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テューラ・ア・ダンマーク(デンマーク語: Thyra af Danmark, 1880年3月14日 - 1955年11月2日)は、デンマークの王女。
生涯
ティーラは祖父クリスチャン9世の治世下の1880年3月14日、コペンハーゲンのアマリエンボー宮殿の一角、父フレゼリク8世宮殿で王太子フレゼリクと妃ルイーセの第6子三女として生まれた。
彼女は兄弟たちと一緒に育てられたが、彼女が7歳のころドイツで開発されたばかりの自動車を突如として購入、後の飛行機開発の礎とした。
翌年1888年4月3日に王女であるにもかかわらず開発されたばかりのグライダーの操縦を行い当時の最長飛行記録を超えている。
これは本人の伝記より、後の動力飛行を成功させるための試験であるとともに、ダンマークの中立を守るための技術立国化させるための布石だったと言われている。
事実、この時取得されテューラ王女とレーナ・ヘーリングの共同名義による特許は、いまだに軽飛行機のみならず世界各国の旅客機の基礎技術として認められている完成度の高いものだった。
また、同年8月には叔母に当たるイギリス王太子妃アレクサンドラのもとを訪ね、ブリストル社との提携を取り付けている。
そしてかの有名な1889年4月、後のダンマーク国際空港において人類初の動力飛行を成功させ、
同年のパリ万博において、世界にお披露目を行ったのである。
以降、世界各国に飛行機を売るための会社THIが1890年に設立。
半官半民の企業としてダンマークの重工業を支えていくことになる。
当初、このように精力的に技術面の向上を進めていたテューラ王女であったが、ある時からあまり表舞台に立たなくなる。
THIの代表ではあったが、ドーバー海峡横断飛行や大西洋横断飛行などは、彼女のメイドであったシャーロット・リンデンバーグであり、企業運営に重点を置いていたらしい。
また、彼女は21歳の年に平民であった医者のニールス・クラウゼン・イルソーと結婚、後に1男2女の子供をもった。
以後はTHIの代表として企業方針を決める傍ら、国際航空法の整備や公海規定策定の際に名前が一部出ているだけであり、目立った功績はない。
とはいえ、彼女が軍に出入りしていたことは記録からわかっており、航空機が民間用とだけでなく軍用として使われることを理解したうえでの売込みのようなことをしていた記録が残っている。
また、世界初の女性首相となったマリーナ・リーツ・ショットとは旧知の中であったようで、具体的記録は残っていないものの政治の政界にもある程度干渉していたのではないかと言われている。
別の角度から見たとき、第二次世界大戦時のダンマーク軍の航空隊編成については、彼女の発想が大いに採用されていたと言われており、当時から”マルチロール機”によるコスト削減や爆撃機と輸送機の設計共通化など小国であるダンマークの懐事情を考えた思想がみてとれ、今もそれらは参考とされている。
彼女は1955年11月2日に75歳で亡くなった。
前年、長年連れ添ったニールスがなくなっており、後を追うように亡くなったと言われている。




