上げる。
直後、別の幼龍が放った白い息を全身に浴びて、第三部隊長が吹き飛ばされた。
即座に副隊長が全体を鼓舞する。
「怯むな! 叩き伏せろ!」
この場での士気低下は総崩れの危険性が高い。
第三部隊長に代わって指揮を取りながら、副隊長は歯噛みする。
決定打を打てる人間が一人減った。
幼龍は人間の間合いを理解しつつある。地底湖にも天井にも近すぎない位置を保ち、魔法戦を展開し始めている。
副隊長はさりげなく後ろに下がって隊長の安否確認をしようとしたが、別の足音が第三部隊長に駆け付けたのを聞きつけて動きを止めた。
「堕天使も天使ってわけだ……」
※
第三部隊長に駆け寄ったセラはざっと状態を見回す。
「白化雨の息ですね。呼気に含まれる湿気を利用している。興味深い」
スライムの体液では白化雨の原因である疑似生物が延命でき、カマナックの血液では延命できなかった。水分含量か粘性か、白血球による作用なのかは不明だったが、ここで新しい知見を得られた。
呟きながらも花燐の粉末を第三部隊長の手のひらに落とし、残っている体内魔力を測る。
流石に騎士団の部隊長だけあってあれだけ激しい戦闘をしていても、花燐の粉末で測れる限界量である十魔火を超えている。
大体のポーションは効果を発揮するだろうがそれでもこれからの戦闘も考えると消費魔火は少ない方がいい。
触診してから、セラは頭の中でポーション材料を組み合わせる。
「白化の症状とあちこちの骨にヒビが入っていますが、戦線復帰は可能ですね。気付けと骨格補強用のポーション、あ、起きました?」
「……寝てればよかった」
「少し口の中が甘ったるくなりますが、魔力増強効果は欲しいですか?」
「……欲しい」
患者の要望もあるのでセラは早速調合素材と手順を思い浮かべる。
骨粉を主な飼料として育てられたマガシ貝の毒針、患者の血液とケウザの根、アイシロビの葉。
あらゆる薬効も毒性も生物濃縮するマガシ貝は骨粉を与えて養殖すると殻が肥大化し、その殻から飛び出させる毒針を延長形成する魔法を習得する。その魔法は主に栄養過多なカルシウムを利用する形となり、これが薬効成分として毒針に蓄積している。
患者の血液を薄めた生理食塩水で希釈し、銅粉を加えて攪拌、そこにマガシ貝の毒針を加え、すりおろしたケウザの根を加えて消毒し、魔力を定着させて膜を形成する効果のあるアイシロビの葉を煎じて加えることで骨格全体を強化する魔力膜を作り出す。
実体化した魔力を用いて鞄から素材を取り出し、調合を始めた時、アウリオがセラの横に駆け寄ってきた。
「鱗四枚と胃、持ってきたよ。で、何する……何してるの?」
「並行して調合します。生臭いと思いますが、飲ませます」
「……あ、俺?」
アウリオが絶望顔で呟くと第三部隊長が同情するような目を向けた。
そんな二人の目線のやり取りを意に介さず、セラは鱗四枚を実体魔力で四方八方から押し潰して砕く。
騎士が全力で武器を叩き付けてようやく砕けるような硬い鱗がバキバキと音を立てながら粉砕されていく光景に第三部隊長の表情が抜け落ちる。
砕いた鱗をルベイト調合水に加え、ベルジアカの花を取り出す。
アウリオがぎょっとした顔でベルジアカの花を見て、冒険者たちが戦っている白化トレントを無言で指差す。
セラはアウリオをちらりと見て、説明した。
「ベルジアカ毒は赤血球を溶解させます。これに毒性を強化するノギル草と人の爪を加えると反応が起こり、爪や髪、動物の鱗を溶かすようになります」
説明しながら、セラは小指の爪をナイフで器用に切ってベルジアカの花粉とノギル草に混ぜ、ルベイト調合水に投じる。
先に入れていた幼龍の鱗が溶けたのを見て、幼龍の胃を紙に何重にも包んで実体魔力で圧縮する。血液を搾り取られて干からびた胃をすりおろしてルベイト調合水に加え、激しく攪拌する。
一度泡立ったものの、攪拌を続けると泡が消えて赤味を帯びた半透明の液体になった。
「対白化雨龍の脆化ポーションです」
完成した赤味を帯びた半透明の液体、脆化ポーションを前にアウリオは覚悟を決め、ごくりと喉を鳴らして手を伸ばした。
セラは実体魔力を使い全身全霊で脆化ポーションを――白化雨龍の幼体の口へねじ込んだ。
「――んぐっ……ギャアアアア」
騎士たちの間合いの外から一方的に魔法を撃ち込んで悦に入っていた幼龍二体の口へ脆化ポーションが剛速球で投擲され、あまりの生臭さと不味さに幼龍が声にならない悲鳴を上げて悶絶する。
「えぇっ……」
オースタたち騎士団は思わずセラを振り返る。アウリオが『俺は犯人じゃない』と必死に首を振っている横で、セラは困ったように言う。
「やっぱり、美味しくないですよね。……対魔法ポーションのレシピ、どうしようかな」
あの幼龍二体をいまのうちに仕留めないと、幼龍が悶絶するほど不味いポーションと同等らしい対白化雨龍の魔法ポーションを飲むことになるかもしれない。
騎士の士気が最高潮に達した。
「……お、臆せ! 奴を殺せ!!」




