第93話 猛威を振るう死霊魔法
暗闇の中、シーシャの持つファルシオンが掲げられ、刃が揺らめいた。
地面を蹴った俺は、ただただその瞬間を止めるべく脚を動かし、跳ぶように走った。
頼む、間に合ってくれ。
「死ん、で……ヒロカ……」
「シーシャさん、やめ――」
操られているシーシャの、たどたどしい言葉の後。
――刃が、振り下ろされた。
「止まれ、シーシャぁぁ!!」
…………。
……………………。
「……間に、合った……よな?」
「せ、先生……?」
思わず閉じてしまっていた瞼を、恐る恐る開く。
眼前、ヒロカちゃんの怯えた顔があった。
そして、背中に嫌な感触。
「ぐ、ぁ……っ!」
直後、鈍い痛みが走り、俺は思わず呻いてしまう。口から出た血反吐が、ヒロカちゃんを汚してしまった。ごめん、ヒロカちゃん。
「ヒロカ、ちゃん……ごめん。血が」
「先生……先生っ!?」
「よかった……大丈夫そう、だね」
じわ、と瞳を潤わせたヒロカちゃんが手を伸ばし、俺の脚に縋ってきた。
ヒロカちゃん、泣かなくていい。俺は大丈夫だから。
「え…………あ、え……?」
俺は遠のきそうになる意識をなんとか留めながら、背後を振り返る。その際、背からファルシオンが引き抜かれ、再び激痛が駆け巡った。
「シーシャ……大丈夫。大丈夫だ」
「……ユーキ……え」
振り向いた先では、シーシャが珍しい表情をして立ちすくんでいた。目を見開き、口を開いたり閉じたりしている。いつも無表情で、顔に感情が出ない彼女にしては珍しかった。
「血が……ユーキ、血が……!」
俺を見た途端、その表情に少しだけ悲しそうな色が浮かんだ。
ダメだ、俺はシーシャにこんな顔をさせるために来たんじゃない。笑ってほしくて、ここまで迎えに来たんだ。
「大丈夫、大丈夫だから」
怖がらせないように近付き、俺はゆっくりとシーシャを抱き締めた。
細い肩が、震えていた。
「……わたし……どう、して?」
「ごめんな、シーシャ。……俺が、ちゃんとしてなかったから」
血が流れ過ぎているのか、意識が朦朧としてくる。俺は奥歯を割れんばかりに噛み締め、なんとか踏ん張る。
力の限りシーシャを抱き締めたまま、震えるその手からファルシオンを手放させる。背中の傷から、血がドクドクと流れ出ているのがわかる。
「……離せ、ユーキ。血を、血を止めないと……!」
「大丈夫。絶対、俺は死なないから……シーシャは、なんも気にすること……な、い…………」
夜目が利いていた視界が、薄ぼんやりとしていく。
あぁ、ダメだ、ここで俺が倒れてしまったら、シーシャは気にする。
ヒロカちゃんだって、心配するぞ。
ユーキ・ブラックロック、まだだ、まだ倒れちゃ——
「…………あ」
身体が言うことを聞かず、突如として視界が揺れた。
俺はその場で、頽れてしまっていた。
「先生、先生ぇぇぇぇっ!!」
身体を受け止めてくれたらしいヒロカちゃんが、泣き叫んでいる。
「ああ……ああああぁぁぁぁ!!」
徐々に真っ黒に塗りつぶされていく視界の中で、ヒロカちゃんの声を追うようにして、シーシャの悲鳴が聞こえてきた。
が、すぐに二人の声も遠くなっていく。
瞼が、重たい。
◇◇◇
「ええい、なんなんじゃこいつらは!!」
わらわは悪態をつきながら、忙しなく魔力を練り上げ、手当たり次第に魔法をぶっ放す。巻き起こした強風が、近寄ってきていた刺客どもを吹き飛ばした。
ここアルネストに派遣されたアンディルバルト商会の刺客は、ざっと見積もって百人ほどに達していた。
が、その全ては所詮有象無象であり、わらわの敵にはなり得なかった。あらかじめ準備してあった魔法障壁とわらわ自身の魔法を持ってすれば、赤子の手を捻るよりも簡単に撃退できた。
が、何度目かの波を撃退したところで、異変に気付く。
わらわの魔法の直撃を受け、万に一つも生きていないであろうはずの刺客連中が、どうしてか立ち上がり、何度も何度もこちらに向かってきているのだ。
周囲の闇が蠢き出すと、焼き払った刺客どもの身体にまとわりつき、次の瞬間にはまるで何事もなかったかのように、ヤツらは立ち上がっている。何度も死体が蘇り、アルネストへ向けて進撃してくるのだ。
わらわはそれを、何度も何度も魔法で撃滅した。
が、完全に息絶えるであろうレベルで肉体が損傷しても、ヤツらは決して止まらない。
もはや死霊そのものを相手にしているかのようじゃ……そう考えたところで、ピンときた。
これはもしかしたら、禁忌魔法の《死霊魔法》ではないか、と。
ネクロメシア。それは大賢者たるわらわですら、古い文献でしかお目にかかったことのない禁忌の魔法群の一つ。それを使いこなすのは、この世界にはもう存在しないとされる種族――魔族。
ヤツらは非人道的で凶悪な魔法を使いこなし、この世の覇権を握らんと暗躍した時代があったのだという。が、人間との戦いに破れ、根絶されたと古文書には記されていた。
が、今目の前でこうして、禁忌の魔法がいかんなく使用されている現状に、わらわはもどかしさを抱えて戦っていた。
もっと刺客どもに近付いて、よく観察したい! じゃがアルネストの防衛戦を崩すわけにもいかん!!
「がぁぁクソ! 鬱陶しいのじゃ!!」
思い通りにならないもどかしさを発散するようにして、魔法を刺客どもへとぶっ放す。このまま持久戦が続けば、わらわの唯一の弱点である魔力変換の遅さが露呈し、押されてしまうに違いない。
そうなったら、この防衛線は一気に突破されてしまう。
「あぁ、もうわけがわからんッ! 早く決着をつけてしまえ、ユーキィィ!!」
まだ日が昇るには程遠い夜空へ向かって、わらわは八つ当たりのような叫び声を上げた。




