第十二話 錬金術師の道
セラが聖水の改良案について意見をまとめた時には、イルルは暇を持て余してベッドに寝転んでいた。
唯一の暇つぶしだったセラが思考に没頭してしまったため、イルルはふて寝して部屋に一つしかないベッドを完全に占領している。自分を放置した薄情者にベッドは使わせないという強い意志が見え隠れしていた。
「まるっきり猫ですね」
執務机の上で丸くなる猫と同じだ。
しかし、ベッドを占領されてしまうとセラも困る。
我が物顔で寝入っているイルルを起こすのも可哀想だが、起きていてもやることといえば聖水の改良案をメモしておくことくらい。メモを取ろうにも手近に紙を置ける台がない。
いつの間にかすっかり日も落ちていて部屋の中は暗い。
そういえば、この山小屋の入り口の近くに薪ストーブと一緒に机があったと思いだして、セラは荷物から研究ノートを取り出した。
イルルを起こさないようにそっと部屋の扉を開ける。
部屋が面する大広間では冒険者たちが雑魚寝していた。セラは部屋の鍵をかけて、薪ストーブに向かう。
外では強風が唸り、山小屋もギシギシと音を立てている。建物が崩れることはないだろうが、セラの足音をかき消すくらいの騒音だ。
薪ストーブの前には夜番をしているアウリオがいた。薪ストーブの火を見つめていた彼はセラの足音に気付いて振り返る。
「セラさん、どうしたの?」
「少しメモを取りたくて。そこの机を使わせてください」
「どうぞ。こんな時まで研究とは、熱心だね」
アウリオは机の上の手に取りやすい位置に置いていた剣などを片付けてくれた。
セラは机に研究ノートを置き、手早く思い付きを記していく。薪ストーブの明かりのおかげで手元が狂うこともない。
走り書きするセラを眺めていたアウリオが声をかけた。
「今でも国立錬金術師ギルド本部に戻りたいって思うのか?」
「なんですか、突然?」
メモの手は止めずに問い返すと、アウリオも自分がなぜこんな質問をしたのかわからなかったらしく、薪ストーブの炎を見つめて考え込む。
アウリオの答えを待つうちにメモを書き終えて、セラは研究ノートを閉じた。
「私は戻りたいですよ。設備がまるで違いますから、研究の質も早さも段違いです」
「それは、本部に戻りたいというより研究環境を元に戻したいだけじゃないか?」
「同じことでしょう? ……いえ、言われてみれば確かに違いますね」
アウリオの指摘は正しい。
セラはいまだに組織内政治なんてくだらないと思っている。本部付きに戻ってもまた研究室に引き籠ってあれこれと研究を続けるだろう。
セラが欲しいのは本部付きという肩書きではなく恵まれた研究環境なのだから。仮に、冒険者ギルドが同等の設備を用意してくれれば、セラは喜んで国立錬金術師ギルド本部に辞表を出す。
アウリオは炎を見つめたままさらに質問する。
「国立錬金術師ギルド本部はいわばセラさんを裏切ったわけだろう? 錬金術師の本分はポーションの開発や調合であって、政治じゃないんだからセラさんを追い出す理由にはならないはずだ。なのに、セラさんはまだ本部に戻りたいって思うのか?」
セラの答えは変わらない。
国内で最も研究環境が整っているのは国立錬金術師ギルド本部で間違いない。だからそこに戻りたい。
しかし、戻ってもまた政治的な問題で左遷される可能性は付きまとう。
研究ノートの表紙に手を置いて、セラは少し考えた。
「……私はキノルと同じくらい雪が降る町で生まれました」
しかし、キノルと違って貧しい町だった。毎年のように餓死者、凍死者が出るような町だ。
師匠と出会う以前、セラが見上げた町の空はいつも灰色で未来を押しつぶすような圧力があった。
「師匠と出会って錬金術の道へ進まなければ、多分凍死していたでしょう。だから、でしょうか。初めて王都を訪れた日、すき通った空がどこまでも高くて、未来が開けた気がして……嬉しくなって泣いてしまったのを覚えています」
錬金術がセラの未来を開いた。
だが、師匠が言っていた通り、今は最先端をいく技術でもいつかは陳腐化する。
だからセラは錬金術を研究し続けなくてはならない。誰よりも先へ駆けていかなくてはならない。
「私の技術が時代遅れになれば、また未来が閉じます。つまりは死です。前にも話しましたが、私は錬金術に命を懸けてるんですよ。だから――」
国立錬金術師ギルド本部付きの肩書きは正直なところ、どうでもいい。だが、あの研究環境は欲しい。
それが政治などという錬金術とは関係ない理由で取り上げられてしまう程度のものなら――
「大量の研究資料と課題を持ち込んで政治ができないくらいに忙殺してあげましょう」
「あっ、そっち方面にいくんだ?」
「そして私が大部分を解決してボーナスをたくさんもらって研究施設を自分で建てましょう。これが一番、誰にも邪魔されない形ですね。取り急ぎ、聖水の改良版を調合します」
取られたくないなら自分のものにしてしまえ。そんな強引な解決法に行きついた挙句に具体的な道筋の第一歩を歩み始めるセラに、アウリオが苦笑する。
「セラさんらしいと言えばらしいけど、それでいいのかな?」
「いいんですよ。どこから放り出されようと、私の錬金術の腕が否定されたわけではありません」
重要なのはこの腕で未来を切り開けるかであって、腕が否定されない限りセラは前に進み続けていることになる。
断言するセラに、アウリオは困ったような顔をした。
「俺はそんな風に割り切れなかったなぁ」
そう呟いて、アウリオはストーブに薪を追加した。




