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幕間 イネスの恋路

「……お久しぶりですね。二月ぶりくらいでしょうか、レオン様」

「ああ、そのくらいだろう。久しぶり、イネス。もっとも、この頃ではかなり短いスパンの再会だが」


 次の日の夜。都内にある高級ホテルのバーで、ワタクシは昨日のメッセージの送り主と再会していた。


 彼の名はレオン・ブルゴーニュ様。ワタクシの家とは比べものにならぬほどの規模と資産を未だ保有し続ける、名実ともにフランス最優の家のその長男、つまりは次代当主の座を約束されている御方。……そして、ワタクシの許嫁。


「珍しいこともあるのですね。今まではあまりアジアに来られることはありませんでしたのに」

「偶然に仕事が重なってね。――マスター、彼女になにかノンアルコールの飲み物を」


 彼は慣れた口調でバーのマスターに注文をした。流石に高級ホテルなだけあって、フランス語でも問題なく通じているようだ。ちなみに彼はワタクシが来た時には既にカクテルを飲んでいた。まったく、相変わらず酒好きですこと。


「しかし、元気そうで良かった。君の事だから、あまり心配はしていなかったけれどね」


 彼はワタクシのことを異常なほど高く評価してくださる。ワタクシなど、所詮は貧乏貴族の端くれの、しかも末っ子に過ぎないというのに。……本当に、良く分からない。なぜ、こんなにもワタクシを大事にしてくださるのだろうか。まあ、ワタクシの立場でそれを聞くことは叶わないけれど。


「……と思っていたが、少し表情が暗いように見えるな。なにかあったのかい?」

「い、いえ。時間が時間ですから、少々眠気を覚えただけですわ」


 時刻は既に23時を回っている。……だから、この言い訳は全くの嘘というわけではない。もちろん、表情の真意は別にある。以前にアキラには話したけれど……やはりまだ、彼の横に座ることには抵抗があるのだ。ワタクシ如きでは、とても彼の横にいるのにふさわしい女ではないと思えてならないから。


「そうか。……そういうことにしておこうか」

「ええ。……ありがとうございます、レオン様」


 お見通し、なのだろうか。もしそうならば、その真意を聞いてこないのは、優しさから? それとも……。いや、この考えはよしましょう。彼に限って、そんなことはないでしょうから。


 *


「学校は楽しんでいるかい。……以前会ったあの子とは、まだ仲良くしているのかな。えーと、そうだ、星之宮クリス、といったかな?」

「ええ、それはもう。今でも一番の友人ですわ。……にしても、よく覚えておられましたね」


 レオン様はとても広い交友関係をお持ちだ。だからワタクシの友人の名前まで覚えていらっしゃるとは思っていなかったけれど……流石の記憶力だ。


「まあ、印象的な女性だったからね。あの規模の家に生まれて、あの感性を維持できているのは素晴らしいことだよ」

「……ええ、そうですね」


 彼にはクリスが再婚者の連れ子であることは教えていない。別に教えてもなんら問題はないでしょうけど……でもまあ、万が一にも面倒事の種になるのは避けなければならないし、黙っておくのが得策でしょう。


「……やはり君は、引け目を感じているのかな」

「……え?」


 唐突な問いに反応が止まってしまう。……先程のワタクシの表情についての話の続きだろうか。でもそれにしても、あまりに脈絡がなさすぎる。


「すまないね。でも、今になっても君の表情は暗く影を落としたままだ。眠気を感じているだけ、ではないだろう?」

「……そう、ですわね」


 否定できなかった。いや、否定したくなかった。なぜなら、彼の瞳の色は間違いなく誠実そのものだったから。そんな彼に嘘の申告をするなど、ワタクシには到底できるものではない。


「確かに僕は、ブルゴーニュ家の次期当主だ。その許嫁という立場が君に重荷を与えてしまっていることも、承知はしているつもりだ」


 やはり、お見通しでしたか。……本当に、すごい御方だ。


「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「ああ、いいとも」


 彼に初めて会ったときからの疑問。ずっと感じていた、でも聞けなかった疑念。でも、今ならば聞ける気がする。


「なぜ、ワタクシにこんなにも愛を与えてくださるのですか? あなた様とワタクシではあまりに立場が違いすぎます。本来ならば、ワタクシはあなた様の前では顔を上げることすら許されないほどに。それなのに、なぜ、あなたは――」


 そこまで言ったところで、レオン様がワタクシの言葉を遮った。


「そんなもの、愛しているからに決まっているじゃないか。……僕がこう思うことは、不思議なことかい?」


 その言葉に、嘘偽りの類は一切感じなかった。……でも、まさか、本当に? 彼が、ワタクシのことを? 到底、信じられるものではなかった。でも――


「確かに、家の立場を見れば、君と僕の婚姻は政略結婚としか見えないかもしれない。……でも、君を許嫁に選んだのはこの僕自身だ。決して、君の家に言われたからではない」

「そう、だったのですか……?」


 彼との婚約については、ワタクシは何も聞かされていない。……てっきり、うちの家が無理を言って取り付けたものだと思っていたのだけれど……。まさか、レオン様からの申し出だったなんて。


「ああ。キミと初めて会った日、……まだ、キミは10歳だったかな。その日の内に決めたんだ。キミしかいない、ってね。ま、まだあの時は僕もまだ16だったし、早く決めすぎだ、って親には怒られたけど。でも、後悔はしていないさ。なにせ、キミはとても素晴らしい女性だからね」

「レオン様……」


 まさか、そこまで想っていてくださっていたなんて。……いや、大切に想われていたことは分かっていた。でもそれは歳の離れた妹に対してのようなものだと思っていた。まさか、本当に女性として愛してくださっていたなんて。


「もっと最初のころに伝えておくべきだったかもしれないな」

「いえ、良いのです。……ありがとうございます。――ワタクシも、あなた様のことをお慕いしておりますわ。それこそ、初めて出会ったあの日から、ずっと」


 やっと、言えた。今までずっと言えなかった一言。


「良かった。それをキミの口から聞けて嬉しいよ、とても」


 *


「また日本に来るときは連絡するよ。……今度はそっちの屋敷に泊まれるくらいの日取りで来ようかな」

「ええ、お待ちしておりますわ。……今日は、会えて嬉しかった」


 始めは、会いたくないとまで思っていたけれど。でも、結果としては最高の夜になった。……なにせ、思いもよらない彼からの告白を聞けたから。


「ただいま、ナタリア」


 彼と別れ、待っていてくれた車に乗り込む。……運転席に座るメイドのナタリアは、ワタクシの顔を見てなにやら意味深な笑顔を浮かべた。


「どうやら、なにかいい事があったようですね、お嬢様」

「……まあ、否定はしませんわ」


 ……あまり自覚はないのだけれど、どうやらかなり緩んだ顔をしていたみたいだ。


 明日には直っていると良いのですけど。……だって、クリスにバレたらきっと根掘り葉掘り聞かれてしまいますもの。


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