第78話 深夜の嘆き
「ばあさんッ!!」
門柱へ駆け寄った俺は、深夜であることもお構いなしに叫ぶ。間髪入れずに屈みこみ、魔力を練り上げ回復魔法を発動する。
頼む、間に合ってくれ!
「…………ユーキ……かい……」
「ムコルタばあさん! しっかりしろッ!!」
「おか……えり……」
「……ッ、ああ、ただいま。ただいまばあさん……頼むから、しっかりしてくれ……な?」
壁にもたれていたムコルタさんの目が、うっすらと開いた。
腹部の大きな裂傷から、激しい出血がある。これを閉じないと、命が危ない。
俺は呼吸を繰り返し魔元素を取り込み続けながら、必死に回復魔法をかけ続ける。
クソ、なんで俺はもっと回復魔法を特訓しておかなかったんだッ!?
「ばあさん、意識を保てよ! これ、どうしたってんだよ? まさか魔物か? それとも悪漢が出たか? とにかくどうして、どうしてこんなことになった!?」
「う、うるさいねぇ……騒ぐんじゃないよ……大丈夫、ワタシゃ死にやしないさ……」
ばあさんの意識がなくならないよう、俺は声をかけ続ける。まだ出血は完全には止まらない。
「先生、どうしたんですか――え、ムコルタさん!?」
俺の切羽詰まった声に気付いたらしく、馬車から出てきたヒロカちゃんが背後で声を上げた。
「む、これはいかん。どけ、ユーキ!」
「ヴィヴィアンヌさん! 頼む!!」
「うむ!」
ヒロカちゃんに続いて入口門までやってきたヴィヴィアンヌさんが、俺と場所を代わるようにしてムコルタばあさんの前に陣取った。
ヴィヴィアンヌさんは言わずと知れた回復魔法の権威であり【大賢者】だ。俺なんかのクソみたいな回復魔法より、断然治療の精度も高い。
「ぐぬぬ……」
「頼む、ヴィヴィさん。ムコルタのばあさんを、救ってやってくれ……!」
集中しているヴィヴィアンヌさんの横顔は真剣そのものだ。俺はその隣で祈るようにして手を合わせた。
よく見ると、ヴィヴィさんの額に汗が浮かんでいる。もしかしたら魔力があまり練れていなかったのにもかかわらず、無理をしてくれているのかもしれない。
……ありがとう、ありがとうヴィヴィアンヌさん!
「……ふぅ。まだ予断は許さないが、ひとまず傷を塞ぎ、出血は食い止めた」
「本当ありがとう、ヴィヴィさん……!」
「あとは本人の生きる意志が重要じゃ。ひとまず安静にできるところへ運ぶのだ」
「ああ!」
額の汗を拭いながら、テキパキと指示をくれるヴィヴィアンヌさん。さすが、治療に慣れているだけあって的確だ。
俺は急いでギルドへ向かい、就寝中の職員を起こして回った。
深夜で寝入っていたところ申し訳なかったが、大切なアルネストの仲間の命がかかっている。皆、すぐに事情を察知し、ギルドの医務室へとムコルタさんを運び込んでくれた。その痛々しい姿に、全員が胸を痛めていた。
横たわるムコルタさんへ、引き続きヴィヴィさんが回復魔法を施している。それを部屋にいる全員が心配そうに見守っている。
「くそ……ッ」
俺は一人、部屋の隅で奥歯をギリと噛み締めた。
いったいどうして、こんなことになった……ッ!?
「先生……ちょっといいですか?」
「……ヒロカちゃん」
と、そこで医務室の扉が少しだけ開いた。間から、ヒロカちゃんが俺を呼んでいた。
静かに扉を閉め、廊下に出る。
一度深呼吸をしてから、彼女と向き合った。
「どうしたの?」
「……ユーキ先生。その、落ち着いて聞いてくださいね?」
心底不安そうに、ヒロカちゃんは青ざめた顔で言った。
もしかしたら、俺の怒りや焦燥のような感情を、ギフトで読んでしまったのかもしれない。
「ああ、大丈夫……落ち着いているよ。どうしたんだい、ヒロカちゃん? もしかして、ギフトで犯人がわかった!?」
「せ、先生。痛いです、落ち着いてください!」
「あ、ご、ごめん」
話しながら俺はつい興奮してしまい、ヒロカちゃんの肩を強く掴んでしまう。
く……ダメだ、俺がピリピリしててもなにも変わらない。
もう一度、深呼吸して落ち着かないと。
「私がギフトでわかったこと、話します。……先生の言う通り、犯人もわかりました」
「ほ、本当かい? さすがだ、すぐに教えてくれ!」
俺は気が急いてしまい、つい先を促してしまう。
「……ムコルタさんをあんな風にした犯人は、たぶん――」
反して、言いにくそうに、何度か伏し目がちに下を向くヒロカちゃん。
もどかしさを感じながらも、俺は必死にその間を耐える。
「――シーシャさんです」
…………は?
