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第89話 あり得ない事態

「もう少しの辛抱だからな」


 俺は背中にシーシャを背負いながら、深夜のバルド・バルジを駆け抜けていた。先ほどから時折声をかけているのだが、彼女が目を醒ますことはなく、たまに苦しそうな呻き声が返ってくるだけだった。


 倉庫の地下から連れ出してから、一度も意識が戻っていないのはかなり気がかりだった。だが今は夜の深い時間帯なので、眠気などのせいもあるのかもしれない。

 ただ俺としては、シーシャの声を聞いて安心したかった。


「街を出たら、すぐに合流地点だからな。そこまで行けば、ひとまず休めるから」


 声をかけつつ、できるだけシーシャの身体を揺らさないようにして、暗い街中を疾駆する。バルド・バルジはかなり大きな街で眠らない繁華街のようなところもあるが、俺はあえて人気のない暗い道を選んで進んでいた。


 商会の本店があるであろう街中に、近付きすぎないためである。そこではヒロカちゃん、領主様が俺たちのために粘ってくれているはず。

 俺が街の外れまでシーシャを連れて離脱できたら、ファイアボールを信号弾のように使って、ヒロカちゃんたちにも離脱を促す手筈となっていた。

 まずは合流予定の場所まで、いち早く辿り着くのが先決だ。


「よし、ここまで離れれば大丈夫そうだな」


 バルド・バルジを出て一心不乱に走り切り、木々が茂ってきた辺りで立ち止まった。一息つき、シーシャをゆっくりと背中から降ろす。

 次に近くの茂みをかき分け、ある物を探す。


「あった」


 木々の隙間、茂みに紛れるように隠しておいたのは、我らが愛機、魔法馬車である。バルド・バルジに来る際、俺たちが乗って来たものだ。

 はじめ、ヴィヴィさんは『弾丸魔法魔法車にするか? おん?』と提案してくれたのだが、丁重にお断りした。もうアレにだけは乗りたくない。


 馬車の扉を開けておき、シーシャをそこへ横たえさせた。これで少しは回復も早まるだろう。


「次はファイアボールだな」


 ヒロカちゃんと領主様がわかるよう、夜空へ向かって火の球(ファイアボール)を使用する。ぼわん、とそこそこの高度で火は消えた。一度では不安なので、何度か連続で火を夜空へ向けて放った。


 よし、これでさすがに気付くだろう。


「シーシャ、あとちょっとでアルネストに帰れるから」

「…………」


 額に冷や汗を浮かべてうなされるシーシャを少しでも安心させられたらと思い、俺はその汗を拭いながら、声をかけ続けた。


◇◇◇


「……さすがに遅すぎるな」


 ファイアボールの狼煙を上げてから、だいぶ時間が経った。

 未だ、ヒロカちゃんと領主様はやってこない。


 事前に領主様は『二度とアタシらに逆らえないように徹底的にやる』とは話していたが、だとしてもさすがに時間がかかり過ぎている。

 俺なんかとは格が違うあの二人である、まさか戦闘において遅れを取っているなどということは万が一にもあり得ないと思うが……もしかしたら、相手が想像以上の戦力を投入してきている場合もあり得る。


 俺は一度深呼吸をしてから、少し遠くなった街を見遣った。


「俺も本店に行くべきか」


 ここでいつまでも待っているだけでは、事態の把握も進展もない。

 腹を決め、再度スキルを発動しフィジカルを強化する。


「……シーシャを一人にしていいのか?」


 一歩踏み出そうとしたタイミングで、馬車で眠るシーシャに気付く。

 果たして、彼女を連れていくべきか、否か。

 スキルのおかげで彼女を背負っていても特に疲れは出ないが、もし戦闘状況になったら多少不利にはなる。


 だが正直、ようやく助け出せたシーシャを一人にしておきたくない。戦闘に巻き込むことになったら身体にダメージを与えてしまうかもしれないが、この場所に商会が気付かないとも言い切れない。

 さらに言えば、この辺りに魔物が出ないとも限らない。今はある程度俺が警戒しているので安全だが、シーシャ一人になったらそれもわからないしな。


「一緒に行こう、シーシャ」


 俺はもう一度声をかけ、シーシャを背負い直した。

 うん、スキルのおかげで重さはまったくない。

 もう少しだけ迷惑をかけるけど、辛抱してくれ――心の中で詫びを入れてから、俺は走り出した。


◇◇◇


「ヒロカ、大丈夫かい?」

「は、はい! それより、ルカさんの方こそ……!」


 鉄仮面の刺客が、私たちに立ちはだかっていた。

 ルカさんは先ほどから、私を守るようにして戦ってくれている。そのせいで、鉄仮面の男の攻撃を何度か喰らってしまっているのだ。目の前でルカさんの大きな背中が上下する度、少しいたたまれない気持ちになってしまう。

