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第146話 寂しいよ、先生

 私の体調が回復したのは、聖魔樹海遠征を終えた数日後だった。


 気付くとすでに私たちはデムナアザレムに戻っていて、その時点ではまだ意識が混濁している感じがあった。私はすぐに教会側の用意した回復魔法の使い手らに治療され、保養施設のベッドに寝かされることとなった。


 はっきりと目が覚め、頭のモヤが晴れたと思えるようになった時には、すでに聖魔樹海遠征後のゴタゴタで、周辺がにわかに騒がしくなっていた。


 私が気を失っている間は、どうやらイルミナさんが主導し、デムナアザレム側との調整を行ってくれていたらしい。


「ではヒロカ様、改めて現状の説明を――」

「いい。もうわかってるから」

「…………」


 ベッド脇の椅子に腰かけ、分厚い書類の束に目を落としたイルミナさんは、私の不愛想な態度になにも言わないでいてくれた。


 今回の聖魔樹海遠征では、いくつかの事件が起こった。


 まず、ザイルイル大司教の死亡。

 彼は教会勢力内では次期教皇候補と目され、大司教という高位にあり多大な影響力を持つ人物だった。

 その彼を無事に本国へ帰すことができなかったとして、護衛である私たちダイトラス側が、責任追及されることとなった。


 ただこれに関しては、当初ダイトラス側は安全面を考え反対していたという事実を提示することで、議論は平行線となっていた。


 次に、大聖堂建設計画の責任者死亡による、事実上のとん挫。

 ただ、建設計画に反対している人も少なくなかったようで、これ自体は有耶無耶の中で立ち消えとなりそうだとイルミナさんは話していた。


 第三に、ザイルイル大司教が画策していた『聖魔王』の復活。

 彼は今回の遠征で、本当の目的として密かに『私の身体を聖魔王の器にする』という思惑を持っていたらしい。私はそのために大量に毒の香りを嗅がされ、ギフトも使えず、前後不覚のような状態に陥ってしまったのだと聞いた。


 イルミナさん曰く、これは先生の活躍で阻止することができたそう。


 しかしそれは同時に、一つの悲劇を引き起こした。

 そう――ユーキ先生の、【異端者認定】である。


「先生が、異端者……」

「仕方ないのです、ヒロカ様。ユーキは……いや、の者は、ザイルイル大司教を殺害し、逃走しているわけなのですから」


 いつもと違い、規律ある表情で話すイルミナさん。

 緊張感を滲ませるその表情が、言うなれば逆説的に、彼女が無理をしていることを物語っていた。


「イルミナさん、わかりました。でも、それは建前ですよね?」

「…………っ!」

「私には、本当のことを、教えてください。私は、先生がなんの意図もなくイルミナさんに無理をさせるわけがないってわかる。それに、私自身……先生の意図を知っていた方が、まだ受け入れられる」

「ヒロカ様……!」


 そうしてようやく、イルミナさんは真実を語りはじめた。


 私は聖魔樹海で、ザイルイル大司教の手によって心を壊されかけ、そのうえ服を剥ぎ取られ、辱められたこと。

 フィズが、ザイルイル大司教のギフトで生み出された存在で、私を貶めるために近付き、でも最後には助けてくれたこと。


 そして先生が――大司教殺害の罪を背負い、一人逃走したこと。


「ユーキは、ヒロカ様の未来を想い、大司教を……」

「でも……殺すなんて。もっと、法で裁くとか、方法が……」

「ええ……私は、止めたのですが、力及ばず……」


 話している最中、イルミナさんはずっと苦しそうだった。

 この、他人の機嫌や気分が読める感覚も、かなり久しぶりな気がした。ギフトの力が、ようやく戻ってきたのだろう。


「でもそれなら、いなくなる必要なんてなかったんじゃ? 少なくとも私やイルミナさんと協力すれば、ダイトラス国として、デムナアザレム側にザイルイル大司教の悪事を告発できたんじゃない?」

「私もそう話したのですが、ユーキは『それじゃデムナアザレムとダイトラスで遺恨が残る』と言って。『自分が反逆者として両国共通の敵となることで、二ヶ国間が緊張関係となるのを回避できる』と」

「……自分だけで勝手に決めて、背負って……先生の、馬鹿ッ!」


 私は思わず、叫んだ。

 イルミナさんは下唇を噛んで、拳を震わせていた。


 先生は、自分がスケープゴートになることで、ダイトラスとデムナアザレムが争う火種を、潰したのだ。

 本当は全部、ザイルイル大司教の悪巧みが原因なのにも関わらず、だ。


「先生は、なにも悪くないのに……私を想ってくれただけなのに。どうしていなくなっちゃうの……」

「ヒロカ様……」


 先生の優しさを想うと、自然と涙が溢れた。

 イルミナさんが、静かに背中に手を置いてくれた。


「今、あのディンゼルという者をこちらの主導で尋問している最中です。ヤツが素直に口を割り、ザイルイルの悪事を白日の下に晒すことができれば、ユーキにかけられた嫌疑も多少は軽くなると思うのですが……」

「現状だと、あまり上手くいっていないみたいですね」

「ええ、残念ながら。今わかっているのは、ヤツは『ギフトの力を分割する』という、非常に特殊なギフトを持っているということだけです」

「……え?」

「どうやらその能力で、大司教の《人魔創造ホムンクラフト》をいくつかの形に分け、そのうちの『対象の魔力を空にする力』を使い、大司教は宿願樹の製造をしていたそうです」

「なら、その人が『宿願樹』を作れるってことですか?」


 私は目元を拭い、聞いた。

 先生のことと同じく、宿願樹が製造できなくなったという大問題が、私たちの前には横たわっていたからだ。


「いや、それは無理そうです。宿願樹には、大司教が独自に配合したお香の効果が付加されていたらしく、ディンゼルではそれは作れないとのこと。やはり宿願樹は、今デムナアザレムの倉庫にある分で、供給停止とせざるを得ないそうです」

「そうですか……」


 またも重苦しい空気が、部屋に満ちる。

 あのディンゼルという人は、ザイルイル大司教のお抱えの役人として、身分不相応な生活をしていたらしく、あまり教会勢力内でも味方がいないようだった。


 私は、自分の寝ていたベッドのサイドテーブルを見る。

 卓上には、デムナアザレム側から贈与された宿願樹が一つ、置いてあった。


 ……これを持って、一緒に村へ行こうと約束した、フィズもいない。

 そして、先生も別れの言葉すらなく、いなくなった。


 私はたった一人、あの村にこれを届けに行くしかないのだ。

 いや、これから先も……一人で生きていかなくちゃならないのかも。


「……また、一人か……」


 ひとしきりの話を終え、私が思ったことは、たった一つ。

 ただただ、寂しいということ。


 とにかく、寂しい。


「……………」


 次に湧き上がって来たのは、ザイルイル大司教への怒りだった。

 それと同時に、強大な権力を持ち、社会的立場の高い人間でありながら、その力を私利私欲のために使う人間を追い落とすには、もっともっと圧倒的な力が必要なのだと、私は痛感した。


 ――私に力が足りなかったから、先生は逃げなきゃいけなかったんだ。


「…………もっと、強くならなきゃ」


 私はそのとき、ほんの少しだけ。


 ――聖魔王の力は、どれほどのものなのだろうか。


 そんな興味が、本当に少しだけ。

 降って湧いた。



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