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第145話 罪を背負う

 でっぷりと肥えたザイルイル大司教の首が、ゴロリと足元に転がった。その顔に浮かぶ絶命の表情は、恐怖と陶酔の混ざった不思議なものだった。


 世界宗教である樹教の、大司教の命を絶った――その実感が、少しだけ湧いた。


「ユーキ……なんてことを……」


 背後を振り向くと、イルミナが膝をついて嘆いていた。

 俺はそれを尻目に、サーベルに付着した血を拭き取り、鞘に収める。


「……フィズ、ごめん。キミのことを……永らえさせることができなかった」


 フィズの横まで歩いていき、俺は深く頭を下げた。

 ザイルイルを断罪してしまったせいで、フィズに残された時間はもう残り少ない。


「……ユーキさん、ありがとうございます。わたくしの死を……いや、生を肯定してくれて」

「フィズ……」


 なのにフィズは、俺に対して恨み言を言うでもなく……あのいつもの人懐っこい笑みを浮かべて、ぺこりと頭を下げてお礼を言った。


 ……自分の喉の奥が、きゅっと絞まるのがわかった。


「わたくしはもうすぐ、ザイルイル様から供給されていた魔力が切れて……止まることでしょう」

「……それをどうにかする方法は、ないのか?」

「ありません。わたくしがこうしていられること自体が、ザイルイル様のギフトによる奇跡なのですから」


 すべてを悟り、受け入れるような表情を浮かべるフィズ。

 赤黒く汚れた自分の顔を袖で拭いながら、穏やかに微笑む。


「フィズ……あのとき、回復魔法をかけてくれてありがとう。キミがああしてくれたから勝てた。そして最後の最後、同調した魔力を通じて……キミの存在を強く感じたよ」

「ユーキさん……」

「あの感覚が、魔力が同質化がするってことなんだな。これからは、あれを再現するつもりで、自分の回復魔法を磨いていくよ。それを意識し続ければ、俺でも少しは上達できるかもしれない」


 俺は一応、お礼を言う。

 フィズと出会い、彼女に興味を持った理由は、己の回復魔法の上達のためであり、期せずしてその思惑が達成された形だ。


 しかし今となっては、そんなことよりも大事なことがたくさんあった。


「フィズと出会えたおかげで、大事なことを思い出したり、新しい発見に出会えたり。人として、本当に大切にすべきことを学びなおしたりできたんだ。だから……フィズ、本当にありがとう」

「ユーキさん……わたくしの方こそ、たくさんのことを感じさせていただきました。世界の美しさ、助け合うことの尊さ、そして人の一生の儚さ……色んなものを知り、体験することができました。……あ」

「フィズ!」


 そこで、フィズの身体がふらつく。

 俺は慌てて彼女を支え、抱き留めた。


「ユーキさん。改めて言わせてください。結果的に、ヒロカさんを貶めるための、ザイルイル様の手先のようになってしまい、申し訳ありませんでした」

「……いいんだ、フィズ。そんなのは、キミのせいじゃない」

「ふふ、やはりお優しいですね。……それと、人形としてのわたくしではなく、一人の人間として、有限な命を持つ存在としてわたくしを扱ってくれて……嬉しかった」


 言いながら、フィズの瞳から涙が一滴、零れた。


「死から強制的に目覚めさせられ、自分が人形であったのだと自覚させられたとき、わたくしは自暴自棄になり、心を放棄しかけましたが……ユーキさんの想いを感じることができたおかげで、生涯の最後を人間として、死ぬことができそうです」

「フィズ……もういい、伝わったから。無理しないでくれ」

「わたくしは、誰かの心の中に生きた証を残したかったのかもしれません。だから、人からの恩に報いたいなどと……でも、ユーキさんやヒロカさんのおかげで、誰かの思い出の中に生き続けることが、できそうです」


 フィズの声が、苦しそうに、今にも消えてしまいそうに、小さく、儚くなっていく。


「ユーキ、さん……もう一度、一緒に、星を……見たかった」

「……いい、いいんだフィズ」

「ヒロカさん、とも……あの村に戻る約束、守れなくて……」

「大丈夫。ヒロカちゃんならきっと、フィズの意思を継いでくれる」


 呼吸ができないのか、徐々に弱々しくなっていくフィズの全て。

 俺は無意味だと分かっていても、彼女を抱く手に力を込めずにはいられなかった。


「ユーキさん……生き抜いて、ください、ね」

「ああ……わかったよ、フィズ。約束だ」

「やく、そく……!」


 最後の言葉を交わし。

 眠るように、瞼を閉じるフィズ。


 ――温もりが消え、冷たさだけが残った。


「…………」


 俺はその身体を丁寧に抱き上げ、埋葬するために布で保護する。

 フィズは自分の命が終わるその瞬間まで、俺やヒロカちゃんの未来を憂いてくれた。


 彼女は、いつでも利他的で思いやりのある()だった。

 出会えて、本当によかったと思う。


 その点、俺は……まだまだ未熟者だ。


「すまない、イルミナ。お前には損な役回りをさせてしまうが……」

「馬鹿者っ!」


 振り向きざま、イルミナに思い切り殴られた。

 その一撃に、彼女の言いたいことが全部が詰まっているような気がした。


 ……正直、ありがたいとすら思えた。


「……ヒロカちゃんのこと、アルネストやダイトラスのこと、よろしく頼む」

「わかっている。貴様に言われなくとも、私はダイトラスの騎士として、責務を全うする所存だ! 私が怒っているのは、そういうことではなく……!」


 イルミナは、悔しそうな表情で拳を震わせていた。


「たった一人で、なぜ決断してしまったのだ!? ヒロカ様も私も、お前を助けたいと思っているのに! フィズだって、そう思っていたのに!!」

「……すまん」

「我々の力が合わされば、時間はかかれど、正規の手続きでザイルイル大司教を追い落とすことも不可能ではなかったはずなのに……! 殺してしまっては、もう取り返しがつかない! そしてお前がその罪を、一人で背負おうとすることに腹が立つのだッ!!」


 語りながら、イルミナの瞳に涙が溜まっていた。

 こんな俺を慮って、泣いてくれるのか。


「ごめんな、イルミナ。俺はヒロカちゃんが苦しむ世界なんてのは、一秒だって受け入れたくないんだ。それにキミの将来の時間を、余計なことで奪いたくもなかった」

「そういうところが、一番腹が立つのだ……こちらが責めるに責められない、お前のそういう優しいところがッ!!」


 そこではじめて、イルミナの目から涙が零れ落ちた。

 本当に、俺の周りには心優しい人ばかりだ。


 そんなみんなが、傷つけられたり、迷惑を被ったり、搾取されたりする世界ならば――俺は罪人になってでも、ぶっ壊す。


「イルミナ、よく聞いてくれ。細かい詳細は省くが――」


 肩を震わせるイルミナに目線を合わせ、俺は自分が頭の中で描いたシナリオを説明しはじめる。


「――俺がヒロカちゃんに歯向かい、単独で、ザイルイル大司教を殺害したと、口裏を合わせてくれ」



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