第83話 ヒロカとルカ
ユーキ先生と別れてから、私は領主のルカさんとアンディルバルト商会のお店へと向かっていた。先生が一足先に向かった倉庫群の、ちょうど入口になるような場所に大きな建物を構えているらしい。
港湾都市のバルド・バルジの中心部は、もう夜遅いというのにまだまだ人で賑わっていた。なんだか、大人の夜の世界に足を踏み入れたみたいで、妙な高揚感があった。
「ヒロカ。もう一度確認するよ。アタシたちは商会の本店に行って、新しい魔石商売の提案をするフリをして、長く居座る。なんなら連中の態度やらなんやらに難癖をつけてでもね」
「はい!」
「そんでもって、荒事担当の連中が出張ってきたら、できる限りアタシとアンタで暴れ散らかす。そして、そこに人員が集まるよう煽り続ける。そうすれば自然とユーキが動きやすくなるからね」
「はい!!」
前を歩く大きな背中が、一つ一つを言い聞かせてくれる。
なんだか私を安心させようとしてくれているみたいで、ルカさんの優しさが身に染みる気がした。
「前もってバルド・バルジの領主筋には根回しをしてある。『そっちに迷惑はかけない』とね。ただ、向こうの上層部にも商会の者が食い込んでいる可能性は大いにある。バルド・バルジ側からの助太刀などは期待できない。なんにせよアタシたちが自分たちの力で、きっちり落とし前をつけるしかないってことさね」
「……私もやっとわかってきました。大人の世界って、単純にはいかないんだって」
「かもしれないね。ただまぁ商会のやり口がやり口だ。当然アンディルバルトを苦々しく思っている人間も色んなところにいる。もしここでアタシらがヤツらを弱体化させられれば、おそらくその連中が重い腰を上げて、一気に商会の影響力を一掃する流れになるはずさ」
「私たちが頑張れば、流れが変わるってことですね!」
「ああ、その通りさ。なんだかんだ、そういうところはいつも単純ってわけだね」
私の返しに、ルカさんは穏やかに笑ってくれた。
「これははっきり言って汚れ仕事みたいなもんだ。それにアンタの勇者としてのキャリアにだって、泥を塗ることになるかもしれない。そうなったらアタシは、アタシの全力を持ってアンタの汚名をそそぐつもりだが、いつまでも他人の過去を蒸し返す馬鹿はそうそう消えるもんじゃない。……それでもいいんだね?」
「はい。私は一切汚れのない、潔癖な人生を歩みたいわけじゃありませんから。汚れないために自分を殺して大切なものや幸せを手放すなんて、私は嫌。だったら多少は傷ついたり汚れてしまったりしても、自分がちゃんと幸せになれる選択をし続けていきたい。だって自分で選んだ素敵な服なら、多少の痛みや汚れはむしろ味になるって思えるじゃないですか」
「ハハ、言うじゃないか。アンタのそういうところ、アタシは大いに気に入っているよ」
「ありがとうございます!」
ともすれば生意気なことを言っている自覚はあったけれど、ルカさんは大らかに笑ってくれた。私もこういう、大きくて優しい大人になれたらいいな。
「私も一人のアルネストの民として、意地を通したいと思います」
「いい覚悟だ。やっぱりイイ女はこうでなくっちゃねぇ」
私は気合を入れ直す意味も込めて、ポニーテールを結び直す。
髪をまとめながら、私はシーシャさんの優しくて綺麗な顔を思い出す。ユーキ先生に助けてもらってギルドの部屋で目を醒ましたとき、最初に見たのあの顔。
先生はシーシャさんを『いつも無表情』なんて言うけど、同性の私にはわかる。
シーシャさんは細かいところですごく表情豊かで、よく見ていると本当に色んな感情を見せてくれた。
恥ずかしそうに唇を忙しなく動かすとき。
悲しくて目元を少し細くするとき。
嬉しくてちょっとだけ鼻がぴくっとなるとき。
そのどれもが可愛らしくて、私に元気をくれた。私の、一番の推し。
……聖魔樹海でショーゴくんたちに無理矢理襲われかけて、なにもかもが怖くて怖くて仕方なかったとき、一番最初に私を抱き締めてくれたのはシーシャさんだ。
私を優しく支えてくれた、優しい温もり。あの毛布みたいな優しさがなかったら、私はまだ人間に嫌悪感を抱いたままだったかもしれない。
今の私がいるのは、あの人のおかげなんだ。
だから、シーシャさんを助けるための作戦に、どうしても貢献したい。
「私、これでも《勇者》ですから。頼りないかもしれないけど、ルカさんも背中、預けてくださいね」
「はは……まったく、泣かせるじゃないか。年寄りは涙腺が緩くなっているってわかってるのかねぇこの子は」
ルカさんはそんな風に言いながら、また笑ってくれた。
ちょっとだけ、その瞳が潤んでいるように見えた。
「じゃあ――行くとするかい」
「はい!」
ルカさんの言葉と大きな背中が、私の覚悟と想いを全肯定してくれた。
先生も今頃、頑張っている。
私も、やってやるぞ!




