昼食を囲んで
本日は2話投稿しています。
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「ライオネル様、食欲が出ていらしたというのは何よりですね。しっかりと食事が摂れれば、体力の回復にも繋がりますし。……ライオネル様には、お好きな料理や食べ物はあるのですか?」
エディスの言葉に、ライオネルは少し眉を下げて笑った。
「昔は色々と好きなものもあったのだけれど、今は消化の悪いものは胃が受け付けてくれないんだ。それに、なかなか食欲が湧かないものだから、普段は、規則的な時間に家族と一緒に食事を摂ることが難しくてね。大抵、胃に負担の少ないものを、この部屋に運んでもらって食べているんだよ」
「そうなのですね……」
家族とは別に、一人自室で食事を摂るライオネルの姿を想像して、エディスの胸はつきりと痛んだ。
その時、部屋のドアがノックされ、ライオネルの父の顔が扉の向こう側に覗いた。
「ライオネル。……おや、エディスもまだそこにいたのだね」
息子のライオネルが、瞳を輝かせてエディスと向き合っている様子と、二人の打ち解けた雰囲気に、ライオネルの父は心を打たれた様子で微かにその両目を潤ませた。
「邪魔をしてしまってすまなかったね。ライオネルには、今日の昼食の相談をしようと思って来たんだ。エディスにも聞きたかったから、ちょうど良かったよ」
彼は、エディスに感謝を込めて微笑んでから続けた。
「今日は、もしライオネルの調子が良ければ、エディスの歓迎の意味を込めて、エディスを囲んで皆で昼食を摂ることも考えていたんだ。だが、先程のライオネルの体調を見た限りでは、少し難しいようにも思う。どうしたものかと思ってね」
エディスは、多少食欲が湧いた様子のライオネルを見ながらも、それでも彼に無理をさせてはならないと思った。それに、彼が皆と一緒のメニューを摂ることも、きっと難しいのだろうと察しがついたエディスは、ライオネルの父に向かって視線を上げた。
「もし差し支えなければ、私は皆様とは別に、今日はライオネル様と一緒に昼食を摂らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。エディス、あなたの分の昼食は、ここに運んで来ればいいかな? ライオネル、君には何か消化の良さそうなものを用意させるよ」
「あのう……」
エディスは、躊躇いがちにライオネルの父に尋ねた。
「恐縮なのですが、可能でしたら、キッチンを少し貸していただいても? 私の家でよく作っていた薬草粥を、もしライオネル様がお嫌でなければ、作って差し上げたいのですが」
彼は、嬉しそうな様子のライオネルを見て、口元を綻ばせると頷いた。
「ああ、こちらこそ助かるよ。エディス、あなたは料理もできるのだね」
「ええ、一応は。庶民的な料理だけではありますが、以前はよく食事を作っておりましたので」
「料理人たちが普段使う大きなキッチンとは別に、もう一つ、この部屋からそう遠くないところに小さなキッチンがあるんだ。よかったら、そこを使って欲しい。これから、いつでも好きに使ってもらって構わないよ。後で使用人に案内させよう。必要な材料も用意させるよ」
「ありがとうございます。それから、薬草粥は私の分も合わせて二人分作りますので、私の分の昼食は不要です」
ライオネルも、エディスに向かって微笑みを浮かべた。
「ありがとう、エディス。君の手を煩わせてしまうのは申し訳ないが、是非、その薬草粥を食べてみたいよ。……父上、まだ僕の身体は本調子ではありませんが、さっきエディスが作ってくれた薬のお蔭で、随分と楽になったのですよ」
「よかったな、ライオネル。それに、表情まで別人のように明るくなったようだね。エディス、本当にありがとう」
エディスが、部屋を後にするライオネルの父の背中を見送ってから、ライオネルに視線を戻した時、彼の背中越しに見える中庭に面した窓の外で、植え込みの一部がかさりと動いたように見えた。
(……?)
