第99話 エピローグ
「今日の見回りも完了、と」
俺はアルネスト周辺の哨戒を終え、伸びをしながら独り言ちた。まだ日が出ており、夕暮れまでには時間があった。
港湾都市バルド・バルジでの戦いから、すでに一ヶ月以上が経過していた。すでに夏の暑さは過ぎ去り、季節は秋に変わろうとしている。
俺は相変わらずアルネストギルドで冒険者指導員として働きつつ、オルカルバラ領代官補佐として、ヒロカちゃんをサポートするといった生活に戻っていた。
が、大きく変わったことがいくつかある。
まずはヒロカちゃんが、アンディルバルト商会との戦いを経て大きく成長し、もはや俺なんかの助けを必要としなくなったことだろう。
ヒロカちゃんはバルド・バルジにて一度、覚醒した。
が、まだその時ほどの力を発揮・継続するには至っていないそう。本人曰く、あの時は激しい感情の昂りがトリガーとなって能力が向上したと話していたが、その原理は未だ研究途上にあった。
しかしそれでも彼女の《空気を読む》力は成長し、《恩恵読破》を経て今や《空気支配》とも呼べる、場を支配する力へと変貌していた。
主だった力を上げるとすれば、目の前の空間に満ちる大気(内の魔力)へと干渉し、様々な現象を発生させられるようになった。
ただまだ範囲が狭いうえ、継続力、操作能力も低いらしく、確実に意図した現象を一、二回発生させるとへとへとになってしまうのだそうだ。その辺りは今後の課題と言えた。
ヒロカちゃんが言うには、現状で一番使いやすいのは空間に回復魔法に類する魔力を充満させ、それを吸入した者の状態を回復させることだそうだ。
なんにせよとんでもなくすごいぞ、ヒロカ・エトノワ!
先生としては誇らしすぎる!
「ヒロカちゃん、今日も遠征に行っちゃってるしなぁ。俺ばっかり、こんな平和でのほほんとしてていいのだろうか」
俺は平原の遠くを見つめて、ため息を吐く。
バルド・バルジでの事件後、ヒロカちゃんは我らが領主ルカ・オルカルバラに本気で気に入られ、領主としての英才教育を受けることとなった。要するに代官ではなく、真剣にアルネストの領主にしようとしているわけだ。
そのため、俺以上にダイトラスとアルネストを行き来したり、宰相であるルカに同行する形で、各国との交渉の席などに参加しているらしい。
あぁ、出世街道まっしぐらとはこのことか。
彼女の先生としては鼻高々ではあるけれど、同時に劣等感が刺激されて若干居心地が悪いぜ。
「シーシャも帰ってこないしよぉ……しょぼくれちまうぞ、俺は」
風の噂で聞いた話では、あれからアンディルバルト商会は大きく事業転換をしたらしい。
まず、あらゆる地域で手広く行っていた魔石売買の既得権益を手放し、取引規模を縮小した。そのおかげで、魔石が各地で適正価格で取引されるようになり、冒険者(特に魔石堀り)への金回りが良くなり、生活水準が向上した。
さらに、商会の元々の流通網を生かして運送業や交通事業を開始。様々な土地で交易などで行き交う人々の脚となり、すでに世界各地で重要な交通インフラと化しているそう。
そんな風にして、次々と事業を当てている大企業の社長(前世の感覚で言えば)が――シーシャなのである。
あぁもう、俺ばっかりここ辺境アルネストでのほほんとしてるみたいな気分になるから、みんな忙しく働かないで(暴言)! 帰ってきて俺と一緒に飲んだくれてくれ(ヒロカちゃんはまだ飲んじゃダメだけど)!!
