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第135話 悲鳴の理由

 ヒロカの悲鳴が、ユーキの耳に届く少し前。

 聖魔樹教の祠がある洞窟内で、ザイルイル大司教、フィズから『身体を捧げてほしい』と告げられたヒロカは、二人の言葉の意味を理解することができず、立ち尽くしていた。


「フィズ……それっていったい、どういう意味なの?」


 ヒロカはつい、聞き返してしまう。


「えっと、その……ヒロカさんの肉体は、わたくしたち聖魔樹教の宿願である《《聖魔王様の復活の器》》として、これ以上ないほどに最適なのだそうです」

「せいま、王?」


 聞き慣れない単語に、ヒロカは首をかしげる。

 同時に、一つの大きな違和感に気が付く。――先ほどから、ギフトが機能していないのだ。


 ヒロカはここ最近では、他人との会話中はほぼ無意識にギフトを発動させられるようトレーニングを積んでいた。

 そうした特訓の甲斐もあり、他者と相対する場面では、戦闘中や非戦闘中に関わらず、ほとんど無意識に『空気を読む』が働き、相手の意図や機嫌、文脈や発言の予測などを、呼吸するような自然さでることができていた。


 が、なぜか今はそういった力が、まったく働かなくなっていた。


 むしろ、ギフトがなくとも感じ取れるような人の機微などの当たり前のことすら、察することができなくなっているような気がした。


 自分が、やけに鈍感になっている――そんな不安を自覚したヒロカの背中を、すーっと冷たいものが駆け抜ける。


「だとして、私は何をすればいいの? 身体を捧げるって……生贄になるみたいなこと? それは拒否だけど、私でできることなら、フィズの頼みだし手伝ってあげたいと思うんだけど……」

「…………」

「ほほ、では、ここからはわたしが説明いたしましょう」


 ヒロカの問いかけに対して、フィズは唇を噛んで俯いてしまう。

 そんな彼女を後ろに下がらせるようにして、大司教ザイルイルが前に進み出た。その恰幅の良い身体が、小柄なフィズを隠してしまう。


 そこでふと、ヒロカのこめかみ辺りが疼いた。

 どく、どくと。

 脈打つような軽い頭痛。


「ヒロカさん。これまでわたしは、五代目の魔流派閥当主として、聖魔樹教内での魔流派閥の地位向上に、粉骨砕身して参りました」

「は、はぁ」


 ザイルイルの語りに、ヒロカは曖昧に頷くことしかできない。

 教会勢力の成り立ちや歴史について、書物を読むことで前提知識を付けようと努力していたのだが、多忙もあり、即座に対応できるほど知識が記憶に定着していないのだった。


「樹教はその名の通り、世界樹こそ人々を救う全知全能の存在だとし、崇拝していました。しかしその前提に立脚したうえで宗教的主張を顧みると、論理的矛盾がいくつか生じてしまっていたのです」

「……それは、どういう……?」


 ザイルイルの難解な話が、頭痛を加速させる。

 ヒロカは思わず眉間にシワを寄せ、額を押さえた。


「それは、卑しき人間に巣食った様々な悪徳や、例えば『魔物』や『魔毒病』といった、世界樹が発する魔元素から生まれる不幸の数々のことを指します。なぜ、世界樹へ祈りを捧げているのにそれらの不幸がなくならないのか、とね」


 強くなっていく頭痛と戦いながら、ヒロカは必死に思考を巡らせた。


 元居た世界の感覚で言えば、西洋における悪魔のような概念だろうか――ヒロカはこちらの世界に来る前、なにかの本で読んだ文章を思い出していた。


『悪魔は宗教的矛盾を解決するために、悪い役回りを押し付けられた可哀そうな連中だ』


 ひどくなる頭痛のせいで、なんの本だったのかは思い出せなかった。

 が、その文章を読んだとき、ヒロカはなぜか悪魔に同情的な気分になったのだった。


「それらの矛盾を解決するために生まれたのが、魔流派閥なのですね。魔流派は人の中から生まれる悪徳、魔元素から生まれる魔物や病で生じる不幸を『世界樹の与えたもうた試練であり変化への糧』と考え、論理的解決を見出したわけです」

「…………解、決?」

「さらに、悪しき土地だと考えられていたここ聖魔樹海を、世界樹のお膝元であり聖地であると規定し直したのです。それにより、樹教を信仰し心から救われる人間が、大幅に増えることとなった」


 もはやザイルイルの声は、ヒロカの頭痛をひどくする毒のようになっていた。

 痛みに耐えられず、失礼だとわかっていながらもヒロカは耳を塞ぐ。


「聖と魔のシンクレティズムを経て、樹教は完全なる聖魔樹教となったわけですね。そして、その聖魔樹教内で世界樹の現人神とされ、最高存在として『聖魔王』様がおられるわけです」

「私、には……よく、わかりません」

「聖魔王様は人の世が混沌に満ち、変革のときを迎えたとき、『降臨の儀』を経てこの世界に現れるとされております。わたしは魔流派五代目当主として、今この時代こそが、聖魔王様が降臨なさるそのときだと考えているわけなのですね」

「…………は、はぁ」


 ヒロカの視界が、ひどく歪む。

 痛みがひどく、目を開けていられない。


 相槌を打つだけで精一杯だった。


「その降臨の儀を今ここで執り行うために、聖魔王様の器に相応しい肉体を一つ、用意しなければならないのですが……その最高の栄誉ある立場に選ばれたのが、ヒロカさん、貴女というわけです」

「……それは、どんな……ことを……」

「器として相応しい状態になるには、いくつか手順がございまして。まずは手はじめとして、大きな心的外傷を受けていただき、心を壊してほしいのです」

「……意味が、わから、な……」


 ついにヒロカは耐えられず、膝をついてしまう。

 先ほどから、どんどん視界が霞んでいる気がしていた。


 ――洞窟内の靄が、濃度を増している?


「フィズ、こっちに来なさい。ヒロカさんからよく見えるように、ここに立つのです」

「は、はい」


 具合の悪いヒロカを差し置き、ザイルイルはいつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、なにやらフィズを自分の前に立たせた。そしてフィズが抱えていた杖を引き取ると、彼女の背後に回り、その頭に片手を置いた。


 ヒロカから見れば、それはまるで孫を慈しむ祖父のようにも思えた。


 が。


「フィズ、今日までありがとう。そして――――さようなら」


 不意の、別れの言葉。

 直後。


 フィズの腹を――巨大な刃が刺し貫いた。


「か、は……え?」

「…………え、ぇっ!?」


 フィズの身体から弾けた血飛沫を浴び、ヒロカはようやく事態を理解しはじめる。

 ぼやけた思考が急激に醒め、目の前の光景を認識していく。


「いやああああああああああああああああああああああ!!」


 濁流のような悲鳴が、洞窟内に響き渡った。



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