139話―アゼル、赤ちゃんになる
「いやいやいやいやいや! ちょっと待てよ!? おかしいだろうが、赤ちゃんになるなんて普通あり得ねえだろ!?」
「あうー?」
「あ、かわいい……。もうこれでもいいんじゃねえかな」
「よくないわ、アホ!」
混乱の中、シャスティはそう叫ぶ。が、つぶらな瞳で何かを訴えかけてくるアゼル(赤ちゃん)を見て、一瞬でどうでもよくなったようだ。
即座にリリンのツッコミを受けたが。
「ふむ……いくらなんでも、これは異常事態だね。ダンテ、他に何か変わったものを見つけなかったかい?」
「ん? ああ、脱衣場にこいつの着てた服が落ちてたよ。タイツもローブも、体液でベトベトだったぜ」
ダンテの報告を受け、ダンスレイルはふむむと考え込む。オメガレジエートに戻るまでの間、アゼル(普通)はエリダルの体液にまみれていた。
体液を浴びてからというもの、かなり疲れた様子を見せていたことを思い出したダンスレイルは、一つの仮説を立てる。魔獣の体液に、未知の作用があるのでは、と。
「ダンテ、悪いがその服を取ってきてくれるかい? レケレスに体液を解析してもらう」
「分かった。んじゃこいつは誰に預け」
二人がそんなやり取りをした直後、リリンとシャスティ、アンジェリカにメレェーナが全く同じタイミングで挙手した。
「私だ」
「アタシだな」
「わたくしですわ」
「はーい! あたし!」
みな、アゼル(赤ちゃん)の世話をしたいようだ。即座に睨み合いを始める四人を見ながら、クイナが呆れたように呟く。
「いや、誰か一人にしなよ……」
「もう聞こえておらんわい。しかし、こうなると大変じゃのう。元に戻れる保証はないしな」
「ねー。ま、最悪バリアス様に丸投げすりゃいいじゃん? ほら、あの人時空神だし」
面倒事に巻き込まれないようにと、対岸の火事モードに入ったアイージャとクイナはそう話し合う。そうしている間に、ダンテはレケレスにアゼル(赤ちゃん)を押し付けた。
「めんどくせえ。レケレス、お前が預かってろ。お前の間抜け面見てりゃあ、あかんぼも泣かな……ごふっ!」
「うっさーい、バカダンテ! さっさと逝って……じゃなかった、行ってこーい!」
「きゃっきゃっ、ばう!」
ダンテの言い種にイラッときたレケレスは、強烈な金的を叩き込んだ後司令室から蹴り出した。その様子が面白かったのか、アゼル(赤ちゃん)は笑っている。
「おーよしよし、めんこいめんこい。いないいなぁーい……ヴァッ!」
「きゃっきゃっ、きゃきゃきゃ!」
「んー、かーわいい! あっちのこわーい人たちに取られないようにしーよっと」
「では、あたくしもお供しますわ。レケレス一人だと、不安ですので」
なんだかんだですっかり乗り気になったらしく、レケレスはアゼル(赤ちゃん)をあやす。一方、リリンたちは取っ組み合いのケンカを始めていた。
巻き込まれてケガをさせては大変と、レケレスとエリザベートはこっそり司令室を出ていった。残ったアイージャとクイナ、は野次馬に徹することにしたようだ。
「アゼルをあやすのは私の仕事だ! お前たちは引っ込んでいろ!」
「はー? そりゃこっちのセリフじゃあ! アタシは聖女サマだぞ? 赤ん坊の世話なんて誰よりも得意だわ!」
「いえ、こういう時こそ英才教育を受けたわたくしの出番なのですわ! 決してアゼルさまの可愛らしいほっぺをむにむにしたいとかそういう考えはありません!」
「嘘つけ!」
好き勝手にぎゃあぎゃあ叫びつつ、四人はすったもんだの殴り合いをする。その様子を見ながら、アイージャは一刻も早くリオが帰ってくることを願っていた。
「……はあ、うるそうてかなわん。リオよ、はよ帰ってきてくりゃれ。めんどうが過ぎるわ……」
「いいぞー、やれやれー! そこだ、ぱーんち!」
「お、いいのが入ったね。なかなかいいキレだな」
一方、クイナとダンスレイルは勝手に盛り上がっていた。
◇―――――――――――――――――――――◇
「で、どうだレケレス。体液の成分とか分かったか?」
「んーとね、まだ何とも言えないけど……結構複雑な毒素が含まれてるよ、これ」
