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7 やがてキュウになる②

 ひととおりのメソッドをさらい、食事の時間になった。


 親子丼だった。【home】では珍しい庶民的な料理といえよう。

 ダイニングテーブルで、今回は珍しくスイと一緒に食べることになっていた。


「先生、やっと普通にご飯が食べられるようになったんですね」


 これまでは重湯かやわらかめの粥のようなものしか受け付けなかったらしいから、素直にいいことだとマドカは思った。


「まあな。まだ量は食べられんが」


 実際、子供用かと思うような小どんぶりに親子丼が盛られている。


「そんなんで身体、大丈夫なんですか?」


「しかし食えんものは食えんからなァ」


 苦笑い気味にスイは言う。

 実際、その小どんぶりの半分ほどしか食べていないのに、彼の手は止まってしまった。ため息まじりに木の匙でご飯をつついていたが、不意に、何か思いついたかのように顔を上げた。


「そうだ九条君。前に君、分母の有理化がどうのこうの言ってたよね?」


 ちょうどマドカはみそ汁に口を付けた時だったので、あやうく吹きそうになった。


「食後の腹ごなしに、後で分母の有理化をさらおう。まずは簡単な例題を出すから……」


「せ、先生、先生。それはアチラから戻ってきてからで、十分、間に合う件ですから……」


 あわててマドカはそういったが、スイ先生はしかし、魔王っぽく片頬だけで笑った。


「何を言う。分母の有理化で引っかかってるってことは、他にも『フィーリング』でわかった気になってる単元があるだろう? この際だ、それを一個一個潰してゆこう。なーに、心配するな。アチラへ行く前からやっていても潰しきれるかわからないくらい、君は今まで、数学を『フィーリング』で解いているはずだ」


 否定できないマドカとしては、絶句するしかない。


「今度は君に、数学は論理だときっちりわからせてやろう。証明問題が得意なんだから、決して論理的な思考が出来ない訳じゃなさそうだし、すぐにわかってくれるだろうがな。これから食後30分から1時間を、数学のお勉強にあてることにする」


(お、おいおい~。今度は数学で『わからせ』かよ~、このドS!)


 心で叫び、マドカは食卓に突っ伏した。



 何故か数学込みの特訓が、こうして続いた。

 現実での『部活の時間』をみっちり使い、能力の精度を上げ……金曜日。

 帰宅時に、キョウコさんからこう言われた。


「明日の土曜日。いよいよ『Darkness(アチラ)』を叩きに行く。覚悟を決めてくれ」


 一気に緊張が高まる。

 ひきつる頬で、マドカはうなずいた。

 スイが静かに言う。


「必要以上に緊張しなくてもいい。今の君の能力は十分、アチラでの闘いで通用する。通用するように訓練したから、過剰な心配はいらない」


「はい」


 では、と、キョウコさんが後を引き取る。


現実(リアル)時間の午前8時30分に【home】へ来てくれ。ここに原点を設置し戦闘エリア(バトルフィールド)を広く展開、アチラへ向かう。【home】とつながっていることで、生身の身体の呼吸や、聴覚や視覚への悪影響が最小限に抑えられるはずだからな。だがそれでも、おそらく3~4時間ほどが限界だ。だから正味で、1時間から1時間半ほどの勝負になるだろう」


 うなずくマドカへ、スイは言う。


「今日は帰ってゆっくり休んで……明日。体調を整えて、来てくれ。明日は師弟ではなく相棒(バディ)として共に最善を尽くそう。……【eraser】・エン」


「はい、よろしくお願いします。……【eraser】・スイ」


 二人は顔を見合わせ、ニヤッと笑い合った。


 『明日は師弟ではなく相棒(バディ)として』というスイの言葉に、ちょっと……感動、した。



 帰宅し、いつも通りに過ごす。

 心のどこかがざわついた感じはあるが、比較的平静に過ごせた。

 食事を普通にとり、ゆっくり風呂に入り、早めに床に就く。

 眠れる気はしないが、ベッドに横になって静かに目を閉じた。


 町のざわめきが、冴えた耳によく響いてくる。

 階下で動く、両親の気配も。

 生きているんだ、皆。


(……破滅(カタストロフィ)は嫌だ)


 地獄の阿鼻叫喚であろうと、一夜の夢のような音すらない消滅であろうと。


 子供のような頑是なさで、そう思っているだけなのかもしれない。

 でも、嫌なものは嫌だ。

 その思いを新たに噛みしめ、マドカは、寝返りを打って強くまぶたを閉じた。



 翌朝。

 思っていたよりは眠れたらしい。

 寝返りを打ってきつく目を閉じた後は、窓から夜明けの光が差し込むまでの記憶がない。

 午前5時過ぎ。

 まだ早いが、もう眠れない。


 スマホを探り、曲を選択。

 古い時代から繰り返し聞かれている、今でも現役であろう応援歌だ。

 ワイヤレスイヤホンで、リピートで聞く。

 女性シンガーの透明な歌声を聞きながら、マドカは少しだけ、泣いた。



 午前7時過ぎ。

 少々早いが、家を出る。

 『今日は学校で、自由参加の補講がある』と、昨日のうちに両親に言っておいたので早めに出かけること自体は何も言われなかったが、制服を着なくてはならないのがちょっと面倒だ。

 さすがに衣替えになったので冬服ほど暑苦しくはなくなったが、Tシャツとジーンズに比べれば格段に窮屈だ。


(まあ俺は、主に後方支援的な役だから。あの人ほどは動き回らないからいいんだけどね)


 そんなことを考えながら、アリバイ作りではないが、電車に乗って学校へ向かう。

 いつもの時間には校門が開くので、とりあえず入る。

 クラブハウスへ向かう。

 この時期の文化系クラブで、土曜まで活動しているところはない。

 だから、クラブハウスは無人だ。

 そこで8時を過ぎるまで待って……おもむろに彼は、スマホのストラップを取り上げる。


「【home】へ帰還」

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