233話―幻影の中に眠る想い
「フン、あっちらを簡単に倒せるとは思わないこったな! 幻惑の香、全開!」
「くっ、クリアルーン……うわっ!」
「招待してやる。楽しい楽しい幻影の世界にな」
二体の竜に斬りかかるアゼルだったが、部屋の中央に吊り下げられた香箱から放たれた煙に包まれてしまう。
濃い煙に包まれ、視界が遮られる。磔にされたフェムゴーチェの前に、遠い過去……かつての記憶が幻影として姿を現した。
『こんにちは、貴女がフェムゴーチェさんですね? 僕はジークベルト。新しくギャリオン様直属の部隊に編入された騎士です。これからよろしくね』
『……あまり、ワタシに関わらない方がいい。ワタシのような汚らわしい暗殺者と話していると……キミまで、あらぬ風評を立てられることになるから』
『あ、ちょっと……。行っちゃった。あらぬ風評ってなんだろう?』
(……懐かしい、な。当時のワタシは……誰にも心を開かない、冷徹な暗殺者であろうとしていた。ギャリオン様に仕える、騎士団の暗部……暗殺部隊【影の眼】の隊長として)
どこからか聞こえてくる激しい戦いの音を聞きながら、フェムゴーチェの頭は思考の海に沈む。そんな彼女の前で、幻影は次のシーンへ移り変わる。
二人が出会ってから数ヶ月後、森の中での一幕。倒木の陰で、フェムゴーチェが怪我をしたジークベルトの手当てをしていた。
『いてて……。ありがとう、フェムゴーチェさん。傷の手当てをしてくれて』
『助けられた恩を返しただけだ、気にするな。……しかし、キミもバカだね。ワタシを助けなければ、こんな怪我などしなくて済んだのに』
『そんなこと言わないで。フェムゴーチェさんも、僕の大切な仲間の一人なんだもの。助けるのは当然のことだよ』
『仲間? ……何を、言う。ワタシは嫌われ者の人形女だぞ。暗殺しか能のない女など……キミに仲間と呼ばれる資格なんて、ない』
(これは……懐かしいな。ラ・グーの軍を纏める幹部の暗殺任務に行った時の記憶か。思えば、この頃からだったな。ジークに惹かれはじめていたのは)
ぐったりしながらも、フェムゴーチェは微笑みを浮かべる。当時、彼女ら影の眼に属する騎士たちは暗殺を生業としてることから多くの者に蔑まれていた。
正々堂々戦ってこそ騎士。そんな価値観が浸透していた騎士団において、彼女たちと分け隔てなく接してくれた唯一の人物がジークベルトだったのだ。
『なあ、ジークベルト。キミはどうしてワタシたちを蔑まない? ワタシたちが戦いの裏で何をしているのか、知らないわけじゃないだろう』
『もちろん、知っているよ。スパイを送り込んだり、厄介な敵を暗殺したりいろいろやってるのは』
『なら、何故だ? 今まで会った者たちは、皆口を揃えて言う。お前たちのような卑劣な奴らは、ギャリオン様の面汚しだと』
幻影のフェムゴーチェは、手当てを続けながらそう口にする。これまでにかけられた罵声の数々を思い出し、声が震えていた。
『僕はそうは思わない。フェムゴーチェさんたちがやっていることも、立派な任務の一つだよ。影の眼の人たちが敵の情報を持ち帰ってきてくれるから、僕たちは安心して戦える。感謝こそすれ、蔑むのは間違ってるよ』
『……ジーク、ベルト。キミは……ふふ。本当に、優しいんだね。まだ子どもだというのに』
『むぅ。僕だって立派な騎士なんだから、子ども扱いはやめてほしいなぁ』
ぷくーっと頬を膨らせ、むくれっ面になるジークベルト。そんな少年騎士に愛しさを感じたフェムゴーチェは、微笑みながら頭を撫でる。
『はは、ごめんごめん。でも、そんなむくれてるキミも可愛いよ』
『あー、可愛いって言われた! かっこいいって言ってほしいのに! ……でも、よかった。フェムゴーチェさん、やっと笑ってくれたね。僕、いつもの無表情より笑ってる方が好きだな』
『!? そ、そうか。じゃあ……これからは、もっと……その、笑えるように努力する……。ああ、それと』
真っ赤になった顔を背けつつも、嬉しさが抑えきれないようだ。コホンと咳払いをした後、少年にとある頼みをする。
『? なんです? フェムゴーチェさん』
『もう、他人行儀なのはやめよう。同じ志の元戦う仲間だからな。ワタシのことは……フェムと呼んでくれないか?』
『うん! じゃあ、僕のことはジークって呼んでいいよ。改めてよろしくね、フェム』