一時間ほど経過し、一向に決着がつかないことに痺れを切らしたアイージャによってリリンたちは纏めて倉庫に叩き込まれ、厳重に封印された。
一方、ダンテが持ってきたアゼル(普通)の服に付着していた体液を舐め取り、レケレスは成分の解析を行う。その結果、いくつかのことが分かった。
「複雑な毒素?」
「うん。簡単に言うとねー、生き物の肉体を幼体化させて、その状態を維持するために色々毒を混ぜてあるんだよねーこれ。一つ一つ解析するの、骨が折れるなー」
もごもごと口の中で体液を味わいつつ、レケレスは毒素の解析を続ける。毒を司る魔神だからこそ可能な、オンリーワンの芸当なのだ。
「それで、解毒は出来るのかい?」
「それは大丈夫そーだよ、おねーちゃん。魔獣本体からの供給がないから、十日ぐらいすれば自然と効力が消えるよ。たぶん、この毒を使って神族の子どもを魔獣と融合させてたんだろうねー」
「あら、それは朗報ですわね。神々の手を煩わせるようなことにならなくてホッとしていますわ」
解毒が可能かダンスレイルに問われ、レケレスはその必要すらないと答える。時間が問題を解決してくれるということが分かり、みなホッと胸を撫で下ろす。
……が、全ての問題が解決したわけではない。アゼル(赤ちゃん)が戦えない以上、カルーゾ一味との戦いにおける戦力は大きく低下してしまう。
「でもさー、今攻めて来られたらたまんないよね。いや、ついさっき敗北しといてそうそう攻めては来ないだろうけど」
「いや、油断は禁物だよクイナ。こちらも戦力の増強に務めないといけない。……また、彼女たちを鍛えないといけないね」
そう言うと、ダンスレイルは司令室のモニターを見上げる。そこには、倉庫の中を縦横無尽に転がりそうながらケンカし続けるリリンたちが見えた。
「……妾はもう、不安しかないぞ」
「まあ、そうだな……」
モニターを見ながら、アイージャとダンテはため息をついた。
◇―――――――――――――――――――――◇
一方その頃、闇の眷属たちの拠点である暗域では大騒動が起こっていた。ドゥノンの裏切りに激怒したカルーゾによる、大規模な捜索が行われているのだ。
「ドゥノンを見つけ次第、我が元へ連れてこい! この手で始末してやらねば、腹の虫が収まらぬ!」
予備の艦隊を動員し、カルーゾは血眼になって元部下の行方を探す。最後の実験体を失った今、魔獣の製造は行えない。それはつまり、手詰まりを意味する。
リオに協力する大魔公たちが自分の居場所を嗅ぎ回っている状況では悠長に構えていられない。一刻も早く、実験体を取り戻す必要があった。
「くっ……まさかここまでの規模になるとは。カルーゾ様……いや、カルーゾは本気のようだ。急いで、暗域の深部に行かなければ」
カルーゾに反旗をひるがえしたドゥノンは、四人目の神族の子どもを連れ暗域の各地を逃げ回っていた。が、闇雲に逃げているわけではない。ドゥノンには、とある目論見があった。
(暗域は二十の階層が重なっている世界。深い階層まで潜れれば、魔神に協力する大魔公と接触しやすくなる。この子を保護してもらえれば、私の勝ちだ)
暗域は、下の階層ほど強大な力を持つ魔の貴族や王たちが住んでいる。リオやアゼルの友人たるヴェルダンディーも、深い階層に領地を持っている。
ヴェルダンディーや彼の部下と接触し、保護してもらえれば、カルーゾは手出し出来ない。何しろ、今のカルーゾでは上位の大魔公に勝てないからだ。
「おじちゃん……おじちゃんは、どうしてぼくを助けてくれたの? カルーゾの仲間じゃなかったの?」
物陰に身を隠し、どうやって下層へ向かうか頭の中でルートを構築していると、懐に抱えた幼い少年がそう尋ねてきた。ドゥノンはしばし考え方後、口を開く。
「……おじさんはね、気付いたんだ。おじさんの主は、間違ったことをしている。それを止めるために、私は君を助けた。それだけのことだ」
「おじちゃん。ぼくたち、にげきれるのかな?」
「逃げ切れるさ。約束する。君だけでも……逃がしてみせる。私の新たな誇りに賭けて、必ず」
闇の世界での逃避行は、まだ始まったばかりだ。




