第14話 現役最強勇者レイアリナ・レインアリア
※他者視点
ダイトラス王国第二王子のエデンダルトから、久しぶりの召集令状が届いた。
ボクは指定された行き先を確認して、とても懐かしい気持ちになった。
「アルネストか。懐かしいや」
オルカルバラ領、アルネスト。
あの町には三年ほど前、はじめての聖魔樹海遠征の際に立ち寄った。
田舎というほど不便なわけでもないのに、どこか牧歌的でのどかな雰囲気が町全体に漂っており、やけに居心地が良い場所だったのを覚えている。
ただそのときのボクは『勇者』として認められたばかりで、アルネストに到着してすぐの時には、一人で勝手にピリピリして、他人を寄せ付けないようにしていた。
理由は簡単。ボクが未熟だったからだ。
周囲からの期待をプレッシャーに感じ、周りが見えなくなって平常心を失っていたんだ。
「夜はギルドの客間に宿泊させてもらったんだっけ。……あー、はじめてお酒を美味しいと思ったのも、あのときか」
勇者の特権で、ギルドに併設されている宿を宿泊場所として手配され、一番高級な客間を使わせてもらうことになったのだけれど、ボクは元々孤児で奴隷だった身。あまり贅沢な暮らしというのに慣れていない。
勇者としてのプレッシャーと、やけにふかふかで弾むようなベッドのせいでどうにも居心地が悪く、寝付くことができずにいた。
仕方なく夜風にでも当たろうと思い、明かりを片手に部屋を出た。
頭を冷やしさえすれば、考えすぎてネガティブになっていく思考が止まって眠くなるかと思ったけれど、決してそんなことはなく、ただ不安や緊張が色濃くなってゆくばかりだった。
落ち込んだまま部屋に戻ろうとすると、併設された食堂スペースから明かりが漏れており、ふと足を向けた。
「これよこれ、これのために生きてるわけよ…………っぷっはぁー! うめぇ、うめぇよエールぅぅ。ビバ、退社後のエールぅぅ!」
……やけに大きい独り言が聞こえて、ボクは何事かと明かりの方へ近づいた。
「え、うわ、起こしちゃいました? ほ、本当に申し訳ないですっ!」
「い、いえ。眠れなくて外に出ていただけなので……」
明かりの先、ボクと目が合ったその人は、優しそうな目元をした男の人だった。なんだかすごく年上の、優しいおじいちゃんのような雰囲気。でも見た感じは、たぶんボクと同じぐらいの年齢。
不思議な空気を醸し出す人だな、と思った。
「眠れなくて? あー、えっと、もしよかったら飲みますか?」
彼はそう言いながら、手に持った木のジョッキを目の高さに掲げた。
「……じゃあ、少しだけ」
少し警戒心もあったけれど、なにより眠らなければ明日の仕事に差し支える。酔えばさすがに眠れるかと考え、遠慮なくいただくことにした。
「よしきた! 注ぐのは任せてくださいね! 最高の泡、作りますから!」
「は、はぁ」
やけに嬉しそうな彼の態度が、なんだかおかしくて笑いそうになった。でも初対面から距離を近づけすぎてもよくないと思い直し、我慢する。
……今思えば、ボクはいつも自分らしく他人と付き合えなくて、適切な距離を取るのが下手だったっけ。
「これ、おつまみもどうぞ。近所の肉屋から仕入れてるベーコンなんですけど、これがまた絶品なんですよ!」
「は、はぁ……」
彼はベーコンの端をかじりながら「あー、塩気が絶妙なんだよなぁ。エールに合うぜぇ」とまた嬉しそうな顔で笑っている。
……女の子としては、あまり遅い時間にこういうお肉を食べるのは控えたかったのだけれど、すごく美味しそうに食べる彼の姿を見ていたらたまらなくなり、かじりついた。
「んー!」
「ね、絶妙でしょ? で、そこにこれ!」
彼はまた心底嬉しそうな笑みを浮かべてジョッキを指さし、それをすぐにぐいっ、と傾ける仕草をした。真似て、ボクもエールを喉に流し込んだ。
「……ぷは。え、美味しい……!」
「でしょー。酒屋のおっちゃんと色々話し合ってて、俺も一応は品質アップに貢献してるんですよー」
いつもは苦いだけで美味しいなんて思わなかったお酒が、今日はやけにまろやかですっと奥に入っていくように感じた。
お酒の味は気分に左右されると聞くから、やっぱり少し心理的におかしくなっていたのかな。
「……ボク、明日はじめて、大きな仕事をするんです」
気が付くとつらつら、ボクは一人語りをはじめていた。今思い出すと、少し恥ずかしい。
どうしてかわからないけれど、この人といると警戒心が緩められてしまうのだ。
「でも、すごく緊張していて。不安で。ボクなんかが、その仕事に相応しいのかなって、任命されたときから考えてしまっていて……」
ボクは勇者に認められてからも、贅沢な暮らしはできる限り避け、目立たないよう質素に暮らしてきた。それはもしかしたら、自信のなさゆえかもしれない。
勇者として認められた際に受け取る『紋章』も、ボクは有事以外には身に着けない主義だった。これ見よがしにひけらかす勇者が大半らしいけど、ある意味そういう自信満々な態度を取れる人が羨ましかった。
努力を続けなくちゃ、誰にも見向きされなくなってしまうんじゃないか。
そんな不安はいつだってあった。
でもその彼は、あっけらかんと言った。
「いや、はじめての大きな仕事の前に平常心なヤツなんて、逆にたぶんおかしいですって。最初は誰だって慣れてないんだから、プレッシャーもあるし、緊張もする。でもそれは、ちゃんと失敗を恐れているからだと思うんです。失敗を恐れるって、ちゃんと準備するためにすごく必要なことだと思いません?」
「……言われてみれば、確かに」
男の人の優しく穏やかな声は、自然とボクの気負いをほぐした。
「失敗を恐れているということは、それはいい結果を残したいという気持ちがちゃんとあるってことです。できる限りの準備しても緊張や不安を感じてる人っていうのは、仕事に真面目に向き合う、真摯で努力家な人ってことです」
少し酔いが回っているのか、彼はどことなく遠くを見て、なにかを思い出しているみたいに話していた。
「だから今の不安とか緊張とか、大事にしてあげたらといいと思うんです。そういう心境で受け止めれば、悪い感情も悪いものじゃないって思えません? そうやって受け止め続けた先で平常心になっていければ、たぶんそれこそが――成長なんだと思うんです」
「……不安とかを、大事に……受け止め続ける、か……」
もう一度、ボクはジョッキに口をつける。今度は少し苦い。
彼のくれた言葉が、ボクの心の隙間を埋めるように、沁み込むように、腹に落ちていく感じがした。
心が温かく、そして強くなっていく気がしたんだ。
「……ありがとう。ボク、はじめて誰かと飲むお酒がいいものなんだって、思いました」
「え、いやいや、のんだくれがそれっぽいこと言ってるだけですから。あはは」
そうしてその人と話せたことで、ボクは聖魔樹海遠征を成功させることができた。
それ以降今日に至るまで、勇者として恥じない結果を出してこられたのは、あの時の彼のおかげだと思っている。
もしまだあの町にいるのなら――もう一度会って、お礼を言いたいな、
「平常心でいられるようになったら、それが成長……か」
さすがに少しは成長できていると思ったけれど、懐かしい彼のことを思い出したら、少しだけ脈が速くなったような気がした。
はぁ。ボクもまだまだだな。
「よし、行くとするか」
身支度を終え、ボクはこぢんまりとした家の扉を開けた。
勇者としての仕事が、はじまる。




