第136話 戦いへ、雪崩れ込む
「待ってろよ、ヒロカちゃんッ!」
俺はスキル全開で洞窟内を駆けた。
今回の洞窟は俺たちが迷い込んだところと違い、入ってすぐに宗教観というか、神聖さのようなものが伝わってくる荘厳な場所となっていた。
高い天井、各所に置かれた蝋燭やお香。そこから出る煙と靄、独特の匂い。
しかし、そんな清浄な雰囲気を感じている暇などない。
「ヒロカちゃん、どこだ、どこにいる!?」
俺は薄暗い洞窟の中を駆けながら、必死に呼びかける。
この洞窟には、明らかに人の手が入っている。そう考えれば魔物はおそらくいない。声を上げたところで問題はないはずだ。
そもそも、すでに最強クラスの勇者となっているヒロカちゃんが、あんな悲鳴を上げたこと自体が、とんでもない緊急事態だということを物語っている。
今のヒロカちゃんは、ギフト『空気支配』の先を読む力によって、驚いたり虚を突かれたりといったことがほとんどなくなっている。
それにも関わらず、あんな声を出してしまう事態になったということは……その事実だけで、俺は背筋の凍るような感覚があった。
そんなことを考えながら走っていると、開けたところに出た。
一層天井が高くなり、見上げるほどの壁面がそびえている。そこでは、今まで通って来た通路以上に、むせ返るほどのお香が焚かれているようだった。
半ば靄のように、火から立ち上る煙が塊となって漂っている。そのせいで、かなり視界が悪い。
「なんなんだ、この独特の香り……」
「ユ、ユーキ! 早いぞ、少しは私を待て!」
「あ、悪い」
そこで、少し遅れてイルミナがやってきた。
どうやら飛ばし過ぎてしまっていたようだ。
煙っている眼前を手で振り払ってから、よく目を凝らす。
「…………あ、ヒロカちゃん!」
すると、少し遠くにヒロカちゃんが膝立ちしているのが見えた。
いや、あれ……膝から、崩れ落ちたのか?
いつもピンと伸びているはずの背筋が、ぐにゃりと歪んでいる。その背中は無気力で覇気を感じず、どちらかと言えばへたり込んでいるように思えた。
「ヒロカ様に、いったいなにが……?」
「ヒロカちゃん!」
再び、一目散にヒロカちゃんの元へ駆け出す。
が、数歩踏み出した先で見た光景は。
「…………なっ!?」
――フィズが、血だまりの真ん中に倒れ伏していた。
「フィズ――」
俺は反射的に、彼女を抱き上げようと脚に力を込めた。
しかし、次の瞬間。
「サンドワーム二匹から、どうやって生き延びてきやがったんだ?」
目の前に、一人の男が立ちはだかるように現れた。
「……ディンゼルさん。やっぱりアンタ、俺たちを意図してあそこに案内したんだな!?」
獰猛な顔つきで行く手を阻んだのは、件の男、ディンゼルだった。
待機所や案内中に見せていた平坦な表情ではなくなっている。
追い詰められ、必死に抵抗を試みようとしている獣のような顔をしていた。
「ディンゼル、ここで彼らを消すことができれば、ミスは帳消しにしましょう」
「はっ! ありがたき幸せ!」
「わたしはヒロカさんの身体を仕上げたいと思いますのでね、後は頼みますよ」
「お任せください、ザイルイル大司教様!!」
「ほほ、ではでは……よっこらしょっと」
「ヒロカちゃん!」
靄の中からぼうっと浮かび上がるように出てきた大司教が、彼女の身体を抱え上げ、運び去ろうとする。
大司教の恰幅の良い身体は見せかけだけだと思っていたが、実際にかなり力があるらしい。
「大司教っ! ヒロカちゃんをどうするつもりですか!?」
「樹教の信者でもなんでもないあなた方が、ここから先を知る必要はありませんよ」
「御託はいいから答え――っ!?」
俺は思いのまま叫ぶ。
が、その途中。
目の前を、白い閃光が疾った。
間一髪、身体を逸らして避ける。
「お前らの相手はオレだ。余所見してる場合じゃないぞ」
「ディンゼル、あんた……いったい何者だ?」
両手に短刀を装備したディンゼルの、先制攻撃だった。
その眼光はどう見ても、ただの一般人ではない。
「ほほ、ではしっかり頼みますよ、ディンゼル」
「大司教ッ! 待てッ!!」
俺はディンゼルから繰り出される連撃を受け流しながら、なおも大司教へ向かって叫ぶ。
ザイルイルはそれを無視して、ヒロカちゃんを担いだまま洞窟の奥へと歩き出す。
その途中だった。
彼は一度――フィズの身体を踏みつけたのだ。
一瞬で、身体中の血液が沸騰する。
「どけぇぇッ!!」
「ぐっ!?」
俺はそこではじめて、本気の『魔眼』を人に向けて使用した。
眼が合ったディンゼルが、一瞬で頽れる。
「大司教! フィズに謝れッ! そしてヒロカちゃんを返せぇぇッ!!」
「ユーキ、待て! 少し冷静に――」
怒りの赴くまま、俺は叫び散らして大司教を追う。
制止するように、イルミナの声が聞こえたが――
「行かせんぞ」
「っ!?」
地面に横たわったはずのディンゼルが、俺の足首を掴んで笑った。
魔眼を喰らった眼球から、血交じりの赤い涙が流れ出ていた。
――次の刹那。
ディンゼルの短刀が、濃い靄の中で閃いた。
瞬間。
自分の脚から、血飛沫が舞った。




