第67話 ぽっかりと空いた穴
講義を終えた俺は、その足でギルドに併設されている食堂へと向かった。
午後の労働を意欲的にこなすためにも、腹ごしらえは大切である。注文を済ませ、カウンターで食事を受け取り、いつもの席へと進む。
「いただきます」
着席し、手を合わせてから食事をはじめる。……が、なんだか以前より味気ない。
理由など、考えるまでもなかった。
シーシャが、いないからだ。
いつもなら俺が食事休憩を取り始めると後からシーシャがやってきて、その日のギルドでの仕事の話や愚痴を話しはじめる。
ベーコンとチーズのパンをリスみたいに食べながら、『もっと休みが欲しい』とか『態度悪いやつはぶっ飛ばすべき』とか言い合って、ただヘラヘラして仕事に戻っていく……食事をしていると、否応なくシーシャの無表情が思い出された。
いつもほとんど表情が動かなくて言葉少なだけど、シーシャは嘘偽りなく自分の気持ちを話してくれる。そんな彼女との他愛無い会話が、たまらなく心地よかったのだと今つくづく思う。
「…………」
職員の人が作ってくれる食事は、ちゃんと美味しい。なのに、どうしても味気なさが消えない。俺の日常には、シーシャとのああいう時間が本当に大切だったなんて、こんな年齢(中身還暦)になってもこうなるまで気付けなかったとは。
なんとも、自分の未熟さに腹が立った。こんなことなら、もっともっと彼女と話しておくべきだった。
「先生。お疲れ様でした」
「あ、ヒロカちゃん」
と、そこでヒロカちゃんが遅れて食堂にやってきた。
ここ最近の彼女は、講義終わりに受講生から質問攻めに遭うのが恒例となっており、今日もその対応で時間を取られていたのだろう。もはや押しも押されぬ人気者である。
「あ、それ……」
「どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもないよ」
対面に腰掛けたヒロカちゃんのお盆に乗っていたのは、ベーコンとチーズを挟んだパン。
――シーシャがいつも食べていた、好物。
炙ったベーコンの香ばしさを感じた途端、妙な痛みが胸を苛んだ。
「……先生、シーシャさんがアルネストに来る前、なにをしていたのかってわかりますか?」
一瞬だけ、もの悲しそうな顔をしたヒロカちゃん。俺の思考を読んだのか、シーシャについて聞いてきた。
「いや、わからない。そういう話は、ほとんどしなかったから。あんまり聞くもんじゃないのかなって、思っていたから」
食事をやめ、正直に答える。
よくよく考えると、俺はシーシャのことをなにも知らないのだと……知った。
「そうですか……」
ヒロカちゃんはそれ以上なにかを聞くことなく、食事をはじめた。シーシャほど豪快にかじりつくことはなく、上品にパンへとかじりついていた。
その後の食事は、あまり味を感じなかった。
◇◇◇
「失礼します。魔石の受け取りに来ました」
「あ、どもどもー」
食事を終え、ギルドでの雑務を手伝っていた俺の元へ、総白髪の男性が上品に挨拶をしてくれた。どうやら、いつも魔石を受け取って運んでくれている商会の方らしい。
ダンディな見た目年齢にそぐわず、彼の身体は服の上からでも分かるぐらいに筋肉質だ。日頃の肉体労働で鍛え上げられているのだろう。立派なもんだ。
「これ、このまま運んじゃって大丈夫ですかね? いつもこのまま持って行ってました?」
「そのままで問題ないですー。あ、というか今日はじめての方ですかね? じゃあ色々と説明し直した方がいいかな」
「あーいえいえ。お手間でしょうし大丈夫ですよ。すぐ慣れますし」
白髪の男性は愛想良く笑みを向け、魔石の入った袋を軽く持ち上げた。
「ちょうど今、商会の配置転換を行っている時期で。同時に人員整理なども行われていて、私がこの辺りの担当になったんです。よろしくお願いしますね」
「あ、そういうことだったんですね」
いつ、どんな世界であれ、仕事というのは個人の意思とは関係なく、移動や変化が発生するものだ。本当、人の世ってのは世知辛い。
「それじゃ、魔石持って行きますねー」
「俺も手伝いますよ」
魔石を外の荷馬車まで運ぶだけでも、結構な重労働だ。人一人でやるより、人数がいる方がいいだろうと思い、俺は卸される魔石の袋を担いだ。
このように、冒険者が採った魔石は一旦ギルドで価値が決められ、それらが商会へと卸され、世界各地へ流通する。
こういった仕組みから、ギルドに負けじと商会の存在価値が日に日に高まっているのだった。
「お手伝いありがとうございます。さて、今日はこんなもんですかね?」
「ええ、これで終わりだと思いますが……ちょっと確認しますね」
だいたいの魔石袋を積み終えたタイミングで、俺はギルドに入って残りを確認した。よし、全部積めたっぽいな。
「おっけーです。さっきので全部だと思います!」
「了解しました。では今後とも、アンディルバルト商会を御贔屓によろしくお願いします」
「いえいえー。こちらこそですー」
丁寧で誠実な挨拶に、俺も思わず深めの会釈をした。
その後、軽く後片付けをしてから、ギルドの扉に手をかけた。
「さて、と。見回りに行くとしますかー」
気持ちを切り替える意味も込めて、独り言をつぶやいてから扉に手をかけ、ギルドを出た。
「うお、もういない。さすがアンディルバルト商会、仕事早いな」
外に出ると、すでに商会の荷馬車はいなくなっていた。
夕暮れでできた建物の影が、そのときだけやけに色濃く感じられた。




