第59話 代償
「エデンダルト……王子……!」
ヴィヴィアンヌさんの魔法から、エデンダルト王子はオーガを守るという選択をしていた。巨大な炎に飲まれたと思ったが、《聖闘気》のおかげなのか、見る限りダメージはない。
「な、なにを考えておるのじゃ、お前は!? どこまで馬鹿な王子なんじゃワレ!?」
「……父上を、殺さないでくれ……!」
ぼそりと、重たく静かに言葉を零したエデンダルト王子。
……ダメだ、王子。現実を受け入れることなく、逃避的思考に閉じこもるのはいけない!
「王子! もうディランダル王を元に戻す方法はな――」
「だったらッ! ……だったらこのままでも、生き続けてもらうッ!!」
これまでの聡く賢い王子であれば、こんな非現実的で感傷的な判断など、絶対にしなかっただろう。
王子はここに来るまでずっと、心に多大な負荷を受け続けた。
愛する父親の体調不良にはじまり、苦楽を共にした仲間の死、裏切られたとは言え信頼してきた家臣らをその手で屠る精神的ストレス。それらのせいで、ついに彼の心は限界を超えてしまったのかもしれない。
心が擦り切れ、傷つき、深い悲しみに溺れ、それでもここまで前を向いて進み続けたエデンダルト王子。そんな彼を、いったい誰が責めることができるだろうか。
「皆、すまないが僕は父を殺すことはできない。本当に申し訳ないのだが、皆には父上がオーガとなったことは伏せてもらい、なんとか身体を元に戻す方法を探し出して――」
「GWWRUOOooooッ!」
「父上……大丈夫、僕がついていますから」
乱心したとも思える王子の発言を塗りつぶすかのように、王が激しく咆哮した。それを見て、王子は鎮まるようにと、穏やかに言葉をかける。
……こんなにも悲しく切なく聞こえる魔物の叫びが、あってたまるかよ。
「先生! ディルビリアがいません!」
「な、なんだって!?」
と、そこで異変に気付いたヒロカちゃんが叫んだ。くそ、さっきの爆発のタイミングで逃走したのか!? この最悪の混乱を引き起こした元凶を、みすみす逃がしてしまうなんて……!
「先生、私なら空気を読むことでどこへ逃げたのか、今ならまだわかると思います。私が追跡します!」
「でも、単独行動は危険が……」
「大丈夫です、もう半人前じゃありませんから! あの人を野放しにしたら、今以上に悲しんだり、苦しんだりする人が増えると思う! だから私は、あの人をこのまま逃がすわけにはいかない! もうすでに一人、大切な人がこれ以上ないほど傷つけられているんだからッ」
言ってヒロカちゃんは、エデンダルト王子へと視線を向けた。その瞳は潤み、涙をこらえているように思えた。ヒロカちゃんも、王子の惨状にひどく胸を痛めているのだ。
「……わかった、任せる! こっちは俺がなんとかする!」
「はい! いってきます!!」
ヒロカちゃんを送り出し、俺はオーガを睨みつける。教え子が、とんでもなくキツい状況でも前を向き、今やるべきことを必死に遂行している。
……先生の俺が、いつまでもヒヨってるわけにはいかんだろうよ!
「エデンダルト王子ッ! 目を醒ましてください!!」
「ユーキ殿、ぼ、僕の目は醒めている! 正常な思考で判断を下しているッ!!」
「嘘つけ! あなたの言うお父さんを、よく見てみろ! ソイツはあなたを励まし、導き、受け止め、時には叱ってくれるのか!?」
「今は無理でも、時間をかければ、いずれは……」
「馬鹿なこと言うな! 俺たちが生きられるのは、常に現実だけだ! 希望的観測や妄想の世界で悦に浸るんじゃなく、人間は辛くて悲しい現実を生き抜いてくしかねーッ! でもだからこそ、人は誰かに優しくできるし、成長していけるんでしょーがッ!!」
王子へ向かって、俺は言いたい放題言う。後で不敬罪とかなってもしらね! そしたら逃げるッ!!
