表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
御囲部屋の子どもたち  作者: たびー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/8

恩の章 5

「恩の様子はどうなの」

「まだ熱がさがらないです」

 襖の向こうで声がした。奥様と糸穂が話している。恩は熱い瞼を薄く開けて、声のする方を見た。

「もう三日でしょう」

 すみません、と糸穂が詫びている。御囲様にむいていなかったのかしら、と奥様は言い残して足音が去っていった。

 御囲様に向いていなかったら、自分はどうなるのだろうか。恩は高い天井の梁を見上げた。寒川は、恩が御囲様を勤め上げたなら、自分の助手にしてもいいと言っていた。それは遥かな約束だ。今の自分のことではない。

 襖が開いて、糸穂の浅黄色の着物の裾が目に入った。

「起きていた、恩。まだ熱が高い」

 糸穂の冷たい手が額に乗せられた。

「もう少し養生しなくては、ね」

 恩は布団にもぐってふるえた。この先、熱が下がらなかったら、下がっても、やはり恩には御囲様は無理だと言われたら。

 でも、もう一度あの真っ暗な部屋に入れと命じられたらと考えるだけで、ふるえが来る。

 あそこは異界への入り口なのだ。今まで自分が見てきた小さな影のような者たちとは格が違う。

「恩」

 糸穂が静かに語りかけてきた。恩は布団の中で丸まったまま、耳を押さえた。

「わたしも、最初のときには恐ろしくて、やはり熱を出して寝込んだわ。十日もね」

 わたしも、とは糸穂も御囲様だったのか。恩は耳から手を離した。

「御囲部屋から、生きて出られただけですごいの。適性があるのよ」

 恩はおずおずと布団から顔を出した。糸穂が枕元に正座して恩の顔を覗いた。

「名前を呼ばれても、返事をしてはいけないと教えたわね」

 恩は糸穂の手をそっと一回叩いた。

「応えたら、返事をしたら、向こうに連れていかれてしまう」

 思わず恩は糸穂の手を握った。糸穂は恩の小さな手を両手で包んだ。

「わたしが御囲様を辞めてから、二人の子が来た」

 糸穂はそこで口を閉ざした。恩は糸穂を見上げた。糸穂の表情は、眼鏡の黒いレンズのせいでよく見えなかったが固く結んだ唇が、かすかにふるえていた。

「恩、あなたならできる。だいじょうぶよ」

 恩の体は冷たい風に一瞬吹かれたように感じた。だいじょうぶなわけがない。でも、六歳の恩には選ぶことなどできないのだ。


 二日後、恩は再び御囲部屋の前にいた。

 名前を呼ばれても、応えぬこと。それに糸穂からさらに別の助言を受けた。

 部屋の真ん中に正座すること。

 じっとして、声に耳を傾けること。

 糸穂が開けた木の襖の向こうには、光さえ飲み込むような黒がある。恩は赤い振袖姿で部屋の真ん中へいざって行った。

 襖が閉められ目を閉じると、上下左右の間隔が消えていく。まるで体が宙に浮いたようにも、波にもまれるようにも感じがしてくる。

 恩は目を開けた。いつものにおいがしたのだ。

「おん」

 呼ばれて恩は背すじを伸ばした。ふるえる喉で、息を吐いて吸った。

「おん……」

 どこか感心したように声は怒鳴ることなく、静かになった。恩はそっとあたりを見わたした。

 壁のひとつがぼんやりと光っていた。やがて格子があらわれた。

 ――障子?

 見るまに壁には障子が生まれた。障子に小さな影が映った。それは見ると桜吹雪のようだった。季節外れの桜の散るさまを恩はきれいだと思った。

 とん、と右手で音がした。続いて左、後ろ……。

 恩はぎくしゃくと首を動かした。

 ぼんやりとした靄の塊が見えた。恩は全身から冷汗が流れた。体が小刻みにふるえる。

 ――耳を澄ませて。

 糸穂の声が聞こえたような気がした。恩はもう一度深呼吸すると目をつぶった。

『来年の夏は寒いぞ』

 恩はそれきり気を失った。


 次に恩が目を覚ますと、表座敷に寝かされていた。小さな声がする方を見ると、寒川が椅子に座って本を読んでいた。

「お、気がついたか」

 恩は起き上がって、寒川の首に抱きついた。重い、といいつつ寒川は恩をしばらく抱き上げていてくれた。

「じょうできだ、恩。何か聞けただろう」

 恩を下すと、寒川は恩に尋ねた。恩はうなずいたが、伝えるすべを持たないことに気づいた。

「早いところ、字を覚えろ」

 それから寒川は、家の者を探してか座敷から出て行った。自分の不出来さに恩は唇をかみしめた。と、また小さな声がした。

 寒川がいた椅子の横の卓に、寒川が腰からさげている小さな虫かごが残されてあった。声は篭の中からした。

 寒川に初めて会ったとき、篭のなかの声を聞いた。話している言葉はまるで出鱈目のように聞こえた。よくよく篭の中を見ようと、恩は顔を近づけた。編み目の隙間から中がわずかに見えた。

 きらっと光るものが目だと気づいいた時には、恩は目を押さえて倒れた。

「恩!」

 寒川が駆け寄る気配がして、恩は抱き起された。

「篭をのぞいたな」

 うかつだったと寒川は顔をゆがめた。恩は目を押さえていた手をおそるおそる外した。幸いなことに、目は見えた。

「……夏?」

 不意に寒川は、篭を見てつぶやいた。思わず恩はうなずいていた。

「夏がどうした」

 今度は恩の方を見て寒川は尋ねてきた。恩は立ち上がると、体を両手で抱いてふるえるしぐさをして見せた。

「さむい、のか。夏が寒いのか」

 恩はうなずいて見せた。

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