『ああ、こちらこそ。これからも共に戦おう、ジーク』
(……そうだ。ワタシは、この時……ジークに、恋をしたんだ。生まれて初めての、恋を)
霞がかった頭の片隅で、フェムゴーチェはそんなことを考える。その時、幻影を突っ切って誰かが突っ込んできた。
ズイホウの攻撃を食らい、吹き飛ばされたアゼルだった。囚われた騎士のすぐ横の壁に叩き付けられ、呻き声を漏らしながら崩れ落ちる。
「うぐっ! ゲホ、なかなかいい一撃を貰っちゃいました……。ん? あ! あなたがフェムゴーチェさんですね? すぐ助けます!」
「ああ、済まな……ん? 待て、懐からはみ出ているのは……手紙か?」
「え? あ、はい。未来のジークベルトさんが書いたものです。暗滅の騎士さんたちに渡してほしいって」
運良くフェムゴーチェの近くに吹っ飛ばされたアゼルは、縛めから解き放とうと手足を拘束している枷に手をかける。
そんな中、フェムゴーチェはアゼルの懐からはみ出している封筒に気が付いた。返ってきた答えに、心臓が高鳴るのを感じた。
「ジークからの……!? そうか、彼は……未来でも存命なのか。よかった、本当によかった」
「ええ、暗滅の炎片が失くなってしまったせいでおじいちゃんになってしまっていますが、元気にしていますよ。さ、もう少しで枷が」
「少年。枷はいい。それより、ワタシの首元に刺さっている釘を抜いてくれないか? コイツのせいで、自己修復機能を阻害されているんだ」
「これですか? 分かりました。ふん、ぬぬぬ……!」
アゼルはフェムゴーチェの首に深々と突き刺さっている釘を掴み、手に力を込める。リジールとガルガラッドが敵を足止めしてくれているおかげで、妨害は来ない。
だが、もたもたやっている時間はない。ありったけの力を込めて、アゼルは勢いよく釘を引き抜いた。
「ぬう……りゃあ!」
「ぐっ……! ありがとう、少年。これでもう……おとなしく磔にされている理由はなくなった。自己修復機能、フルパワー! フンッ!」
アゼルに礼を言った後、フェムゴーチェは自己修復を行う。拷問によってつけられた全身の傷や、無残に切られた髪が見る間に元に戻っていく。
傷を快癒させた騎士は、ありったけの力を腕に込めて枷を引きちぎる。ガルガラッドほどではないが、相当の怪力を持っているようだ。
「わ、凄い。こんな頑丈そうな枷を……」
「ふう。ようやく自由になれたな。……さて、あれだけ好き放題やってくれた礼を、あのクズどもにしてやるとしよう。騎士団最強の暗殺者の力……思い知らせてやる」
「なら、ぼくもお供します!」
「よし、行くぞ」
未だやり取りを続けている己の幻影を突っ切り、フェムゴーチェは助太刀するため部屋の中央へと進む。
「ふへへへ、まだ粘るのか。でも、もう限界みたいだなぁ、え?」
「チッ、質量のある幻影とか反則だろがよ。いくら倒してもキリがねぇじゃねえか」
「はあ、はあ……」
幻惑の霧の中、リジールとガルガラッドは邪竜たちの分身と熾烈な戦いを繰り広げていた。幻惑の香によって空間が歪められ、本来よりも部屋がかなり広くなっている。
そんな状態で、次々と襲ってくるショウホウとズイホウの幻を倒し続けていたがついに限界がきてしまったようだ。二人とも、かなり疲弊してしまっている。
「わっちらの邪魔してくれたんだ、楽に死なせるわけにはいかねえよなぁショウホウ?」
「もちろんさぁ、ズイホウ。あっちの牙と爪で、全身バラバラに」
「出来るならやってみろ。それよりも早く、ワタシが貴様らの息の根を止めてやる」
「んなっ!? この声はまさか!」
勝利を確信する邪竜たちの背後から、殺意に満ちたフェムゴーチェの声が響く。次の瞬間、合わせて八体いた分身が次々と崩れ落ちていった。
「なに? 何が起きてるの?」
「へっ、始まったな。フェムの暗殺ショーが。これなら、もうオレらが出張る必要はねぇ。全部あいつが片付けるさ」
「ああ。ゆっくり休んでいるといい。ここからは……」
ガルガラッドたちの目の前の床に黒い円が現れ、波打ち始める。円の中から、漆黒の忍装束を纏い、面当てで顔の下半分を隠したフェムゴーチェが姿を見せた。
「――ワタシの出番だ。自動人形の恐ろしさ、骨の髄まで味わってから死ね」
暗滅の騎士最後の一人による逆襲劇が、幕を開ける。




