第94話 シーシャの反攻
「ああぁぁ……ああああああああぁぁぁぁ!!」
シーシャ・アンディルバルトの叫び声が、港湾都市バルド・バルジの闇夜を切り裂くように響いた。
ずっと今まで、悪夢の中にいるような感覚だった。
そんな状態だった意識が、今しがた急に覚醒させられた。悪夢から醒めた途端、その眼に飛び込んできたのは……ユーキがゆっくりと頽れ、倒れていく映像だった。
まだ、悪夢が続いているのだろうか?
目の前で自分に微笑みを向けてくれていたユーキが、血を吐きながら倒れ伏していく。そしてその原因となる傷を負わせたのは、シーシャ自身であるという揺るがぬ認識。
――わたしが、ユーキを傷つけたんだ。
その事実を脳が受け入れ理解した途端、シーシャの心には激しい感情の濁流が渦巻いた。
「ああぁぁ……あああぁぁぁぁッ!!」
シーシャは身を引き裂かれるような感情の奔流に抗う術を知らず、自分の鼓膜を破らんばかりに叫び声を上げ続けた。そうして限界を迎えた喉から血が溢れ出てきても、発声をやめなかった。それはある種の自戒であり、自傷行為とも言えるものだった。
ユーキを斬ってしまった自分への怒り、不甲斐なさ、悲しみ。
しかしそれ以上に、その全てを飲み込んでしまうほどの――怒り。
商会の首領であり、自らの父親だと名乗ってきた男への、強く激しい確固たる怒り。
シーシャはその怒りの渦に、身を任せた。
「死ねぇぇッ!!」
すでに象徴となっていた鉄仮面を外し、素顔を晒していた首領――グラーデス・アンディルバルト目掛けて、シーシャは跳躍した。ユーキの血が付着したファルシオンは、すでにその手に握られている。
「シーシャ、いついかなる時も感情的になってはいけないと教えたはずです」
「うがああぁぁ!!」
ため息交じりの見下したような声が、シーシャの神経を逆撫でする。増幅した怒りを力に変えるようにして、シーシャはファルシオンを振り回した。
「アタシにも殺らせなぁぁ!!」
グラーデスと対峙し続けていたルカ・オルカルバラが、シーシャに負けじと巨体を暴れさせる。ファルシオンと鋼鉄の刃が、グラーデスへと迫った。
「何度も言わせないでください。感情の乗った攻撃は読みやすいものなのです」
が、筋骨隆々の見た目にそぐわない軽快さで、グラーデスはひらりと素早く身を翻し、シーシャとルカの攻撃を躱した。
――まだだ、逃がさない。必ずわたしが殺してやる。
「シャアアァ!!」
シーシャは威嚇する猫のような声を出しながら、身体を躍動させる。シーシャ自身はスキルによる肉体強化を学んだ経験はないが、殺人術を叩き込まれる中で、自然と身についていた。
魔力が身体の各所に流れ込む際、傷が痛むような感覚があった。が、今のシーシャにそんなものは関係なかった。
――目の前のコイツが、ユーキを斬らせた。わたしがコイツを殺せなければ、もう本当にわたしはユーキに顔向けができなくなってしまう。
「うがぁぁぁ!!」
「はぁ、醜いですね。以前のあなたはもっと洗練されていたのですが」
こんなときでも冷静さを失わず、冷淡なグラーデスの声。シーシャにとってはそれがとにかく不愉快だった。
「ぎぃぃ!」
「ほう、《影虚》ですか。この私にそれが通用するとお思いで?」
瞬時に影に潜り込み、シーシャはヤツの足元からの攻撃を狙った。
しかし。
「フフ、これでも近づけますか?」
「あぐ、がぁぁぁぁ!?」
「っ!?」
シーシャの潜った影ごと、グラーデスが周囲の闇を炎の海へと変えてしまう。それに飲み込まれ、ルカが火だるまにされてしまう。
「シーシャ……お前は本当にわかりやすい人間になってしまった」
「ぁぐ!?」
恩人であるルカを助けるため、咄嗟に影から腕を出したシーシャだったが、その腕をグラーデスに取られてしまい、完全に背後を取られてしまう。
「優しさや思いやりなどという軟弱なものを覚えてしまったお前の精神はもういらない。肉体だけを置いて燃え尽きなさい」
「ああ、ああああぁぁぁぁ!!」
グラーデスはシーシャの腕を握ったまま、燃え盛る炎を顕現させた。
腕が焼け焦げる痛みに、シーシャは悲鳴を上げることしかできない。
「いいですね、その声。もっと、もっと聴かせてください!」
「ああ、っぁぁああ!!」
――わたしはヤツに、敵わないの? ユーキの仕返しすらも、できないの? そんなの、悔しすぎる……悔しすぎるよ……!!
シーシャはそこではじめて、視界がぼやけ、自分が涙を流していることに気付いた。それは彼女にとって、物心ついてからはじめて流す涙だった。
――ごめん、ユーキ。ごめん、みんな。最後まで結局、迷惑をかけ続けてしまった。
シーシャは痛みと悲しみのあまり、様々なことを諦めかけた。
と、そのとき。
「許さない」
誰かの、恐ろしく冷たい声が鼓膜を揺らした。
気が付くと、シーシャとルカを焼いていたはずの炎は鎮まっていた。
「…………?」
誰かの、耳の奥まで凍らせるような、低く、冷たい、震えた声。
弱々しいのに、決して誰も聞き逃すことのない、芯の通った声。
いや……空気そのものが声に成り代わったような、その場の大気が語っているかのような、そんな声。
シーシャは背筋が寒くなり、反射的に背後を振り向いた。
その視線の先にいたのは――ヒロカだった。
「ほう……つい先程までの、か弱いウサギのような雰囲気とは違いますねぇ」
同じようにヒロカの変化を察したグラーデスが、余裕を滲ませた声で笑う。
「……あなたを許さない。私の大切なものを傷つけるあなたを、私は絶対に許さない」
ヒロカの声に合わせて。
場の空気が、大気が――震え、蠢いた。