エディスが思わず目を凝らすと、植え込みの陰から、アーチェの赤紫色の瞳が覗いていることに気が付いた。エディスと目が合うと、彼女は驚いたように目を見開き、身体を翻して走り去って行ってしまった。
(アーチェ様、いつからあの場所にいらしたのかしら。私たちのことを、見ていらしたのかしら……?)
エディスは内心で首を傾げた。程なく、エディスをキッチンに案内するための使用人が彼女を迎えに来たために、エディスはいったん、ライオネルの部屋を後にした。
***
「お待たせしました、ライオネル様」
エディスは、大ぶりの木のトレイの上に、湯気の立つ薬草粥の入った皿二つと琺瑯の鍋を乗せて、ライオネルの元へと運んで来た。食欲をそそる香りが、あっという間に室内に満ちる。
「いい香りだね、美味しそうだ」
「お口に合うとよいのですが……」
粥の入った皿を一つ手に取って、スプーンと一緒にライオネルに差し出そうとしたエディスだったけれど、少し元気が出て来た様子とは言え、まだ手元が覚束ない様子のライオネルを見て、一度皿を引っ込めた。そして、スプーンに一口分の粥を乗せると、ライオネルの口元へと運んだ。
「ライオネル様。まだ多少熱いですので、お気をつけて召し上がってくださいね」
「……あの、エディス?」
口元にスプーンを差し出され、戸惑った様子のライオネルの頬は、まだ顔色が悪い中でもはっきりとわかるほどに、恥ずかしげに染まっていた。
「さすがに、ここまで君に甘えるのは恥ずかしいのだが……」
エディスは、頬に血を上らせたライオネルを見て、くすくすと小さく笑った。
「そんなお顔をなさらないでください。薬草粥の入ったお皿も少し重いですし、今日は、婚約者になった私にこれくらいさせてください。まずは、ライオネル様に元気になっていただくのが一番ですから」
ライオネルが口を開くことを待っているエディスを見て、彼も覚悟を決めたようにようやく口を開け、エディスが運んだスプーンから粥を口にした。粥を口に含んだライオネルの顔が、途端に輝いた。
「……!! これは美味しいな」
「本当ですか?」
「ああ。薬草粥というけれど、薬の独特の匂いは感じないし、代わりにスパイスのような風味が効いていて、とても美味しいよ。いつも僕が食べていた粥は、正直なところ少し味気なかったのだけれど、これは食べるほどに食欲が湧くようだね。いくらでも食べられそうだし、身体の内側から温まるようだ」
「ふふ、そう言っていただけると私も嬉しいです。これは母から教わったレシピで、実は効能の高い様々な薬草が隠し味に入っているのですよ。たくさん作ってありますので、おかわりが召し上がれそうなら仰ってくださいね」
この薬草粥も、エディスは、ライオネルの身体に効くようにとの願いを込めて作っていた。にっこりと嬉しそうに顔いっぱいの笑みを浮かべたエディスを見て、ライオネルはさらに頬を染めると、独り言のように小さく呟いた。
「これは、心臓に悪いな……」
「? ライオネル様、今何か仰いましたか?」
「いや、何でもないよ。だが、君が婚約者になってくれてよかったと、僕が心の底から思っていることは確かだ」
あまりにライオネルが眩しそうにエディスを見つめるので、エディスの頬もふわりと染まった。照れ隠しのように、エディスは次の一口を乗せたスプーンをライオネルの口元へと運び、今度は彼もすんなりと口を開いた。
あっという間に皿は空になり、ライオネルは幾度か薬草粥のおかわりをして、エディスはそんな彼の口へと嬉しそうに粥を運んだ。エディスも、手早く自身の粥を食べ終えると、ライオネルと食後の談笑を楽しんだ。
中庭から、この時も二人をじっと見つめるアーチェの瞳があったことに、エディスは気付いてはいなかった。
アーチェは、思い出せないほどに久しく聞いていなかった兄の明るい笑い声が、部屋から漏れ聞こえてくるのを耳にして、エディスを見つめて目を瞬くと、ようやく、ぱっと咲くような笑みを幼い顔に浮かべたのだった。