その口から語られた予想外過ぎる名前に、思考が追い付かない。
え、なんの冗談だ?
「……ヒロカちゃん。さすがにヒロカちゃんでも、言っていいことと悪いことがある。タイミングも最悪だ」
「せ、先生! 本当なんです!」
「うるさいって!」
「っ……せ、先生…………お願いです。信じて」
「…………ッ」
涙を浮かべながらも目を逸らすことなく、俺を見つめ続けるヒロカちゃん。
胸の奥で、言い表せない感情が暴れている。
シーシャが、ムコルタさんを斬った……? は? いったいどういうことなんだ?
ヒロカちゃんは、それを本気で俺に訴えてきている……?
わけが、わからない。
俺は乱暴に頭を掻く。怒りや混乱を吐き出すように、深く息を吐く。
「先生に、ずっと言えませんでした。ダイトラス王国での、あの夜の日……私は見たんです」
「なにを……見たの?」
ヒロカちゃんを怖がらせてはいけないと、努めて抑えた声で尋ねる。
少し声が震えてしまったかもしれない。
「ディルビリアを追いかけた先に、なぜかシーシャさんがいて……独特な形の剣で、ディルビリアの首を落としたんです」
「……っ!」
「さっき入口周辺をギフトで探りました。間違いなく、その時のシーシャさんが残した魔力の残滓や空気を感じました。ムコルタさんと剣を交えたのは、絶対にシーシャさんです」
周囲の環境や状況などを正確に読み取る『空気を読む』のギフトを持っているヒロカちゃんが、これだけの確信を持って伝えているのだ。
おそらく、本当なのだろう。理性ではそう受け止める自分がいる。
しかし……しかしどうしても、本能のような部分で納得がいかない。
あの優しいシーシャが、どうしてばあさんを斬る必要があるんだ?
「あのときから私、ずっと考えていました。どうしてシーシャさんがって……。でも、まだ答えは出ていません。こんなことになってしまう前に、もっと早くに、先生に相談しておくべきでした……」
「ヒロカちゃん」
肩を震わせ、涙を拭うヒロカちゃん。
自分一人で抱え込んでいたことを吐き出し、感情が溢れているのだろう。
俺は静かにその肩を抱き、震えが収まるようにと頭を撫でた。
「俺の方こそ、ごめん。感情的になってしまったし、ヒロカちゃんにばかり考えさせてしまっていた。本当ごめん」
「先生……いいんです。ありがとうございます」
その後、ヒロカちゃんはひとしきり泣いた。
俺は黙って、ずっと彼女の肩に手を置いていた。
どのくらいそうしていたのだろうか。もしかすると、一瞬だったのかもしれない。
「先生、聞いてください」
「うん」
ヒロカちゃんが切り替えるように、ポニーテールを結び直してから言った。
その眼にはもう悲しみはなく、前を向いた力強さが宿っていた。
「私のギフトが感知できたということは、シーシャさんはついさっきまであそこにいた、ということになります」
「っ!」
「私がなにを言いたいのか、先生ならわかってくれますよね?」
小首を傾げ、微笑んだヒロカちゃん。
精一杯の笑みに、心が打たれた。
「ヒロカちゃん、ありがとう。……行ってくる!」
「はい、いってらっしゃい! 気を付けてくださいね」
ヒロカちゃんの言葉に送り出され、俺は真っ暗い夜を走り出した。
会える確信なんて、一切ない。
けれど、まだどこかで。
……シーシャは俺を待っているような、そんな気がした。




