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第142話 踏みにじられる

「フィズ……本当に、フィズなのか?」


 血濡れで背後に立っていたフィズに、俺は間抜けな問答を投げかけてしまう。

 ついさっき、俺自身で彼女の生死を確かめたのに、だ。


 止まっていた心拍、冷たくなっていた身体。光を失った虚ろな瞳。

 それにも関わらず。


 ……今、目の前には、柔らかな微笑みを浮かべたフィズが、何事もなかったかのような顔で立っている。


「はい。フィズです。フィズ・イグナシアですよ。皆さん、そんなに驚いた顔をして、どうしたんですか?」

「い、いや……その……」

「なんということだ……」


 状況を飲み込めない俺とイルミナに対して、フィズはあの人懐っこい笑みを浮かべて小首を傾げた。

 愛くるしいその動作とは正反対に、顔や腹部の赤黒い血の痕が、凄惨なコントラストを描き出していた。


 不気味さに、背筋を悪寒が走り抜ける。


「ふほほ、ほーら、皆さんが待ち望んでいたフィズの復活ですよ? うんうん、ちゃんと動いていますねぇ」

「フィズ……いったい、どうして……」


 喜色満面という言葉が相応しいザイルイルの声に対して、後に続いたヒロカちゃんの声音には、明らかに戸惑いの色が見て取れた。


 ヒロカちゃんは悲鳴のあとすぐに意識を失っていたのだとすれば、フィズがザイルイルのギフト《人魔創造ホムンクラフト》によって生み出された人形ホムンクルスだと言う話は聞いていないはずだ。


 しかしそれでも、目の前でフィズが腹を裂かれたのだとすれば、ヒロカちゃんが戸惑うのは致し方ない。


「今起きたばかりのヒロカさんは、フィズがどうして立っているのかわかりませんよねぇ」

「え……?」

「まぁ簡単に言うとですね、あの子はわたしがギフトで作り出した人形なのです。ほら、この杖を媒介として魔力を送り込めば、ああしてすぐに復活させられるのですよ」

「いったい、なんの……え?」

「ヒロカさんはわたしの狙い通り、ちゃんとショックを受けてくれましたが……ふほほ、()()は本来ならね、悲しむ必要など一切ない、生命などと呼ぶにはおこがましい、軽薄極まりない存在なのですよ」

「…………」


 フィズという存在を貶め続けるザイルイルの言葉が、ヒロカちゃんの耳に吸い込まれていく。

 俺はもはやそれすらイラつき、奥歯を食いしばった。


「フィズ、ねぇ? い、生きてるの……? 大丈夫、なんだよね?」

「はい、ヒロカさん。わたくしは、こうして問題なく生きています。ザイルイル様のおかげです」


 ザイルイルが何を言おうと、ヒロカちゃんはフィズのことを心配した。

 彼女が絞り出した声に、俺の眼前のフィズは笑顔で返す。その笑みが、どこか現実離れして感じられた。


「大丈夫なら、いい。生きててくれるなら、いいよ……」

「ふほほほ、ヒロカさん、なんとも殊勝なことですねぇ。その健気さにわたし、涙が出てしまいますよ」


 馬鹿にしたような笑い顔で、ザイルイルは言う。

 ヒロカちゃんはまだ身体が脱力しているのか、ヤツに抱えられたまま辛そうな表情を浮かべている。


「ヒロカさん、まだ頭がボーっとしますか?」

「え、ええ……ギフトも、まだ…………発動、できない」

「ほほっ、あれだけの香を吸ったのにも関わらず、すでにわたしと問答できている時点でとんでもないことですがねぇ。完全回復する前に、もう一押ししてしまわないといけませんねぇ…………ほら」

「……ぅぶっ?!」

「ヒロカちゃんッ!!」


 瞬間、ザイルイルはヒロカちゃんの口へ、太い蝋燭を突っ込んだ。


「ザイルイル! やめろッ!!」

「ヒロカさん、動いたり噛み砕いたりしてはいけませんよ。これはわたしお手製の蝋燭で、特別な香料を混ぜ込んで作ったものですから」

「っは、ぁ」


 俺の叫びを無視して、ザイルイルはヒロカちゃんの耳元に顔を寄せる。


「効能としては二つ。身体を麻痺させ、ギフトも使用不能にするという優れものです。煙で嗅げば徐々に効いてきますが、蝋燭それ自体をかじったり舐めたりしたら、毒素が強すぎて死に至ることもあります」

「ぁ、へ……!」

「んーそうそう。なにも考えずそのまま、できる限り口の中が唾液で湿ってしまわないように、顎を固定するのがいいですよぉ。さ、今先端に火を付けますからね、落とさないように適度な力でしっかり咥えましょう」

「ん、んぼ、ぶほ」

「ヒロカちゃん! ザイルイル、それ以上やめろぉぉッ!!」


 ヒロカちゃんの尊厳をも貶めるザイルイルに、俺は堪忍袋の緒が切れる。

 口を開かされたままで苦しいのか、ヒロカちゃんの顔が苦痛に歪み、涙が零れ落ちる。


「ほほ、さっきからあなた、少しうるさいですねぇ。ヒロカさんのことが余程大切だと見える」

「当たり前だっ!」

「……ふほほ、そうですかそうですか。大切ですか。じゃあヒロカさんも、同じように彼のことを大切と思っているわけですね?」

「…………っ!」


 ザイルイルの問いかけに、ヒロカちゃんは蝋燭を咥えさせられたまま頷いた。

 途端、ザイルイルの顔が歪んだ。


 それはまるで――潰れ腐った果実の断面図のような、凄惨な笑みだった。


「ほっほっほ! これはこれは。わたし、いいことを思いついてしまいました。ほほ、これぞまさに天啓」


 ザイルイルはグロテスクな微笑を顔に張り付けたまま、ほとんど口を動かさずに、言った。


「フィズ。そこいるユーキさんとやらを――殺しなさい」



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