270話―そして、竜は眠りに着いた
ロギとその仲間たちとの戦いが終わり、三日が経過した。狂気から解放されたヴァールは、金結晶の大聖殿にフライハイトの住人を全員集める。
聖殿の三階にある大講堂に集められた竜人たちを前に、ヴァールは専用の舞台に上がる。その周囲を側近たち、そしてアゼルたちが固めていた。
「皆の者、今日はよく集まってくれた。すでに話を聞いている者もいるだろうが、妾の口から改めて聞かせたい。ここにいる者たちのおかげで、妾は正気に戻ることが出来た」
その言葉に、集まった竜人たちはざわめく。ここに来るまで、自分たちの指導者が本当に狂気から解放されたのか疑っていたからだ。
ヴァールは深々と頭を下げ、心からの謝罪の言葉を口にする。この千年、どれだけの苦労を民に強いてきたのかを彼女は覚えていた。
「謝って許されることではないと分かっている。汝らに己が鱗を剥がす苦痛を味わわせたのみならず、炎片を守るために苦役を強いてしまった……本当に、申し訳ない」
「ヴァール様……本当に、元に戻られたのですね。ああ、本当によかった!」
そんな主を見て、竜人たちは安堵の笑みを浮かべる。彼らはヴァールの行いを怨んではいなかった。むしろ、彼女を気の毒に思っていたのだ。
「……皆、妾を怨んではおらぬのか? この千年、妾はずっと」
「確かに、我々は苦しい思いをしました。ですが、あなた様はいつも、真っ先に己を犠牲にしておられた。それに……あなた様の方が、もっと苦しんでおられましたから」
住民たちを代表し、年老いた一人の竜人の男が前に進み出る。アゼルたちが見守るなか、老人は静かに語り出す。
全ての竜人たちが抱いている、ヴァールへの思いを。
「あなた様が、古に交わした約束を守り続けるためにどれほど苦心なさっていたか。それを知らぬ者は、ここにはおりませぬ」
「だが、何の罰も受けぬというわけにはいかん。どんな理由があろうと、妾は罪を犯した。このまま放免では」
「では、一つ約束してくだされ。これからは、わしらに苦痛を強いることのない……真に正しき王として、民を導くと。皆も、それでよかろう?」
後ろを向きながら、老人は集まっている竜人たちに問いかける。誰一人として、首を横に振る者はいなかった。
その言葉に、ヴァールは一筋の涙を流す。民の優しさに触れ、感銘を受けたようだ。咳払いをした後、話を続ける。
「……分かった。そういうことであれば、このヴァール……約束しよう。これからはもう、汝らに苦痛を強いることはしないと」
その言葉に、竜人たちは歓声をあげる。狂気に囚われた暴虐の竜から、元の偉大な王へヴァールが戻ったことを喜んでいるのだ。
「あー、静粛に。我らが女王のお話はまだある。ヴァール様、お話を」
「うむ。ジゼラが言った通り、もう一つ汝らに伝えねばならぬことがある。本日を以て……妾は、逆鱗の炎片をここにいる少年、アゼルへと託す」
ヴァールの宣言に、先ほどとはまた違うざわめきが起こる。この千年、禁術に手を染めてでも守り続けてきた炎片を他者へ託す。
それが何を意味しているのか、全ての者が理解していた。すなわち――次代の王が、いよいよ誕生しようとしているのだと。
「ここにいる少年、アゼルは妾の同胞ジェリド王の末裔である! 彼はすでに、凍骨、縛姫、月光、暗滅の四つの炎片を受け継いでいる」
「ということは、つまり……」
「そうだ。ギャリオンを除く全員が、彼を次の希望だと認めた。勿論、妾もそうだ。アゼル、ここへ」
「は、はい!」
突如呼ばれたアゼルは、緊張しながらもヴァールの元へ向かう。途中、シャスティとアンジェリカが小声で少年を励ます。
「頑張れ、アゼル」
「リラックスですわ、アゼルさま」
「う、うん。がんばりまひゅ!」
が、逆効果だったようだ。あまりにも緊張し過ぎた結果、いつぞやのお披露目式のように舌を噛んでしまった。
「あう……」
「ハハハ、盛大に噛んだな。微笑ましいものだ。……さて、アゼルよ。まずは汝に感謝を。ありがとう、汝のおかげで妾は正気に戻れた」
「いえ、いいんです。あのままだと、誰一人幸せになれませんでしたから。こうして元に戻せて本当によかったです」
