第80話 ルカ・オルカルバラの決意
シーシャと言葉を交わした夜から数日が経ち、俺はムコルタさんの眠る部屋にいた。
ヴィヴィアンヌさんの必死の治療の甲斐もあり、死の淵にあったばあさんは一命をとりとめた。俺の他にも世話をしている人が数名いるが、安堵の気持ちがため息となって部屋を満たしているような気がした。
ひとまず、本当によかった。
「…………」
が、痛々しく治療の後が見えるばあさんを見る度、これをシーシャがやったのだと思い出し、俺は気持ちがぐちゃぐちゃになった。
どうして、シーシャがこんな真似をしなくちゃならなかったんだ? あの日からずっと引っ掛かっていることが、未だに心をかき乱してた。
「ムコルタッ!!」
「っ!?」
俺がそんな風にモヤモヤしていると、ぶっ壊れるんじゃないかという勢いで部屋のドアが開け放たれた。
というかよく見ると実際に壊れていた。ドアノブが若干曲がっている。
「ムコルタ、大丈夫なのかい!?」
現れたのはなんと、我が領主ルカ・オルカルバラであった。
ムコルタさん危篤、という報せを聞き、急遽大急ぎでダイトラスから帰って来たのだろう。
飛び込んできた領主様は、いつもの威圧感抜群の鬼気迫る表情ではなく、大切な相手を心底から心配する雰囲気で、すぐさまムコルタさんのいるベッドサイドへ歩を進めた。
「ムコルタ、生きてるんだね? まだ生きてるんだね!?」
「ルカ様、申し訳ありませんがお静かに。ムコルタさんはまだ絶対安静でして……」
「…………ぬぅ」
「ひ……っ!?」
世話係のギルド職員が制止すると、ルカ様は憤懣やるかたないといった顔になり、眉間に深いシワが刻まれた。その形相を見た職員の人が、恐怖心から短い悲鳴を上げる。
「…………ルカ、様。お見苦しい姿を晒し……申し訳、ありません」
「ムコルタ……!」
と、そこで状況を察したムコルタさんが、静かに会話へ割って入った。声を聞いたルカは、安堵したように一度息を吐いた。
「ムコルタ、アンタが悪いことなんて一つもない。生きててくれれば、それでいい」
「不甲斐ないワタシには……もったいないお言葉で……ございます」
脇に腰掛けたルカ・オルカルバラは、ムコルタさんの手を握り、穏やかなトーンで言葉をかけた。その声は、いつもの剛毅なイメージからは程遠い、慈しみのこもった声だった。
以前、二人に近しい人から事情を聞く機会があったのだが、あの二人は先の大戦で背中を預け合い戦い抜いた、唯一無二の戦友なのだそうだ。
そんな唯一無二の友が、あんな状態になったのだ。
その心中は、測り知れない。
「ムコルタ。あまりアンタにこれ以上の無理はさせたくない。アンタをこんな風にしたのは、……商会の連中ということで間違いないね?」
ルカの問いかけに、ムコルタさんは声を出さずに頷いた。
それを見た我が領主様も、黙って小さく数回頷いた。
「……ルカ様」
「なんだい?」
「あの子……ワタシは、シーシャに助けられました」
「どういうことだい?」
ばあさんの口から『シーシャ』という名前が出てきて、俺は聞き耳を立てる。
「本来であれば……ワタシは商会の者によって、確実に殺されていたはず。あの組織が、ワタシのような者を……逃がすはずがありませんから」
「確かに、それはそうかもしれないね」
「しかし、シーシャは……憎まれる覚悟で、ワタシに刃を向けた。そうすることで……ワタシを組織から守ったのだと思います」
「旧知である者を実際に手にかけることで、組織への忠誠心を強く示した、というわけかい。同時に、死なない限界の致命傷を与えることで、目を逸らすことにも成功した、と」
ムコルタばあさんの語る言葉を聞き、俺は沸々と怒りが湧いてくる。
シーシャ……お前ってやつは。
「ワタシは、あの子を……不器用なあの子を、救ってやりたい。あの子には……笑って生きられる、人並みの人生を……歩んでほしい」
言いながら、涙ぐんでいるムコルタばあさん。ルカは喉が詰まらないようばあさんの背中を支えてあげながら、黙って頷いていた。
「ルカ様……差し出がましい真似だとは、重々承知で、お願いいたします。あの子を……シーシャを…………連れ戻して、あげてください」
「……ああ、わかったよ。だからムコルタ、今はゆっくり休みな」
「ありがとう、ございます……っ!」
そこでばあさんは、静かに目を閉じた。
すー、すーという静かな寝息が部屋に響く。
「…………ッ」
次の瞬間、俺は背筋が凍りつくような悪寒を感じた。
原因は、すぐにわかった――ルカ・オルカルバラである。
立ち上がったその大きな背中から、凶悪なオーラのようなものが立ち昇っているように見えたのだ。
俺には、ヒロカちゃんのような『空気を読む』能力などはない。
だが、ルカの身体から放出されるアレがなんなのかは、直観で分かる。
――殺気だ。
ルカ・オルカルバラは今、自分では抑えようもないほど怒り狂っているのだ。
その顔はもはや鬼の形相……というより、鬼すら逃げ出してしまいそうな修羅の顔をしていた。
「鋼鉄の魔女の名に懸けて、木っ端みじんに叩き潰してやる」
誰にともなく言い切ったルカの重低音に、部屋の数名が腰を抜かした。
が、俺は意に介することなく部屋を出て行く。
俺もルカと同じく――完全に怒り狂っていたのだ。
シーシャを苦しめる全部を、ぶっ潰してやる。




