第58話 引き裂かれる心
「父上ッ! 父上ェェ! お気を、お気を確かにッ!!」
「GRUOOoooo!」
エデンダルト王子の嘆きのような叫びが、王の間に響く。が、それはディランダル王――大鬼の狂暴な咆哮によってかき消されてしまう。
王の間の高い天井に届かんばかりの巨体を誇るオーガは、足元のベッドを踏みつけ砕こうとしていた。
「ハハハ、なんと美しい姿でしょう! さすがは先の戦争で『ダイトラスの武神』と畏れられたディランダル王です! ワタクシのかけた愛情に、これ以上ないほど応えてくれましたね!」
オーガとなった王を見て、興奮したように高笑いするディルビリア・ビスチェル。その顔は少し紅潮している。こんな非道な真似をして興奮するなど、ヤツはもはや人に非ずだ。
「父上、僕の声が聞こえますか!? 父上ェ!!」
《聖闘気》を解き王へと近付き、嘆くように父を呼び続けるエデンダルト王子。やはり声が届くことなく、オーガはその膂力によってベッドを粉々にした。
「ヴィヴィアンヌさん! 一旦オークは俺とヒロカちゃんに任せて、セスナさんを診てあげてください!」
「うむ、心得た!」
俺はひとまず、先ほどオーガの一撃をモロに喰らって吹き飛んだセスナさんを助けることを優先した。あの不意打ちでは、もしかすると致命傷になった可能性もある。手当を急がなければ、命が危ない。
「ヒロカちゃん、オークの数はだいぶ減った。いける!?」
「はい! 任せてください!!」
ヒロカちゃんに声をかけ、上手く連携を図る。オーガの動向に注意しつつ、残りのオークたちを戦闘不能にしていく。
その間もエデンダルト王子は、ずっとオーガへの呼びかけを続けていた。
「先生……王は、泣いています。あんな姿になり息子を苦しめ、不甲斐ないと泣いています。私には……わかります」
「ヒロカちゃん……」
背中合わせになってオークの相手をしていたヒロカちゃんが、切なさを滲ませた声で言った。
「くっ……こんなの、いくらなんでも卑劣すぎるだろう……!」
愛する父のためにとここまで、様々な艱難辛苦に耐えてきた息子に、その実の父を殺させる――ディルビリア・ビスチェルの鬼畜の所業に、俺は御しがたい怒りを覚える。
だが、おそらくヤツを殺したところで魔物化した者たちが元に戻ることはないのだろう。ギフト特性を読めるヒロカちゃんにすら、元に戻す方法が読めなかったのだから。
「父上……父上ぇ! 僕がわかりませんか!?」
「WRUOOOOooooッ!」
オーガが王子を睨み、狂暴に吠えた。
――次の瞬間。
「危ないッ!!」
「ッ!?」
オーガから目にも止まらぬ速さで拳が飛んできた。間一髪、俺が横っ飛びして王子と共に倒れ込み、難を逃れる。
「先生っ! く、私が相手よ、こっちに――きゃッ!?」
「UOOooooッ!」
「ヒロカちゃん!」
機転を利かせ注意を引き付けてくれたヒロカちゃんが、オーガの攻撃をまともに受ける。空気を読み、相手の意図や初動を見極めることでほとんどの攻撃を回避できるヒロカちゃんが、躱せず吹き飛ばされた。
まさか、彼女が読み切れる速度や膂力を超えた攻撃を繰り出しているということか? ……厄介だな。
「だ、大丈夫、です! 咄嗟に魔力を集めて防御しましたから!」
吹き飛ばされた先で、ヒロカちゃんはしっかり着地して態勢を整えていた。よかった、なんとか無事みたいだ。
「クフフフ……フハハ! 最高です、最高ですわディランダル王! いいえ、ワタクシのオーガ!! もっともっと暴れて、さらなる混沌を生み出しなさいッ!!」
ディルビリアが恍惚とした表情で叫び、オーガをけしかけた。
くそ、まずはアイツを黙らせるべきか!?
