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第76話 試されるシーシャ

「ぁ…………が」


 目の前で男が一人、事切れた。

 すでに陽が落ちた街の裏路地で、シーシャは今しがた()()を終えたところだった。愛刀であるファルシオンから、どろりと粘ついた血液が垂れる。

 一度剣を振り、布で丁寧に血を拭う。そして腰から下げた鞘へ、ゆっくりとしまった。


 速くこの場を離れたい。

 そう思って一歩踏み込んだ途端、足先が倒れた男の頭を蹴ってしまう。


「ひっ」


 手にかけた男の死に顔がこちらを向く。瞼を開いたままの光を失った目が、シーシャには自分を責めているかのように感じられた。


「…………ぉえ」


 思わずシーシャは膝をつき、その場で吐き戻す。

 ここ数日、以前と同じように組織の仕事をこなしているのだが、この感覚だけが一向に消えない。仕事の後、必ず嘔吐感が込み上げてくる。

 にもかかわらず、武器の扱いや太刀筋は昔以上に鋭く研ぎ澄まされてきており、それがシーシャにとってはなんとも皮肉に思えた。


 やはり自分は、普通には生きられない人間なんだ――彼女はそんな風にして、自分の心を無意識に傷つけるようになっていた。


「今回もしっかり仕事はこなせたようだな。御苦労」

「……もう見に来なくていいと言ってる」


 と、そこで背後から声がする。振り向いて確認するまでもない。

 組織の首領である鉄仮面だ。

 本人は「娘の仕事ぶりを見たいだけさ」と言っているが、ただ監視をしているだけだろうとシーシャは思っていた。

 なんとか脚に力を込め、立ち上がる。


「この男はここ最近、ウチのやり方に難色を示していたんだ。とにかく『もっと自由に商売をさせろ』とうるさくてね。できれば穏便に解決したいところだったんだが、話し合いの提案もずっと突っぱねられてしまってな。こうする他なかったというわけだ」

「…………」


 言いながら鉄仮面は、転がった男の顔をその足で踏みつけた。

 組織に逆らう者はどんな人間でも容赦しない――彼のこの態度こそが、組織の鉄の掟そのものであることを物語っていた。


「前にも増して仕事自体は洗練されてきているようだ。この切り口の鋭さなんて芸術の域じゃないか。さすが、俺の娘だな。……だが、毎回どうしても吐いてしまう、と」

「…………」

「冷酷無比な掃除屋として鳴らしたお前も、だいぶ人間らしくなってしまったということかな」


 シーシャが仕事を行う度、鉄仮面はこうして現れた。

 仕事を終えたばかりのところに毎回姿を見せることで、『逃れられないのだ』と絶望させるのが目的だろうとシーシャは考えていた。いちいちそんなことをするまでもなく、もはや自分には逃走する意思などないというのに——自然とシーシャは、臍の脇にある刻印を押さえるように手を伸ばしていた。


「はは、お前は本当に言葉少なだな。まぁ、仕事が済めばそれでいい」


 感情を滲ませない淡々とした口調のままだが、笑ったような風の鉄仮面。

 その歪な雰囲気に、シーシャは不快感を禁じ得ない。


「さて、次の仕事だ。休みを入れてやれなくて申し訳ないんだが、これに目を通してくれ」

「…………」


 一切の慈しみを滲ませず、気遣うような言葉をかけてくる鉄仮面。その手から書類を受け取り、シーシャはざっと目を通した。そして――息をのんだ。


「これは……っ!」

「ああ、これはある意味では一番お前に相応しい仕事だな」


 書類には、シーシャにとって見慣れた単語が書かれていた。

 標的のいる場所は――オルカルバラ領、アルネスト。


「どうやらここ最近、アルネストから来たネズミが我々のことを嗅ぎまわってるみたいでな。あそこはお前がいたところだ、お前ならなんの違和感もなく()()を進められるだろうと思ってな」

「…………っ!」

「お前も知っての通り、俺たちは食品なども取り扱っている商会だ。それなのに、ネズミが出ているのはまずいだろ?」


 書類に書かれていた内容は『アルネストにいる()()()()を殺せ』というものだった。

 握り締めるように書類を握り、歯を食いしばるシーシャ。唇が噛み締められ、白く薄くなっていく。


「お前もよくわかっていると思うが、刻印の存在を忘れるなよ。もし逃げるようなら……な?」

「…………」

「あとはまぁ、組織内にはまだお前の忠誠心を疑う者もいてな。これはそいつらを黙らせるための仕事でもあるわけだ」

「……卑怯な……!」

「フハハ。お前が行きたくないというのなら、別の人間に仕事を頼むだけだがな。俺はそれならそれで構わないさ。ただまぁその場合、お前と違って標的の面が割れていない。余計な時間をかけないためにも、町ごと火の海にするって方法を取る可能性もある」

「そんなことは……させないッ」


 鉄仮面はシーシャの葛藤を楽しむかのように、その全身を睨め付けてきた。仮面の隙間で踊る眼球が、不気味に蠢いていた。


「行く。わたしが行って、しっかり仕事をしてくる」

「よし、いい子だ。さすが俺の娘」


 そこではじめて、分厚く無機質な仮面の下でヤツが本気でほくそ笑んだのがわかった。


 シーシャは臍の脇辺り。

 ヤツに付けられた刻印が、不快感で疼くのを感じていた。



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