第34話 戻って来た日常
「すー……はぁー。あぁ、今日も仕事終わりの空気がうまい」
一日の仕事の締めであるアルネスト周辺の見回りを終え、俺は町の入口で立ち止まって深呼吸をした。
すでに季節は初夏となり、かなり日が長くなってきている。空はまだ夕暮れには遠く青々しい。
聖魔樹海への遠征から、すでに一ヶ月以上が経過していた。
すでにアルネストは騒動前の平穏を取り戻しており、突如として集合したVIPらはすでに各々の土地へと戻っている。事後手続き等の対応で残っていた領主ルカ・オルカルバラも、数日前に自らの領主館へと戻っていった。今後は定期的にアルネストへ顔を出すと言っていたな。
ちなみに、ルカが俺の代わりに行った冒険者指導講習の評判はと言えば。
……ぶっちゃけて言えば、かなり悪かったらしい。『鋼鉄の魔女』の知名度により、各所から冒険者志望やライセンス更新希望者が殺到したそうなのだが、指導の内容がクソスパルタ過ぎてクレーム轟々だったそうだ。シーシャが愚痴っていた。
俺は特別に聖魔樹海遠征のあとに数日休暇をもらったのだが、それを終えて交代手続きをした際には『アンタが案外難しいことをやってたんだと痛感したねぇ。改めて見直したよ』と謎のお墨付きをもらった。
いやいやいや、そりゃあなたの基準でやったら誰もついてこれませんてば! と思ったけど怒らせたら恐ろしいので黙っておいた。
「先生ー!」
「おーヒロカちゃん。おかえりー」
俺が伸びなどをしながら取り留めもないことを考えていると、丘を下った向こうから、ヒロカちゃんが手を振っていた。時間帯を考えるに、今日も近隣のダンジョンに潜っていたのだろう。……毎日こうして帰りを待ってるわけじゃないぞ?
俺は軽く手を挙げ、応える。嬉しそうな笑顔がなんとも眩しい。
聖魔樹海遠征、からの帰還……という大きな実績を得たヒロカちゃんは、もうすでに俺の現役時代より高いクラスの冒険者となった。その証拠として、彼女の胸元にはエデンダルトから贈られた【銀紋章】が輝いていた。
銀紋章とは【準勇者】に与えられる勲章である。勇者に与えられる《紋章》より格は一つ落ち、準A~B級冒険者相当のレベルと判定されるのだが、冒険者としてデビューしてもいなかった新人にアレが与えられるというのは、極めて異例中の異例だ。
使者が持ってきたエデンダルトからの書簡によれば、王子はヒロカちゃんを勇者に推してくれていたそうだ。だがやはり冒険者でもないうえ、丸く収まったとは言え問題が多発した『召喚勇者パーティー』だった者の一人に、ほとぼりが冷めないうちに紋章を与えることはできないとして、準勇者に落ち着いたのだそう。
が、それでもとんでもなくありがたいことだと、ヒロカちゃんは大いに喜んでいた。それに俺としても教え子が対外的に評価され、なんとも嬉しい限りだった。
「今日もダンジョン? 大丈夫だったかい?」
「もう先生ってば、心配しすぎですよ。見てくださいこれ、こんなに魔石採れました!」
「はは、ごめんごめん。さすが準勇者様だ」
「あー、そういう言い方なんかやだなー」
ヒロカちゃんと他愛ない会話をしながら、町へ戻る。
準勇者というのは世間では、言葉の通り勇者に次ぐ存在とされている。さらに言えば、次世代の勇者候補筆頭である。これは言わば、他者からの期待や興味が大きく跳ね上がるということも意味していた。
すでに等級では追い抜かれているとは言え、俺はまだヒロカちゃんの先生である。すでに単独で依頼をこなせているとは言え、教え子が様々なプレッシャーに押しつぶされてしまわないかなど、まだまだ心配は尽きないのであった。
