第87話 闇夜の邂逅
シーシャを背負って倉庫を出ると、相変わらず外は真っ暗な闇だった。
海から吹いてくる潮風が傷に染みないか、心配になった。背負ったまま、羽織らせた上着の裾を伸ばしてやり、できる限り傷が表に出ないようにする。
ずり落ちそうになった彼女の身体を背負い直してから、一度周囲を見渡す。
見る限り警備もいないし、追手などもかかっていない。よし、と小さく呟いてから歩き出す。
早く安静にできる場所で、シーシャを休ませてあげたい。
俺はすっかり記憶した倉庫群周辺の道を思い出しながら、人気のない暗い道を進んでいった。
「おいおい、俺の娘をどこへ連れていく気だ?」
「っ!」
見張りなどを苦も無くやり過ごし、出入口が見えるところまで来たとき。
ふいに背後から、男の声がした。
低音で男性的な声であること以外、ほとんど特徴のない声。無感情と表現できるぐらいに抑揚がなく、平坦。それなのに、耳を突き刺すように届いたその声。
思わず、足が止まる。
「……誰だ?」
振り向きながら、尋ねる。
視界の先には――仮面の男がいた。傍には黒装束を着込んだ、数名の取巻きも並んでいる。
あの鉄仮面……まさかコイツが、商会の首領なのか?
「俺に向かって誰だとは、ご挨拶だな。辺境のチュートリアラー風情が」
やはり抑揚のない平坦な、前世の感覚で言うなら電子音声のような無機質な声音で、仮面の男は返答した。俺のことを、知っている? いや、調べ上げていると言った方が正確だろう。
要するに『アンディルバルト商会からは何人も逃げられないぞ』という脅しを向けているのだ。
「お前が背負ってる女はな、俺が手塩にかけて育てた娘なんだ。まだお仕置きの途中でね、前の仕事で勝手に手心を加えたもんだからな。そんな中勝手に連れて行って親子の関係を引き裂くなんて、ひどいと思わないか?」
「……自分の娘を地下に閉じ込めて、こんなになるまで痛めつけるのが親なのか? 寝言は寝て言え、鉄仮面」
「ハハ、喧嘩腰だなぁ。ギルドに勤める割には、中々狂暴な男だ」
俺の態度を嘲笑うかのように、笑い声を漏らす仮面の男。それにも関わらず、やはり声には抑揚がない。
はっきり言って不気味極まりない。
「娘とか言って、ただの部下……いや、手駒としか思っていないだろ」
「手駒、ねぇ? 親と子もそうだが、上司と部下の関係性なんてのも様々だろ? 仲良くヘラヘラ笑い合うだけじゃなくて、厳しく折檻してでも、人生で大事なことを教えるって関係性ってのも、あると思うんだがな」
「お前のは折檻てレベルじゃない。個人の尊厳を奪う暴力だ」
どんな間柄であろうと、人間同士の間にこんな関係性があってはならない。
「そうかそうか。なんだか、わかった気がするよ。……お前か、シーシャを変えちまったのは」
「は?」
そこで鉄仮面は、突如として話題を変えた。
シーシャを変えた? 俺が?
「シーシャはな、最高傑作だったんだよ。我がアンディルバルト商会最高のキリングマシーンだった。誰よりも俊敏に動き、誰よりも無感情に殺す。それでいて美しく洗練されている。これ以上ないほどの人材だったんだ。たまらなかったぜ、仕事を終えたばかりのそいつの顔は。その手で、目の前で人の命が終わったと言うのに、一切なにも感じていない、氷のような目をしていた……俺はあれをもう一度見たくて、ずっとずっと恋焦がれているんだ」
「お前、変態か? シーシャはな、笑った顔が一番可愛いんだよ」
俺もぶっちゃけ、シーシャが心の底から笑ったのを見たことはない。
でも、その顔を見ていればわかる。
シーシャは、笑うと絶対に可愛いんだ。
「わかってないねぇ。お前もあの氷の瞳を見れば認識を改めるはずさ。宝石のようだった。なのに……それをお前が、消しちまったんだよ」
「……っ」
そこで、急に息苦しくなる。
ヤツの声音は平坦なまま。だがその中に、強く憎悪が滲んでいるように思えた。その憎悪が、この場を支配的に蠢いている気すらする。なぜか直感的にそう感じた。
背筋をイヤな汗が流れ、妙な寒気がしてくる。肌が粟立つ。
「あの目が俺はたまらなく好きだった。見ているだけでゾクゾクした。だからずっと傍に置いておきたかった。シーシャが壊れちまうまで、ずっとずっと俺を気持ちよくしてくれたらそれでよかったのに…………この落とし前は、つけさせてもらうぞ」
一歩、鉄仮面が進み出る。
俺はシーシャを背負ったまま、少し腰を落とす。
「馬鹿言うな。お前のためにシーシャは生きてるわけじゃない。彼女の意思と幸せを慮らないで、なにが親だ、なにが上司だ、馬鹿野郎!」
「子供は親から逃れられない、部下は上司から逃れられない。なんだってそういうもんだろ?」
闇の中、仮面の間で目が光った。
目の位置がわかれば、こっちに分がある。
「さぁ、そろそろ時間だ……はじめようぜっ!!」
ヤツが動いた途端、合わせて闇が蠢いた気がした。合図を受けたように、黒装束をまとった取り巻きが駆けだす。
俺はシーシャを背負ったまま戦わざるを得ない。スキルを全開にし、五感、全身を強化し、一気に頭を回転させる。
シーシャを守りながら、ここを乗り切る――!!