「ユーキ、ヒロカ! 銀髪の治療は終わったぞ!」
「ヴィヴィアンヌさん!」
そこで、セスナさんの治療を終えたヴィヴィアンヌさんが戦列に復帰してくる。すでにオークはほぼ一掃され、残るは王の成れの果てである大鬼のみとなっていた。
「WWUOOooooッ!!」
「…………」
俺は周囲を見渡し、戦況を確認する。
今俺と王子がいる位置は、ちょうど王の間の真ん中辺り。少し離れたところでオーガが暴れている。入口側にはディルビリアと、その護衛らしき最後のオークが二体陣取っている。そして部屋の奥にヒロカちゃん、ヴィヴィアンヌさんとセスナさんがいるという状況だ。
単純な数で言えば、もはやこちらの方が多い。ただセスナさんは負傷し、王子は戦えるような精神状態ではない。
さらに言えば、先ほどから優雅な見物を決め込んでいるディルビリアが、これからどんな動きをしてくるか見当もつかない。
……ここから俺はどう動く? どうするべきだ?
考えろ、ユーキ・ブラックロック!
「なんじゃ、王子のヤツはまだグチグチやっておるのか? いっそわらわが魔法で一掃してやろうか?」
と、そこでヴィヴィアンヌさんが一歩進み出て、魔力をさざめかせた。まさか、膠着した戦局に業を煮やし、強力な魔法をぶっ放す気だろうか?
「ヴィヴィ、待って! まだあのオーガは――」
「ふん、どいつもこいつも何を躊躇しておるのじゃ? ヤツはもうディランダル・ダイトラスではなく、ただの厄介な魔物、言わば駆逐対象じゃ。なんで一気に決めてしまわぬ」
「だって、元はエデンダルト王子のお父さんなんだよ!?」
「知らぬ。そして元に戻す方法はないと言ったのはお前じゃろ、ヒロカ」
「そうだけど……」
「それにああして変わり果ててしまっておるということは、王であってもくだらん性欲に負けて、あそこのクソ女とよろしくやったということじゃろう? まったく、肉親とは言えそんな者を庇い立てする意味が分からん」
ヴィヴィアンヌさんの歯に衣着せぬ物言いに、ヒロカちゃんも押し黙ってしまう。
俺の隣にいるエデンダルト王子の耳に、その言葉が届いた様子はない。覇気のない虚ろな目をしたまま、口を開いて何かを嘆き続けている。
「ふん、鬱陶しい! 一般人どもでは踏ん切りがつかぬと言うのなら、この大賢者ヴィヴィアンヌ様が幕引きをしてやろう」
「ヴィヴィ!」
「ええい、うるさいのじゃヒロカ! 黙ってみておれ!!」
ヒロカちゃんの制止を跳ね除け、ヴィヴィアンヌさんが巨大な魔力を放出しはじめる。
「GWWRUru……WWOOooooッ!!」
凄まじい魔法の熱量に反応したのか。さすがのオーガも警戒心を持った様子で、ヴィヴィアンヌさんの方へと身体を向けて叫喚した。
「ふん、わらわの凄さは感じ取れるようじゃな。なればこそ、一個人が使用できる最高峰、超上級魔法をその身に味わわせてやろう」
ヴィヴィさんの頭上に、巨大な火球が構築されていく。
く、俺はあの魔法を、止めるべきなのか……? わからない、いったい俺は、どうしたら……ッ!
「くらえ――《アンノウンファイア》ッ!!」
「GRUWWOOooooッ!?」
懊悩している間に、超特大の火球が放たれてしまう。その大きさは、オーガの巨体すら丸飲みにしてしまうようなもの。
「――ッ!」
火球が着弾した瞬間、ダイトラス城全体が揺れているような大爆発が起こった。
部屋全体が、爆発で生じた煙に覆われる。視界がほとんど失われてしまう。
「ヌハハ、さすがわらわ。素晴らしい威力じゃ!!」
ようやく晴れてきた視界の中、遠めにヴィヴィアンヌさんが高笑いをしているのがわかった。
状況はいったい、どうなった!?
「…………」
「な、なんで……ッ!?」
煙が引いた王の間に、オーガは無傷で立っていた。
そして、それを庇うように立ちはだかっていたのは。
――《聖闘気》をまとった、エデンダルト王子だった。