 先ほどまでとは違い、ルカさんの呼吸が荒くなっている。さらにその屈強な身体には、たくさんの傷が付いている。特に多いのは火傷だ。


「アタシも問題ないよ。それよりヒロカ、気付いたかい? ユーキからの合図に」

「はい。でも、あの仮面の人をなんとかしないと……」


 私たちから距離を取り、ずっとこちらへ視線を向けている鉄仮面の男性。

 姿を現したときからほとんど動かず、火属性魔法のような力で攻撃を繰り出してくる。その攻撃は奇妙で、まるで夜の闇が炎に変わり襲い掛かってくるような、そんな攻撃だった。

 いつもならばギフトの力で、魔法であれスキルであれ()()()はずなのに、どうしてかあの仮面の人の攻撃を私は読み切れずにいた。ただただ、歯がゆさだけが募っていく。


「逆だよ。こういう状況じゃ、アタシはアンタがいない方が暴れやすい。ヒロカにアタシの攻撃が当たらないようにしながらじゃあ、ヤツと張り合うのは難しそうだからね。アンタがユーキのところへ行ってくれれば、状況は好転するってわけさ」

「ルカさん……!」

「ヒロカ、アンタはアタシが大好きな優秀な女さね。だがね、悪いけどまだアタシの領域には届いていない。だからここは言う通りにして、黙って離脱しな」


 強く言い聞かせるように、ルカさんは振り向くことなく言った。

 ただ、私はスキル『空気を読む』の力で、その本意を感じ取ってしまう。


「い、嫌です! 私、今ルカさんが嘘をついているのわかります! 自分が命懸けで食い止めて、私を逃がすつもりでしょ!?」

「……ふん、アタシはただ心置きなく暴れたいだけさ。ムコルタを傷つけた連中に、倍返ししてやるためにね」


 そう言うとルカさんは腕の布を全て破り去り、筋骨隆々の二の腕を露出した。腕には火傷だけでなく、切り傷なども多い。それらはこの戦いでついたものではなく、これまでくぐった死線の中でついたものらしかった。


「これはもはやアタシの戦いなんだ。アンディルバルトが生き残るか、オルカルバラ領が生き残るか。その最前線でアタシが気張らないで、誰が気張るってのさ」


 気合の漲った声で、構え直すルカさん。その大きな身体から、熱い闘気のようなものが立ち昇ってくるようにすら思えた。


「なにか作戦を立てているようですが、私の領域からは逃げられませんよ?」


 そこで、静観していた鉄仮面が言った。相変わらず感情が窺えない、平坦な口調だった。


「そんなもの、やってみなけりゃわからんだろうよ」

「フフ、さすが鋼鉄の魔女たるルカ・オルカルバラ。いかなる状況でもその気勢に衰えはなし、と。……では、これはどうでしょう?」

「…………?」


 と、そこで鉄仮面がぬらり、と両手を広げた。

 周囲の闇が、意思を持ったようにうねり、蠢く。


 不気味な光景に、私が思わず一歩後退った直後。


「……ひッ!?」

「……死者への冒涜だねぇ」


 なんと、息絶えていたはずの商会の構成員たちが――起き上がった。


「ど、どうしてこんな!? まさか、ギフト!?」

「落ち着きな、ヒロカ」


 自分のギフトが通じないことも相まって、私は気が動転してしまう。脚が震えてくる。


「驚いていただいて何よりです。我が商会はなによりも忠誠心を重んじています。死してなお、彼らは骨の髄までの強固な忠誠を示してくれている、ということでしょう」


 鉄仮面の声に合わせて、構成員の《《死体たち》》が、虚ろな表情のまま動き出す。

 なんで、なんでこんな……!


「まさかこんなところで、太古の禁忌魔法――《死霊魔法ネクロメシア》にお目にかかれるとはね。つくづく、長生きはするもんだ」

「ネクロ……メシア……?」


 ルカさんが語った言葉に、私はさらなる悪寒を感じる。

 背筋まで、足の震えが伝播していた。


「さぁ、ここからが本番ですよ?」


 分厚い鉄の仮面の奥で、はじめて。

 男が笑った気がした。



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