第82話 港湾都市バルド・バルジ
少しべとつく感じのする潮風が、身体に打ち付けるように吹いている。
俺は今、港湾都市バルド・バルジの郊外にいた。すでに陽は落ち、薄闇に水平線が浮かんでいる。
この街のどこかに、アンディルバルト商会の総本山があるという。
俺の後ろには、ルカ・オルカルバラとヒロカちゃんがいる。俺たちは今、住宅地の中に身を潜めている。
ヴィヴィアンヌさんは、訳あってアルネストに留守番だ。いや、正確に言えば『アルネスト防衛組』のリーダーとして、陣頭指揮を執ってくれているだろう。
「奪還作戦はアルネスト防衛組とバルド・バルジ侵攻組で別れる必要があるじゃろうな」
作戦決行前夜のブリーフィングで、ヴィヴィさんはそう提案してくれた。理由としては、アンディルバルト商会の拠点を叩くにあたり、素早く情報を回され、近隣の支部などから刺客がやってきて、アルネストへの即座の報復が行われる可能性があるためだ。
そのとき、荒事を含めて即座に対応できる者が必要だろうということで、ヴィヴィアンヌさんが志願して残ってくれたのだ。範囲攻撃が可能な魔法を得意とし、一対多の戦闘に分があるヴィヴィさんがいれば百人力である。
さらに、極秘裏にだがダイトラス本国からも何人かの有力戦力が派遣されてきたらしい。どうやら現宰相であるルカの動きを察知したエデンダルト王が、気を利かせてくれたのだそうだ。
いやー、こういうときに頼りになるのは一緒に死線を潜り抜けた人ってのは、いつの時代も変わらないな。仕事の鉄火場を一緒に乗り越えた仲間は、ずっと信頼できたもんな。
「ユーキ。そろそろ刻限だ。準備はいいかい?」
「ええ、問題ありません」
背後のルカ・オルカルバラが、落ち着いた声で尋ねてきた。
俺は振り向くことなく、周囲を確認しながら応えた。
防備を固めたアルネストに対して、敵の本拠地へと攻め込むのが俺たち三人の仕事である。
腰に提げた革袋から、俺はヴィヴィさんの“試作”を取り出す。
「この魔石の反応を辿れば、シーシャの元に辿り着ける」
アンディルバルト商会の本拠地を見つけ出すことに関しても、ヴィヴィアンヌさんがさすがの活躍を見せてくれた。
ヴィヴィさんはムコルタばあさんが襲撃された夜、俺たちがばあさんを運び込んでいる間に、自作の魔石を使って周辺環境から情報収集を行ってくれていたのだ。
魔石には元々、周囲の魔元素や魔力を吸収する性質がある。そしてそれをヴィヴィアンヌさんの《魔導目視》は解析ができるのだ。
そうして導き出された、シーシャの魔力の行く先――バルド・バルジレンガ倉庫群。
ヴィヴィアンヌさんが手を加えたこの魔石には、一種のレーダーのような反応が付与されており、吸収させた魔力に近づけば近づくほど、強く発光するのだそうだ。
俺はこれを使い、単独でレンガ倉庫群を虱潰しに捜索するという作戦だった。革袋にはもう一つ『もしもの時は使え』と渡された『ギフト石』が入っている。
「先生。いくら先生とは言え、一人なんですから気を付けてくださいね」
「ああ。ありがとう」
心配してくれたのはヒロカちゃんだ。トレードマークのポニーテールと勇者としての《紋章》が、街の灯りを受けて光っている。
なぜ、俺が単独で動くことになっているのかと言えば。
「ヒロカ、アタシたち二人はバルド・バルジでも顔が割れてる有名人だ。はっきり言って目立ちすぎる。だからこそ、それを逆手に取ってユーキを動きやすくする。いいね?」
「はい!」
うん、簡単に言うと、このチームで唯一知名度の低い地味な人間だからである。
なんか悲しいね! 目立ちたいわけじゃないけどね!!
「この作戦ではユーキ、アンタが一番責任重大だ。わかってるね?」
「はい。必ずシーシャを見つけて、助け出します」
「ふん、いつになく凛々しい顔をしてるじゃないか。アタシがまだ現役だったら抱かれてやってもいいぐらいさね」
「ぶへぇ!?」「わ、わわふわふ?!」
突然のルカの爆弾発言に、俺は思わず吹き出す。ヒロカちゃんもなぜかアフタフしてわふわふ言っていた。子犬ちゃんなのかな?
「あ、あの先生、ちょっといいですか」
「ど、どした?」
変な気まずさをかき消すように、ヒロカちゃんが真面目な表情で言った。
「出発前にヴィヴィと話していた懸念事項を、念のため共有しておきますね」
「うん」
「あの夜、ムコルタさんが襲われた現場に残っていた魔力が、どうやらシーシャさんのだけじゃなかったみたいなんですよ。なんというか……違う魔力が混じっていたと私は感じましたし、後から魔石を解析したヴィヴィも言っていました」
「ムコルタさんとかのではなくて?」
「ムコルタさんのものではないです。そうならわかりますから」
なにかを考え込むような表情で、ヒロカちゃんは言った。
だとすると、あの場にはシーシャの他にも誰かがいたということなのだろうか。
「その可能性もあります。でも、シーシャさんの魔力との混ざり方が、その……蝕むように深く混ざり合い過ぎていた、というか。私の体感的には、人二人分の魔力があったと言うより、その正体不明の魔力が、シーシャさんの魔力を侵食していたような……そんな感覚がありました」
おぞましい想像をしてしまったのか、ヒロカちゃんの顔色が青くなる。
言葉から推察した思考を、俺は言葉にする。
「……もしかしたら、シーシャを連れ戻そうとしていたという商会の首領は、支配系のギフトを持っているのかもしれない。ほら、悠斗やディルビリアみたいなタイプの」
「……確かに、あり得ます。その力でシーシャさんを操って、ムコルタさんを襲撃させた、とか。でもそうだとすると、ギフトを発動させた上でなら遠距離での支配も可能、と言うことになります。……先生、本当に気を付けてくださいね」
「ああ、わかった。ヒロカちゃんも、くれぐれも警戒してね」
「安心しな、ユーキ。ヒロカのことはアタシに任せな」
「領主様」
と、そこで我らが領主ルカ・オルカルバラが、これ以上ないほど頼もしい声で胸を張った。
「あえてこういう言い方をするがね、ユーキ。――漢を見せな」
「……ッ! はい!!」
その言葉を契機にし、二人と別れて走り出す。
「よし。……待ってろよ、シーシャ」
作戦、開始だ。




