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第60話 父と子

 城を揺るがすような震動を起こし、元は王だった大鬼オーガが倒れた。剣を振り血を払ったエデンダルト王子が、唇を噛んでいるのが見えた。


「……? お、おい見ろ! 肉体が人間の状態に戻っておる!!」


 突然叫んだヴィヴィアンヌさんに反応してオーガを見ると、確かにその肉体は人間のものへと変質していた。胸に生々しい傷は残っていたが、元のディランダル王に違いなかった。


「ち、父上ッ!!」


 剣を鞘へ戻したエデンダルト王子が、一目散に駆け寄る。そこで、気を利かせたヴィヴィアンヌさんが、すかさず王へと回復魔法をかけてくれた。


「……色々言いはしたが、親子としての最後の時間ぐらいは作ってやる」

「ヴィヴィアンヌ殿……ありがとう。こんな未熟な僕のために……ありがとう」


 ディランダル王を抱き上げた王子を見届け、俺とヴィヴィアンヌさんはすっと二人から離れる。……最後の時間を、邪魔してはいけない。


 俺とヴィヴィアンヌさんは一度目配せし、王の間を出た。


「俺たちはヒロカちゃんを追おう」

「じゃな。……それにしても、なぜディランダル王だけが元の姿に戻ることができたのか。不思議に思わんか?」


 ダイトラス城の廊下を走り出してすぐ、ヴィヴィアンヌさんが言った。

 それについては、俺も疑問が残っていた。いったいどういう理屈で、王だけが人間の姿に戻ったのだろうか?


 王子の《聖闘気セイントロア》をまとわせた斬撃が効果を発揮したというなら、オークとなった家臣たちが一人も戻らず散っていったというのが説明がつかなくなる。

 ディランダル王の元々の意思力や肉体の強さが影響したという可能性も考えられるが、それであれば家臣の中にも戦闘経験のある強者が数名いてもおかしくはない。


「あくまでわらわの仮説じゃが……ユーキ、お前のあの《魔眼》の影響ではないかと考えておるぞ」

「えっ? 俺?」


 走りながら思考を巡らせていたところに、ヴィヴィさんが意外なことを言い出す。


「まずあのディルビリアとか言う女のギフト《授毒粘膜ポイズンベリー》の仕組みを考える必要がある。奇をてらうことなく素直に考えれば、粘膜から粘膜へヤツの魔力を流し込み、それによって細胞から相手を変質させている、という風なプロセスのはずじゃ」

「ああ、俺もそう思う」


 数多あるギフトも、あくまで魔力による行使が前提とされているからだ。


「一般的な《魔技マギ》、ギフト研究の観点からすれば、粘膜から毒されて細胞レベルで変質させられているものを回復させることなど、到底できやしない。毒された箇所そのものを取り替えるなどしない限りな。じゃが、お前の《魔眼》はおそらくじゃが、その細胞レベルの毒に干渉し、かつ相殺することができた」

「え……マジで?」


 俺は自分のことにも関わらず実感がなさすぎて、間抜けな声を出してしまう。

 王へと睨みを利かせていたときは、まったく細胞うんぬんとか考えていなかった。キレ散らかしてただけです。


「これも仮説にはなるが、お前の《魔眼》は突き詰めれば、他者の()()()と思えるギフトの効能すら、打ち消すことが可能というわけじゃ。そう、この大天才わらわの魔法をキャンセルしたようにのう」

「……なら、俺がもっと上手くやってれば、みんなを助けられたかもしれないってことだよな」


 まだ確証のないヴィヴィアンヌさんの仮説だとしても、やはり俺自身は悔しさを覚える。俺がもう少しそれに早く気が付いていれば、あんなにエデンダルト王子が傷つかずに済んだのだから。


「なぁにシケたこと言ってるんじゃ。時間はいかなるときも不可逆、だったら今より先に起こるべき未来へ向けて、失敗や反省を糧に前進するべきであろう」

「……だな。ありがとう、ヴィヴィアンヌさん」

「ふん、よい。この大賢者様から学ぶことも多いじゃろう、()()?」

「はは、まったくだよ」


 ヴィヴィアンヌさんの嫌味に対しても、まったく腹が立たなかった。


「ふむ、どうやらヒロカたちはすでに城の外へ出たようじゃ。魔力の残滓が外へ向かっておる」

「急ごう!」


 俺たちは急ぎ、城の出口へ向けて駆けた。



◇◇◇



 先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った王の間で、エデンダルトは実父――ディランダル・ダイトラスの身体を抱き、手を握っていた。


「父上……申し訳ございません。私が、不甲斐なかったばかりに……」


 そう悔恨したエデンダルトの目は、今にも涙が零れてしまいそうなほどに潤っていた。


「気にするな……余は、もう……寿命、だった」

「父上……ッ」

「エデンダルト、ずっとお前には……謝らなければならないと、思っていた。今日、この瞬間まで、本当に……すまなかった。……余は、お前に愛情を、きちんと示すことが、できず……向き合わず、逃げてばかり……いた」

「そんな……そんなことはありません!」


 エデンダルトは、さらに強く父の手を握る。


「ただただ、怖かったのだ……。お前の母、兄を失い、余は孤独を感じてしまった……お前が、いてくれたと、言うのに……でも、お前を愛し、そしてまたお前まで失ったらと、思うと……たまらなく、怖くなった……」


 弱々しいディランダルの懺悔の声に、エデンダルトはただ首を振る。ディランダルの弱った心の隙を突くことで、ディルビリアは暗躍の機会を得たのだろう。


「弱く、醜く……そして出来損ないの余を、許してくれ、エデンダルト……お前はこのような、未熟で不甲斐ない王には……なるでない、ぞ」

「父上は、私にとって理想の王でありました! 私は、父上のような立派な王になりたいと……ずっと願って……」


 そこでエデンダルトの瞳から、一筋の雫が頬を伝った。


「お前は、強く、優しい……そして、今日、わかった。……お前には、心底から信じ合い、支え合える仲間が、いる。……それだけで、余は……嬉しい。たまらなく、嬉しいのだ。……愛しい息子が……独りでは、ないのだから」

「父上……ッ!」


 さらに強く、エデンダルトは父親の手を握る。しかし握り返す力は、どんどん弱まるばかりだった。


「エデン……ダイトラスを、頼んだ……ぞ……」

「……お父さん……お父さんッ!!」


 請い求めるエデンダルトの声は、静かな月夜に空しく響くだけだった。

 その瞬間、ダイトラス三世――ディランダル・ダイトラスは、その生涯の幕を閉じた。


 王の間にはしばらくのあいだ、嗚咽の音だけが響いていた。



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