「GRUOOooooッ!」
「お前は今ちょっと黙ってろッ!!」
「UGWhooooッ!?」
そこでまたも暴れ出そうと吠えたオーガへ向かって、俺は件の《魔眼》を発動する。目に見えてオーガは怯み、眼球を掻きむしるようにして後退った。
「ち、父上ッ!」
「何度言えばわかる!? アレはもうあなたのお父さんじゃない、魔物なんだよッ!!」
「しかし、元は父なのだ! 僕の大切な……父なのだッ!!」
俺と王子の間で、埒が明かない問答が続く。平行線で進展しない会話に我慢できず、俺は王子の元へ進み、その肩を両手で掴んで揺さぶった。
「だから、本当にあなたの父親なのか、よく見てみろ! 現実の目で、心で、ちゃんと見るんだ、ほら! あなたの尊敬する大好きな父親は、もう――ッ!?」
と、王子を振り向かせた瞬間。
オーガが片腕を振り上げ、鋭い爪をこちらに向けていた。
まずい――! 俺は咄嗟に、王子を庇うようにして掻き抱き、オーガへと背を向けるようにした。
……が。ヤツの爪が降ってくることはなかった。
「……エデン、だ……大丈夫、か?」
「ッ!!」
振り向くとそこには、銀髪の美丈夫――セスナさんが立っていた。
オーガの鋭利な爪が、彼の全身を刺し貫いている。血飛沫を浴びた自分の背中が、やけに冷たい。
「セ、セスナ……!」
「エデン……キミは本当に……優しいな」
王子が俺の懐から飛び出し、倒れ込むセスナさんの身体を受け止めた。セスナさんは全身から血を流しながらも微笑んでいる。
「ヴィヴィアンヌさんッ!!」
「わかっておる! じゃがさっきの魔法で魔力がほとんどない! 生成するまで時間がかかるッ!!」
「っ……クッソ!!」
「GUNooooッ!?」
俺は行き場のない怒りに任せ、オーガへと魔眼をぶつけた。
アンタが……アンタが父親として一番大事なものを、見失いさえしなければッ!!
「孤児だった私に、エデンの……父親に対する気持ちは、真には理解できない。だが……今のキミを見ていて、私にもわかることが……一つだけ、ある」
「セスナ……もういい、しゃべらなくていい」
王子の腕の中で、セスナさんの声がどんどん小さくなっていく。
俺はもう一度、オーガへ向けて魔力の乗った眼光を向けた。
「エデン、キミが未来を共に生きていくのは……そこにいる彼ら、だろう?」
「…………ッ!」
背後で、王子が息を飲んだのがわかった。
……共に生きる未来の中に、セスナさんもいてくれるんだよな?
「聞け、エデン……。聡く力強く、かつ心優しいディランダル王は……永遠に、キミの心の中で生き続ける」
「し、しかし……僕はもっと……もっと父上と……!」
「エデン、心配は、いらない。私から王に……たまにはキミの夢枕に立つよう、言っておくから。……そうしたら私以上に、キミを甘えさせてくれることだろう」
「セスナ……子供扱い、するな……っ」
そこでついに、王子の目から一筋の涙が零れ落ちた。
「王と共に、できるなら私も……キミの心の中で生き続けられることを願うよ」
「そんなことを言うな、セスナ。僕には、お前が必要なんだ……ッ!」
そこで、またもオーガが呻き、暴れ出した。
……頼むから、二人の最後の時間を、邪魔しないでやってくれ。
俺はありったけの魔力を込めて、ヤツを睨みつけた。
「エデン、最後にこれだけは言わせてくれ」
「やめろ。やめてくれセスナ……っ!」
「……これ以後、私がキミから離れることはない。私のキミへの忠誠は、海より深い永遠なのだから」
牢屋で語った言葉を、もう一度繰り返したセスナさん。
そして。
彼は静かに――息を引き取った。
「…………ッ」
エデンダルト王子は言葉もなく、ただただその身を震わせる。セスナさんの身体をきつく抱きながら、息を殺して泣いていた。
「…………ユーキ殿、ヴィヴィアンヌ殿。僕に……私に、力を貸してくれ」
ひとしきり涙を流した後、セスナさんの遺骸を丁寧に横たえ、王子は立ち上がった。その全身には、再び白い光が立ち昇っている。そう、《聖闘気》だ。
俺とヴィヴィアンヌさんは言葉を交わさぬまま、その横に並び立つ。
「ダイトラス四世の名の下に、今ここで、王位の交代を宣言する」
全てを乗り越え、強く鋭い意思を宿らせた瞳で、王子はオーガを射抜いた。
それに合わせて、俺はヤツの動きを止めるべく《魔眼》を実行する。一方のヴィヴィアンヌさんも、大球で牽制。オーガは暴れ、地団駄を踏んだ。
「私の剣で、この国難を終わらせる――でやあああああああッ!!」
決意を胸に、エデンダルト王子が一息に駆け、飛び、力の限り聖剣を振り下ろす。
聖なる光をまといし剣が、分厚く巨大なオーガの胸板を切り裂いた。
「WUGROOOOooooooooッ!!」
聖なる斬撃をその身に受けた大鬼は、地響きのような揺れを起こして、倒れ伏した。




