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第96話 晴れぬ闇

 アンディルバルト商会の首領グラーデス・アンディルバルトが、自らの炎によって焼失していく様を、シーシャは遠目で確認した。燃え尽きたあとには、ひっそりとした深夜の静寂が戻ってくる。


「すごい……」


 シーシャの口から思わず呟かれた言葉は、ヒロカへ向けてのものだ。

 覚醒したヒロカの力は、グラーデスを圧倒した。空気を読むだけでなく、空気を支配し意のままにするその力は、誰も敵わないとすら思えた悪の首領をねじ伏せた。


 ヒロカの持つポテンシャルが、本当に天井知らずなのだと思い知らされたような、そんな気分だった。


「はぁ……はぁ……っ」


 しかし、圧倒的とも言える能力を、完全にものにしたわけではないようだった。かなりの無理をしていたらしく、燃え盛る炎が引くのを見届けた後で、ヒロカは地面に手を着いた。肩を大きく上下させ、荒々しく呼吸を繰り返している。


「ヒロカ!」


 シーシャはヒロカの元へ、すぐさま駆け寄った。傍によって見ると、額には汗が浮かんでおり、顔色もあまり良くない。

 

「シ、シーシャさん……先生は?」

「ユーキは大丈夫そうだ。ヒロカのおかげ」

「よかった……」

「それよりヒロカの方こそ大丈夫なのか? さっきまでの力、かなり無理をしていたんじゃないのか?」


 まだ呼吸の落ち着かないヒロカの背中をさすりながら、シーシャは質問を投げかける。対するヒロカは一度大きく息を吐いてから、自分の掌を握ったり開いたりした。その動きはなにかを確認しているように見えた。


「……無我夢中というか、そんな感じになっていたので、あまり詳しいことはわからないんですけど……操られたシーシャさんがユーキ先生を傷つけた瞬間、怒りなのか、悲しみなのか、とにかく自分じゃ御しきれない激しい感情が身体の奥から湧いてきて……」

「すまない。わたしが不甲斐ないばっかりに」


 話の腰を折ってしまうことを承知で、シーシャは一度詫びを入れた。

 どうしても、自分を許すことができなかった。


「シーシャさんのせいじゃないです。でもシーシャさんが自分を責めちゃうってわかったから、余計に私、あのグラーデスって人に腹が立って……それで気付いたら私、《ギフト》でいつも以上のことができるって、そんな気がしてきて」


 シーシャを気遣いつつ、ヒロカは慎重に言葉を紡いでいた。未だ自分のしたことが信じられない、といった表情のように感じられた。


「……とにかくヒロカ、ありがと」

「あ……えへへ」


 シーシャがヒロカの頭を撫でると、ヒロカは安心したようににへら、と笑った。

 こうして屈託なく笑うと、先程までの超常的な強さを発揮した勇者にはまるで見えず、年相応の可愛げな少女そのものだった。


 二人は少しの間、微笑み合った。


 ……が。


「「っ!」」


 突如として、二人の背を寒気が走る。次に全身が、ぞわりと粟立っていく。

 まさか――


『ハハ……まさか、本当に私に勝ったとお考えでしたか?』


 鼓膜を直接震わせるように、不愉快な声が響いてきた。次の瞬間には、周囲の暗闇が意思を持ったかのように再び蠢き出す。


『魂を移送させ、肉体を渡り歩くことができる私が、身体が燃え尽きたぐらいで死ぬわけがないでしょう』

「グラーデス……!」

「く……!」


 周囲の闇が、朧げに輪郭を成す。あれこそがグラーデスの本体――。

 生き永らえ、闇そのものとなったようなグラーデスからヒロカを守るように、シーシャはファルシオンを構えた。だが、ヤツへの明確な対策などなにもなかった。


『私は魔王様復活のため、まだまだ動かなければいけない。そのためには今の地位と組織をさらに盤石なものにし、世界を裏から牛耳らなければならないのです。そうして、人の世に闇を生み出し続けなければ。大切なのは、わかりやすい一過性の混沌ではなく、永劫緩やかに続く不幸なのです。搾取構造、既得権益、格差社会……そういったものを一切の変化なく存続させ、無知蒙昧な人間たちが無意識に奴隷であり続けるような、そんな世界の到来こそ、我が本懐であり宿願ッ!!」


 疑似的な“死”を体感したことでハイになっているのか、グラーデスは饒舌に語る。


『そして、その理想の世界を実現するには、ヒロカ・エトノワ、あなたの力は最高に有用だッ!』


 瞬間、周囲の漆黒がさらに広がり深くなったように感じられた。

 シーシャとヒロカは闇の中で、身を寄せ合うことしかできなかった。


◇◇◇


「吹き飛べッ!!」


 わらわの得意な魔法であるファイアヒュージボールが、数体の()()()()を巻き込んで飛んでいく。

 が、ヤツらを全滅させるには至らず、ゆっくりとだが確実に防衛線を侵されつつあった。


「ちぃ、ここまでか……!」


 今しがた放った魔法が、体感的には最後の一発じゃったな……。

 アルネストの守備を任されていたわらわは、絶え間なく襲い掛かってくる刺客たち(の死体)を、なんとか迎撃し続けていた。

 だが、わらわは元々魔力の変換速度が遅く、持久戦には向かないタイプである。

 すでに息も上がり、身体にも気怠さがまとわりついてきていた。

 ここから見る限り、アルネストの周囲で戦う守備隊の面々も、疲弊が色濃かった。


 もはやこれまでか……。

 確かな絶望が、すぐそこに迫ったとき。


「んなっ!?」


 遠くで、爆発が起こった。

 あれは、まさか――


◇◇◇


「くそ、どうすればいい。どうすればヤツを消し去れる」


 蠢く闇――グラーデスの本体と対峙しながら、シーシャは必死に頭を回転させていた。

 しかし妙案が浮かぶことはなく、徐々に絶望がその心を侵食しつつあった。


「はぁ……はぁ……私が、なんとかします……!」

「やめろヒロカ。これ以上無理すれば命が危ない!」


 逼迫した状況で、背後のヒロカが覚悟を決めたように言った。

 ――ダメだ、あの力を以てしても、もしかしたらグラーデスの本体を滅殺できないかもしれない。そんな不確定なことに、ヒロカの命を賭けさせるわけにはいかない。


 シーシャは手を広げ、動こうとするヒロカをなんとか押し止めた。


『ハハ、絶望に歪む人間の顔は本当にたまらない! それがあなたたちのような美しい女であれば、なお良いものです!!』


 眼前の闇は、なおも際限なく広がっていく。

 誰でもいい、助けて――


 現実逃避をするように、シーシャが瞼を強く閉じたとき。


「シーシャ、ヒロカちゃん。ナイス、よく頑張った」

「「――――っ」」


 一番聞きたかった声に、耳が震えた。


「あとは、任せろ」



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