第98話 陽はまた昇る
遠くの空がぼんやりと、青白く変色しはじめていた。
アルネストを背にしたまま、わらわは世界樹の姿を照らす太陽の端っこを見た。
夜明けが、近い。
「……もう、朝になるようじゃのう」
「本当だ」
肩を並べてアンディルバルト商会の刺客を屠り続けたわらわとレイアリナは朝日の方を向き、背筋を伸ばして胸を張った。
わらわたちの眼前には、《死霊魔法》によって死後も操られ続けた屍の山が転がっている。つい先ほど、ヤツらは糸の切れた人形のようにその動きを止めた。おそらくはユーキらがなんとかした、ということだろう。
わらわたちも、踏みとどまった。
「死者の魂よ、永久に眠れ……《ファイアヒュージボール》」
わらわは屍となった後にも弄ばれた者たちを弔おうと、最後の炎を作り出す。
練り上げた魔力が、大きな爆炎となって奔っていく。
後には、ただただ荒野だけが広がっていた。心地よい朝の風が、ゆっくりと吹き抜けていく。
アルネストを、守り抜いたのだ。
「礼を言う、レイアリナ。そなたらが現れなかったら、はっきり言って危なかった」
わらわは帽子を取り、隣の最強勇者へ向けて頭を下げた。
奴らが来ていなければ、正直どうなっていたかわからん。
「アルネストはボクにとっても大切な場所だから。こちらこそ、一緒に戦ってくれてありがとう、大賢者ヴィヴィ」
「うむ」
互いを認め合うようにして、わらわたちは握手した。
「お二人ぃぃ、私もいますぞぉぉ! 褒めて褒めてぇぇ!!」
「「お前はまだまだ修行が足りない」」
少し遠くの方で手を振るイルミナを二人同時に叱責した後、わらわたちは笑い合った。
じきに、いつもと同じ気持ちの良い朝がやってくることだろう。
◇◇◇
ゆるやかに朝の光が辺りを包む中、グラーデス・アンディルバルトを打倒した俺たちはそそくさとバルド・バルジを退散し、魔法馬車のある合流地点まで移動してきた。
各自、見るまでもなくボロボロで満身創痍だが、どこか大仕事を終えた後の達成感、安堵感のようなものが漂っていた。
「また、アンタたちに色々と押し付けたみたいになっちまったね」
「いやそんな」
近くの切り株に腰掛けた我らが領主、ルカ・オルカルバラが言う。心なしか、いつもよりその巨体が縮んで見えた。すでに傷の応急処置を終え、身体中には包帯が巻かれている。
「傷がどうこうってより、そもそもの体力がガタ落ちしてるってのがショックだねぇ。昔は一昼夜戦い抜くなんてのは日常茶飯事で、息をするぐらい自然にできたもんだったが……本当に、歳は取りたくないもんだ」
いやいや我らが領主様、実年齢はいくつか知らないけど、あれだけ善戦しといて『体力がガタ落ちした』って、全盛期どんだけなんだよ。
大戦を経験した世代、マジで恐ろし過ぎだろ。
「すー……すー……」
「……よく眠ってるな」
俺の背中では、グラーデスを滅ぼしてすぐ気を失ったヒロカちゃんが、寝息を立てていた。
徹夜に慣れていないであろう中で夜通し戦い抜いたこと、突如の覚醒をも経験したと考えれば、彼女はとうに限界を超えていたはず。全てが片付いた今、ゆっくり眠らせてあげたい。
俺は魔法馬車内のふかふかソファに、起こさないようゆっくりとヒロカちゃんを横たえた。うん、起きてないな。
「……寝顔は年相応なんだけどな」
ヒロカちゃんの顔を見て、思わずつぶやく。
寝顔だけを見ていれば、あれだけの大活躍をし、超常的な力に目覚めた人にはまるで見えない。
年頃の、可愛い少女のままだ。
「おっと。あんまりまじまじ見るもんじゃないな」
自分の非常識に気が付き、馬車の扉を静かに閉めた。
「ユーキ」
「シーシャ」
馬車から離れると、シーシャが立っていた。
グラーデスに付けられた刻印は薄くなり、消えかかっている。それが何よりも、忌まわしき悪の首領が死んだことを物語っていた。
「わたしはひとまず、バルド・バルジに残って商会内の混乱を収めたいと思ってる。その後で、アルネストに戻ろうと思う」
「えっ」
シーシャの口から語られた言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「俺たちと一緒にアルネストに戻ろうぜ? あの組織は、シーシャの人生を搾取し続けたんだ、この混乱に乗じて潰えるべきだ」
「いや、私が商会を立て直したいと思ったんだ。裏では最悪なことをしていた組織だが、表では人々の役に立つ商売をしていた。なにも知らないまま一生懸命に働いていた人も、商会には大勢いるはず」
「それは、そうだろうけど……」
押され気味になり、俺は言葉が続かない。
「そういう人たちと協力して、アンディルバルト商会を正真正銘の商会に生まれ変わらせたいと思ってる。それに一応は、行く宛のなかったわたしを生かしてくれたところでもあるから」
「だけど、それはシーシャの人生を搾取して——」
「いい。搾取された過去を嘆き続けるより、わたしは未来を見ていきたい」
いつも通りの無感情な声音だが、その眼には強い光が宿っていた。
「……そっか。じゃあ、一人で背負おうとしてるわけじゃ、ないんだな?」
「ああ。アルネストを出るときとは違う。信じてほしい」
「そりゃ、信じるけど……」
淡々と語るシーシャの言葉に、俺は思わず後頭部を掻く。
あーもう、でもちょっと心配だよなぁやっぱり。
「やっぱり心配か?」
「そりゃ、そうだろ」
「じゃあ……これなら、信じてくれるか?」
「ぉ!?」
と、そこで。
――シーシャが俺の頬に、キスをした。
「ユーキ、アルネストで、わたしを待っててくれ」
「は、はい」
「わたしが戻ったら、たくさん褒めてくれ。約束だぞ」
「は、はい」
突然のことに、俺の思考回路はショート寸前。
いや、すでにショートしてしまっている?
「それじゃまたな、ユーキ。――わたしを助けてくれて、ありがと」
「……っ!」
惚けて固まった俺を差し置いて、シーシャは手を振ってバルド・バルジに戻っていった。
俺は頬に残った感触を確かめるように、自分の顔を触った。若干、にやけてしまっていた。
遠く離れていきながら手を振るシーシャの顔は――満面の笑み。
俺が予想していた何十倍も魅力的な、笑顔。
「……ったく。こんなんされたら、待ってるのもツラいっつーの」
どうしようもなく高鳴る胸の鼓動を誤魔化すように、俺は独り言をつぶやいた。




