第141話 正体
「ほほっ、威勢の良いことです」
俺の言葉を意に介した様子もなく、ザイルイルは余裕たっぷりに笑った。
その腕の中には、未だヒロカちゃんが拘束されている。
呼吸が落ち着き、大きく魔力が生成できるようにさえなれば、あんなヤツ『魔眼』で一撃で戦闘不能にしてやる。
そう思い、俺は深く息を吸う――が。
「げほっ、ごほっ!?」
「ユ、ユーキ!? 大丈夫か?」
深めに呼吸した途端、妙な喉の痛みに襲われ、たまらず咳き込む。
イルミナが傍に来て、背中を支えてくれた。
「ほほ、ようやく効いてきたようですねぇ」
「ザ、ザイルイル、貴様……なにをした!?」
俺は喉を押さえて叫ぶ。
「聖魔樹教の大司教であるこのわたしを呼び捨てするとは、とんだ礼儀知らずですねぇ。まぁヒロカさんと引き合わせてくれたことに免じて、不問にしてあげましょう。先ほど言った通り、わたしはスキルや魔法の才能に恵まれなかった分、他のことに才覚を見出しました。魔物を育て操る力の他に、変幻自在の香りを作り、それによって人を意のままに操る力です」
「香り……この祠の中でずっと焚かれ続けている香料がそうか!?」
イルミナが俺の背に手を添えたまま、ザイルイルへ言葉を返す。
俺と違い、まだイルミナは具合が悪くないようだった。
「わたしは元々、香料を扱う小さい商人の家の生まれでしてね。そのせいなのか、不思議な効能を持つ香料を作る力があったのです。元ある香料へわたしの魔力を加えることで、様々な効能を発揮させることができた。今あなた方が嗅いでいたのは、魔力が毒となる香りと、前後不覚が起こる香りです」
「そ、そんな真似が、香りなどでできるはずがない!」
「ふほほ、お忘れですか? わたしだけが『魔毒病』の対抗策である『宿願樹』を作れるのですよ。逆に、魔毒病の効果を香料で作り出すぐらい、わけはないとは思いませんか?」
「……っ!!」
ヒロカちゃんを盾にしたまま、ザイルイルは得意げに片手を掲げた。確かに、先程の喉の痛みから、じわじわと眩暈のようなものが広がってきている。
くそ、呼吸には気を付けていたのに……! 奴の術中だったか?!
「ユーキ、しっかりしろ!」
「…………?」
隣で声をかけ、肩を貸してくれるイルミナ。
俺と違い、ほとんど体調の変化を感じていないようだ。
……なぜ、イルミナだけが効いていない?
「イルミナ、お前だけお香が効いていない。なにか心当たりはないか?」
「急に言われても……強いて言えば、ついさっきまでフィズにもらった薬草をかじっていたというぐらいだが」
「それだっ」
そこで、ピンと来る。
俺は吐き気を催したかのようにもう一度頭を下げ、イルミナが提げた革ポーチからフィズの薬草を引き抜く。まさか、二日酔いを引きずっていたことがここで功を奏しているとは!
ザイルイルから顔を隠したまま咀嚼すると、爽やかな風味が鼻を抜けた。
「なにかを企んだところで、そこの女ももう少しすれば、ここに充満した香りによって身動き一つ取れなくなることでしょうね。そして、わたしの前に跪き、聖魔王様の復活を受け入れることとなる。あぁそうだそうだ、最後に、わたしのギフトを説明しておきましょうか」
「な、なにおう!?」
俺は薬草が効いてくるのを待ちながら、顔を下げたまま聴覚だけで様子を伺い続ける。
イルミナ、少しでいい、時間を稼いでくれ!
「ぬほほ、わたしのギフトは、その名も――《人魔創造》。死体に魔力を込めることで新たな命を作り出すという、神に等しき異能力です。生み出せる《人形》は一体のみで、思考や身体能力は元の死体の能力が限界値という制限はありますが、見た目などの出来は、あたかも人が蘇生したと見紛うほどの完成度を誇ります」
「……な、に?」
薬草を嚥下する間もなく、俺は顔を上げてしまう。
ホムンクラフト……? 死体に、魔力……?
人、形……? まさか――
「ほほ、ようやく気付いたようですね。そうです、このわたしのギフト《人魔創造》で生み出した似非人間――人形こそが、あのフィズ・イグナシアという少女なのです」
「…………!」
「人形は、主であるわたしから与えられたいくつかの命令に、忠実に従います。それ以外は独自に自律し、性格といった部分では個性を発揮していきますが、それはあくまでもわたしへの忠誠を揺るがさない範囲です。要するに、所詮は人間やその営みの真似事しかできないというわけです。本来なら、わたしはもっと高次な死体を人形としたかったのですが……ぬほほ、間抜けでお人好しなヒロカさんやあなた方を嵌めるには、あの見た目がちょうどよかったようですねぇ」
「黙れッ!!」
俺は辛抱できず、喉の痛みを無視して叫ぶ。
どんな力で、どんな人間に生み出されたのだとしても、彼女との時間や、彼女との交流で感じた気持ちは全て、嘘じゃない。
フィズという存在から与えられたもの全て、絶対に否定されるべきものではない。
そしてそれは、彼女自身も肯定されるべき存在ということに他ならないのだ。
人間だとか人形だとか、そんなことはどうでもいい。
御託がどうこうよりも、俺たちは、フィズという存在が大好きだったんだ。
「ほほ、なにをそんなに怒っているのですか? あの子は戦災地域で拾った死体で作った人形ですよ。だから魔力も、他人と完全同質化が可能なのです。それによる回復魔法は、本当に目を瞠るものがありましたね。そこだけは過去の人形と比較しても、唯一突出した部分でしたかねぇ。他の個体は、魔力の同質化を回復に転嫁することができませんでしたから。まぁ、それ以外はゴミで無能で、無駄にお人好しで。面倒を見るのが億劫でたまりませんでしたが」
「黙れと言ってるッ!!」
得意げに自らの才能や知見をひけらかしながら、フィズを貶めるザイルイル大司教。
ずっとヒロカちゃんの顔の真横で、顔と顔を寄せ合うように話しているせいで『魔眼』や『魔声』を放つことができない。
ザイルイル……ヒロカちゃんとフィズ、その両方の尊厳を踏みにじり続けやがって…………ッ!!
「どうしてあんなお人好しな、合理性に欠ける性格になったのかはわたしにもわかりません。おそらくは使った死体の影響なのでしょうがねぇ。このわたしが生み出した存在なのですから、もう少し賢い生き物であってほしかったところです」
「フィズを、笑うなッ!!」
「あまり大声を出さないでください。ヒロカさんが起きてしまうでしょう」
言うが早いか、ヒロカちゃんの瞳が薄っすらと開かれた。
「うぅ……」
「ヒロカちゃん!」
「おやおや、やはり起きてしまいましたか。これは仕方ありませんね。もう少し、ショック療法をするとしましょう」
そう言うとザイルイルは、おもむろに足下に転がっていた杖を拾った。
……あれは、フィズが持っていた大杖か?
「せっかくですから、皆さんにフィズが人形である証拠をお見せしましょう。……ほら、ごらんなさい」
「あ……え……っ!?」
「「…………?」」
ヒロカちゃんの目が、驚きに見開かれる。
その視線を追うように、俺とイルミナは背後を振り返った。
視線の先、そこにいたのは――
「ザイルイル様、皆さん。どうしたのですか。そんなに驚いた顔をして」
――血まみれのまま柔らかく笑う、フィズだった。




