第79話 届かぬ手
「はぁ……はぁ……!」
スキルで五感や身体能力を強化し、漆黒の闇夜を走る。
すでに俺はアルネストを出て、ダイトラスからの帰路で通った道を逆戻りしていた。
大都会と違い、一切光のない辺境の深夜である。スキルがなければすぐに道に迷い、アルネストへ引き返すことすらできなかっただろう。
「シーシャ……シーシャ!」
だが、そんな暗闇の中に、なぜだか俺はシーシャがいるという確信があった。
なんの根拠も証拠もないのだが、あともう少し走れば、シーシャの方から出てきてくれるような、そんな気がしていた。
「…………」
「ッ!!」
どのくらい走ったのかわからなくなり、辺りの景色があまり見慣れないものに変わった頃。
――シーシャがいた。
真っ暗闇の中なのに、どうしてかすぐに見つかった。それだけ俺が、その姿を探し求めていたからかもしれない。
「シーシャ……今まで、どこ行ってたんだよ?」
「…………」
見慣れない黒い服を着た、見慣れたその華奢な背中に声をかける。会えなくなってからまだ一ヶ月も経っていないはずなのに、ずいぶんと久しぶりに会ったような、そんな感じがした。
「シーシャ――っ!」
声が聴きたくて、もう一度呼びかけた俺の目に飛び込んできたのは。
その手に握られている、赤黒い液体にまみれた剣。
あの形状は、確か……ファルシオンと言ったか。
まさか、本当に……シーシャがばあさんをやったってのかよ?
「シーシャ。お前がムコルタばあさんを斬ったのか?」
「…………」
「さっきから、なんとか言えよ。ずっと心配してたんだぞ?」
「…………」
「なぁ、どうして黙ってるんだよ。いつもみたいに気持ちよく、言いたいこととか思ってることとか、言葉選ばず言ってくれよ」
「…………」
「頼むよ……。俺、シーシャの声が聴きたいんだよ」
「…………ッ」
話していると、何かが込み上げてくるような感じがあった。
声が震えて、あまりうまくしゃべることができない。
「シーシャ……シーシャ!」
正直、自分でも何がなんだかわからなくなっていた。
こうしてシーシャに会えて、嬉しい気持ち。
シーシャがムコルタばあさんを傷つけたんじゃないかという、疑う気持ち。
そしてもしそれが本当だったら……というやり場のない怒り。
さらに言えば、会えたシーシャが話してくれないという、胸を引き裂くような悲しみ。
そういう全部の気持ちがない交ぜになって、心、感情がおかしくなってしまっていた。顔が引きつるような妙な感覚があって、俺は顔と頭を掻きむしる。
「あーもう! シーシャ、とにかく帰ろう。ひとまずアルネストに戻って、落ち着いて話をしよう。な?」
俺は自分を落ち着けるために、一度深呼吸してそう提案する。
そこではじめてシーシャが振り返り、こちらを向いた。
いつもの無表情とは違い――悲しそうに見えた。
「…………もう、戻れない」
「え、どうしてだよ?」
「わたしは、ユーキたちといるのに相応しくない」
「は? そんなわけないだろ」
「いずれわかる」
取りつく島なく言うシーシャ。俺は段々ともどかしくなっていく。
「いや、だからわかったとしても俺は――」
「ムコルタをああしたのもわたし。これで斬った」
「……本意じゃないんだろ? どうしてシーシャが、ばあさんを斬らなきゃならないんだよ? だっておかしいだろ? なぁ!?」
「わたしが生きるために邪魔になった。それだけ」
「嘘つくなぁぁッ!!」
思わず、大声を出してしまう。
「嘘つけよ、シーシャ……お前が、あんなひどいことしたくてするわけないんだって。俺はシーシャが誰よりも優しいヤツだって、ちゃんと知ってるんだ」
「…………それがそもそも勘違い。ユーキはお人好し。本当のわたしを知らないだけ」
拒否するように言い、シーシャはまた背中を向けた。
「待て、待ってくれシーシャ。俺がお前を知らないってんなら、これから教えてくれ。アルネストで一緒に過ごして、もっとシーシャのことを教えてくれよ?」
「……それはできないって何度も言ってる。いい加減聞き分けろ」
「そう、怒ってくれよ! いつもみたいにさ! ダメな俺を叱ったり、冷やかしたりしてくれよ!!」
「……さようなら、ユーキ…………今までありがと」
再び振りむくこともなく、シーシャは別れの言葉を切り出してきた。
瞬間、俺の全身を寒気が襲う。
――ダメだ、行くなシーシャ!
「シーシャ!」
「――――」
このまま行かせてはならないと伸ばした手は。
ただ暗闇を空振りし、虚しく宙を彷徨うだけだった。
シーシャの姿は一瞬にして、闇夜に紛れて消えてしまう。
俺はその場に呆然と立ち尽くす。
……なんで、なんでなにも話してくれないんだよ、シーシャ。
「……くそ……くそぉぉぉぉぉぉッ!!」
何もできず、何もわからず。
ただただ無力なだけの自分に、心底腹が立った。