「ああ。エイルリークたちにも、本当に悪いことをした。後で、謝罪の書状を送らねばなるまい……っと、それは後だ。さあ、アゼル。我が前でひざまずくのだ」
「はい!」
アゼルはヴァールの眼前に進み、その場でひざまずく。ヴァールは身を屈め、指先に小さな金色の炎を呼び出した。
戦いの果てに完全に浄化された、逆鱗の炎片だ。ほとばしる雷のように、激しく燃えている。だが、アゼルは不思議と熱さを感じなかった。
「……この炎片には、妾だけでなくこの地で暮らす全ての竜人たちの想いが込められておる。共に苦痛を分かち合い、炎を守り育ててきた絆だ」
「安心してください、ヴァールさん。あなたたちが紡いできた想いは、絶対にムダにはしませんから。炎を継ぐ者として、今ここで誓います」
「その言葉、しかと聞き届けたぞ。王の意思を継ぐ者よ、受け取るがいい。汝に相応しき、炎の王冠を!」
ヴァールは炎片を操り、光り輝く冠へと変えた。そして、そっとアゼルの頭に載せる。五つ目の炎片の継承が今、なされたのだ。
「さあ、祝うのだ皆の者! 新たなる王の誕生だ!」
「おおおおーーーー!!!」
未来の希望を前に、竜人たちは拍手喝采をアゼルに浴びせる。シャスティたちも、盛大な拍手で継承を祝う。
「いよっ、似合ってるぜアゼル! さっすが、王の末裔だけあってサマになるねぇ!」
「この光景はバッチリとわたくしの脳に焼き付けますわ! 帰ったらリリン先輩たちに自慢しますわ!」
「……ああ、お仕置き確定だなこりゃ」
よからぬことを企むアンジェリカを見て、カイルはフッと笑う。隻腕のため拍手が出来ないジークベルトは、着ている鎧を叩く。
「おめでとう、アゼルく……あれ? どうしたんです、アーシアさん。口角が上がってますよ?」
「ん? ああ……ふふ、嬉しくてな。赤子だったアゼルが、こんなにもたくましく……」
「いや、それは時間逆行の副作用……って、聞いてない……」
アーシアはというと、一人だけ感動のベクトルが曲がっていた。赤ちゃん化していたアゼルの世話を熱心にしていたため、変な方向にイッたようだ。
「さあ、今日は宴だ! 皆の者、大いに歌い、騒ぎ、楽しめ! グルーラよ、久しぶりにそなたのバイオリンを聞かせておくれ。腕は落ちていなかろう?」
「! ええ、ええ! 勿論お聞かせしますとも! こうしちゃいられない、すぐ準備してきます!」
継承の儀は終わり、宴が始まる。厳かな神殿は賑やかなパーティー会場へ様変わりし、明るい空気で満たされていく。
「カッカッカッ、ではわしらも準備するかのう。旨い食事と酒がないと、宴も盛り上がるまいて」
「あ、じゃあ僕もおてつだ」
「ジークはこっちだよ。約束したよね? お返事……聞かせてもらうから」
ビシャスの手伝いをしに行こうとしたジークベルトは、早速リンベルに捕まったようだ。首根っこを掴まれ、ずるずるひきずられていく。
「わー、待って待って! 心の準備を……って、何でレミーたちまで着いてくるの!?」
「フッ、何を言うジーク。それはもちろん!」
「成り行きを見届け、その後のお楽しみに混ざるためだ!」
「わーん、やっぱりー!」
ゴチソウを前にした犬のような顔をしたレミアノールとフェムゴーチェに強引にお供され、ジークベルトはいずこかへと消える。
翌日の昼になるまで、四人を見る者は誰もいなかった……。
◇―――――――――――――――――――――◇
夜が更けても、どんちゃん騒ぎは終わらない。アゼルが酔っ払ったシャスティに揉みくちゃにされている頃、ヴァールは神殿の地下にいた。
少し前まで、逆鱗の炎片を安置していた場所だ。無残に砕けた祭壇を見つめながら、ヴァールは一人呟きを漏らす。
「……ギャリオン。そなたから託された使命を今日、妾は次代の王へと託したぞ。何だか、肩の荷が降りた気分だ」
こっそり持ち出してきた大きな酒樽に顔を突っ込んだヴァールは、豪快に酒を飲む。少しして、酒樽から顔を出した。
「全てが終わった時、そなたがまだ妾を好いていてくれたら……今度は、その手を取り……余生を、共に過ごしたいものだ」
そう呟いた後、ヴァールは身体を丸め横になる。愛しい人の夢を見られるよう、星々に祈りながら。
眠りに着くヴァールの顔には、もう――苦痛も不安もなかった。