「はぁ……まぁ、いいんだけどさ」
色々と考えることはあれど、今の暮らしが過不足なく幸福なのは間違いない。
前世の人生で学んだのはなにより『無理は禁物』ということだからな。せっかく戻ってきた平穏無事な生活なのだ、もう少しぐらい満喫しようではないか。
「…………ん?」
ふと、アルネストに戻ろうと振り向いたタイミングで、誰かに呼ばれた気がした。
もう一度振り返って背後を確認するが、人影はない。
あるのは夏の終わりの雲が作る、いくつかの日陰だけだった。
「……気のせいか」
ため息交じりにまた振り返り、アルネストの町中へと戻ろうと一歩を踏み出した――そのとき。
「ただいま、ユーキ」
「おわっ!?」
シーシャの声が聞こえたと同時、背中に重み。
俺に覆いかぶさるようにして、抱きついてきたような恰好だった。
まさかシーシャのやつ、ギフトで影に隠れてたな!?
「帰ったぞ、ユーキ」
「お、おぉう。ビックリするだろシーシャ!?」
「驚かすつもりだった。作戦成功」
「まんまとやられたわ!」
俺はシーシャをおんぶしたまま、笑った。シーシャも無理に背中から降りようとせず、会話を続けてくれた。
ひとりきし笑いあったあと、俺とシーシャは向かい合うようにして立った。
「……おかえり、シーシャ。会いたかったぞ」
「ん。わたしもユーキに会いたかった。待ち遠しかった」
若干恥ずかしい台詞だったが、しっかり言わねば伝わらないこともあると思い、声に出す。
シーシャは相変わらず無表情だが、少し頬が赤い気がした。夕暮れにはまだ早いよな?
「…………」
「…………」
黙ったまま見つめ合っていると、どうしてかシーシャの唇に視線が吸い寄せられた。こ、こんなにシーシャの唇って、ツヤツヤしてたっけ……? い、いかん。初デートの中学生みたいに心臓がドキドキしてる……! もう還暦(中身)なのに!!
「ユーキ、鼻の下伸びてるぞ」
「おべ、べ、別に伸びてねーよ!」
「焦りすぎ。前の別れ際を思い出して興奮したか?」
「し、してねーっつの! 俺は全然、手慣れて――むぐ!?」
突然。
俺の口を塞ぐようにして——シーシャが、キスをしてきた。
「……これでも、興奮しないか?」
「…………すいません、興奮しました」
「素直でよろしい」
キスの後、耳に届くシーシャの声は、甘く、とろけるようで。
俺は理性を保っているのがやっとだった。
あぁ、俺の人生も捨てたもんじゃないな!!
◇◇◇
某所。
暗闇の中にぽつりと、燭台の灯が浮かんでいる。それを持つ者は、特徴的な装飾が施された司教冠を被り、独特な色彩のローブを身にまとっていた。それらは高い地位にある聖職者の装いであった。
ミトラとローブの背面には、巨大な樹木の姿が裁縫されている。この世界に生きる者ならば誰もが知っている存在――世界樹であった。
「大変お待たせいたしました。ようやく――」
そこで聖職者は、膝を折って跪いた。そして燭台の光を、台の上に置かれた何かへ向けつつ、満面の笑みを浮かべた。
蝋燭の灯で浮かび上がった顔は、見る者を震え上がらせるほどに気味の悪い笑みだった。
「ようやく、魔王様に相応しい身体を、発見してございます」
男は言い、さらにほくそ笑んだ。ぐしゃぐしゃに潰れた果実のように笑った顔は、もはや人間の笑みではないようにすら感じられた。
壮絶な笑みを浮かべたまま、男は懐から、小さく折りたたまれた羊皮紙を取り出した。それは主に、ダイトラス王国で売られている勇者の肖像画の一枚だった。
描かれているのは、黒く艶やかな髪が美しい少女。
その髪を一つに束ね、馬の尻尾のような髪型をしている少女。
史上最速で勇者となり、雷鳴を轟かせている少女。
「ヒロカ・エトノワ。彼女こそ、魔王様の器に最適な肉体となることでしょう」
暗闇の中、男の不気味な哄笑が、響き続けていた。
※これで第三章は終了です。ここまで応援ありがとうございました! 引き続き応援いただけますと幸いです!