……実は、エデンダルト王子は俺に対しても【銀紋章】を発布してくれたのだが、準勇者受諾の同意書を返送できずにいる(王子が気を利かせて『ユーキ殿の気持ち次第で構わない』と添付してくれていた)。
銀紋章と同意書は、自室の引き出しの机の奥にひっそりと閉まったままだった。
「こんな風に評価してもらえるのは、私だけの力じゃないのになぁ」
「でも実際のところ、あの時に一番頑張っていたのはヒロカちゃんだと思うよ」
「だけど! 私があそこでちゃんとしていられたのは、先生やギルドの皆さんの支えあってなわけですし……個人で評価されてる気がして、なんか落ち着かないです。嬉しいは嬉しいんですけど」
「若いんだから、素直に受け取っときゃいいのさー」
ヒロカちゃんへ言葉を返しながら、俺はつくづく自分がずる賢い大人だなぁと若干の自己嫌悪を感じていた。
銀紋章を素直に受け取らないこともそうだが、なにより俺は彼女と違い、自分の対外評価や能力はできる限り隠しておきたいと考えているからだ。
その理由は、みやみやたらに評価・能力が知られると、ロクなことがないからである。前世ではクソ上司のような人間に目を付けられ、自分の人生における大切な時間や体力を搾取され続けた。あんなのはもうゴメンだ。
そのため、王子の手紙に書いてあった最後の文に関しては、俺はかなり辟易していたのだった。
――同意は得られずとも、ユーキ殿とヒロカ殿は、僕の中ではすでに勇者級の頼れる者だ。もしなにかあったときは、ぜひお力添えをお願いしたい。 エデンダルト・ダイトラス——
うーん、王子権限で実際に呼びつけられたら、かなりめんどいよなぁ……。あの感じだと、そう簡単には断れなさそうだし。
「先生、私はこれから採った魔石の鑑定依頼に行きますけど、先生は部屋に帰りますか?」
「あー、そっか。じゃあ俺は食堂で一杯引っ掛けようかな」
「えー、いいなぁ! 私も後で行きますね!」
「当たり前だけどヒロカちゃんは飲んじゃダメだよ?」
「なんでですか!? こっちじゃ十四歳からほぼ成人なのに!」
「俺とヒロカちゃんの感覚はちょっと違うでしょ。だからダメですー」
「先生、ヤな感じ!!」
べ、と舌を出して反抗的態度を取るヒロカちゃん。
まったく、本当にこの子は俺の空気だけ読まんなぁ。
「じゃ、またあとでー!」
「はいはい」
と言いつつも、ちゃんと表情を変えて手を振ってくれるヒロカちゃんなのであった。カワイイヤツめ。
「……俺もあの子の先生としては、負けじと動かないといけないのは、わかってるんだけどな」
遠ざかっていくヒロカちゃんの背中を見ながら、独り言ちる。
そう、俺もなんだかんだと言いつつ、やはり彼女の先生としては今以上にレベルアップしなければならないと感じていた。どんどん高みへと進んでいくヒロカちゃんに、置いていかれないためにも。
「ヒロカちゃん、想像以上の優秀さだからなぁ」
自分を軽々と超えてくれたのは嬉しい反面、正直に言うと情けなさみたいなものも感じてもいた。
対外評価はもう仕方ないとしても、せめて実力の部分では『まだまだ負けないぞ』と示せる自分でありたい——そう思っているのは、紛れもない事実だった。
たとえそれがくだらないプライドだとしても、完全な負けを認めて悟ったようになってしまうのは、個人的には違う気がしていた。
「……でもまぁ、今日は仕事頑張ったし、明日からにしよう」
……が、やはり心と身体が上手い具合にかみ合うことはなく。
俺は吸い込まれるように、ギルド併設の食堂へと足を進め。
せっせと、アルコールの摂取に励むのだった。
ビバ、退社後のエール!!




