第134話 悪い予感
「ゆけ、私の犬」
「だまれ」
俺は水筒から得たディンゼルさんの匂いを頼りに、地を這うような格好で周囲を探っていた。『犬になって探す』というのは、ある種の物の例えだったのだが、なぜか妙に気に入ってしまったのか、やたらと連呼してくるイルミナがうぜえ。
スキルで強化した嗅覚を駆使し、痕跡を探す。
鼻以外にも、耳や目、つまり聴覚や視覚もできる限り高めておき、物音から足跡まで、全てを見逃さないよう集中する。
「……おそらくあっちに向かったな」
水筒と同じ匂いが、高濃度の魔元素の中で微かに香ってくる。
どうやらディンゼルさんは、元来た道を戻ったらしい。
「よし、走れフランソワ」
「フランソワじゃねっつの」
俺が行く先を示すと、得意げにイルミナが言った。
やけに上品な雰囲気の名前つけんなっつの。
イルミナのクソ面倒なイジリに気分を乱されつつも、俺たちは魔物を警戒しながら進む。
ようやくイルミナの二日酔いも消えたようだし、二人であればある程度の魔物なら対処できるだろう。
ただ俺もコイツも、まだまだ体内にアルコールが残っている感じはある。
正直戦闘をこなすには若干身体が重かった。
「……イルミナ、見ろ。あそこ」
「よーしよし、いい子だフランソワ」
「いい加減やめねーと殴るぞ」
イルミナに若干キレつつ、岩の影に身を屈める。
先を見ると、荒廃した岩々の切れ間に、ぽっかりと口を開けた洞窟の入口があった。
そこへ、急ぎ足で入って行こうとする人影――そう、ディンゼルさんだ。
俺たちは岩影に隠れたまま、その行動を観察する。
彼は一度軽く周りを見たあと、洞窟内へ入っていった。その後すぐ、洞窟の入口へと巨石が動いてきて、穴を塞いだ。
あれはおそらく、土魔法による操作だろう。俺たちが閉じ込められた洞窟でも、ああして出入口を閉じたのだと推測できた。
今のを見て、確信する。
やはり俺たちはディンゼルさんの策略によって、あの場所に閉じ込められたのだ。そう考えてまず間違いないだろう。
「やっぱり、ああして洞窟を塞いでいたのだな」
「ああ。イルミナが土魔法も使えて助かったよ」
サンドワームに襲われた洞窟からは、イルミナの土魔法のおかげで脱出できた。多少時間をかければ、イルミナの土魔法で大岩を移動させることができたのだった。
要は向こうは、俺たちがあの状況から脱出できると思っていないということになる。
「よし、ディンゼルさんを追うぞ。あの岩をどかすのはイルミナに任せる」
「ふふん、任せるがいい」
洞窟の前まで来て、イルミナは魔力を練りはじめ、俺はその周囲を警戒する。
そこでふと、いくつか不安なことに気が付き、俺はイルミナに声をかける。
「イルミナ、そのままで聞いてくれ」
「ああ、どうした?」
「ディンゼルさんの狙いがなにかはわからないが、ただこんな俺達でも一応は国を代表する特使の一員だ。そんな俺たちをディンザルさん個人の思惑で、あんな風に陥れて何か得があるとは思えない」
「ふむ、確かにな。私たちになにかあれば問題になるだろうしな」
イルミナは岩に魔力を送り込みながら、俺の話を咀嚼している。
「もしかすると、背後にザイルイル大司教、引いては樹教のなんらかの思惑が働いている可能性もある。もしこの中に祠があって大司教たちがいたら、まず最優先はヒロカちゃんとフィズの安全確保」
「ああ、了解だ」
「そして次に大司教らの出方を探る。これでいくぞ」
「わかった。しかしできる限りダイトラスとデムナアザレムの国交に問題が生じるような事態は避けたいところだな」
「…………まぁそうだな」
「間が長かったぞ」
イルミナは国家間の外交関係を慮ってそう言ったのだろうが、俺個人としては、もしヒロカちゃんやフィズになんらかの魔の手が迫っていたら……理性的な判断をする自信はなかった。
「よし、開くぞ」
そこで、大岩を動かすだけの魔力が整ったのか、イルミナが合図した。
中がどんな状況かわからない、慎重に挑まなければ。
と、俺は思っていたのだが。
「いやああああああああああああああああああああ!!」
「「っ!?」」
出入口が開けた途端、中からヒロカちゃんの悲鳴が響いてきた。
俺はイルミナを振り切るような勢いで、一目散に駆け出す。
いったい、なにがあった!?




