表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
騎神戦記  作者: 卯月
第三章 義務を果たす者
69/74

第10話 人を殺す恐怖



 二度目の潜入になるニコラとエルフ達は案内役の若い兵士と共にローラの街から離れた窪み前に居た。


「ここから街に入れるのか。川…じゃない、これは用水路か」


「ええ、そうです。これは街の生活排水を外に捨てるために造った水路です。あっ、でもこれは畑に水を流す用だから、汚くないですよ。普段は街で一番大きな浴場からの排水を流してます。ここ数日はギルスの奴が居てそれどころじゃないんでしょう、おかげで楽に街に入れます」


 兵士のポルコが一行を手招きして水の枯れた用水路に入って行く。

 水路は湿っているが四方を石で囲っているので泥に足を取られる心配は無い。おかげで楽に歩ける。ただしニコラだけは大きすぎて身をかがめて移動するのに相当苦労していた。

 水路の天井は全て石畳で蓋をしてあるので光が入ってこないが、一直線なので迷う心配はない。

 ひたすら進み続けると、ポルコから今度は梯子で上に登ると指示があった。言われた通り縄梯子を使って明かりの先まで登り切った。

 一行の登り切った先は広い地下室だった。近くには薪が大量に山積みされており、壁側にはボイラーのような金属製の釜が何台も設置してある。察するにこの穴はメンテナンス用の出入り口なのだろう。


「それじゃ皆さんを薬屋まで案内しますね」


 ポルコに先導されて一行は裏口から路地裏に出た。幸い、昼でも薄暗く人気は無い。そこからポルコは手近な家のドアを叩いて何か呟くと、ドアが開いて住人が手招きした。

 一行は家の中を通り、中庭などを経由して別の家に入っては、同じように住人に詫びながら移動した。これならギルスの兵士に悟られる事無く街を縦横無尽に移動出来る。元々自分達の街だからこそ出来る移動方法だった。

 公衆浴場から実に二十戸ほどお邪魔して、ようやく目的の薬屋まで辿り着けた。


「どうもー。おっちゃん、オレっちだよオレ、ポルコ。頼もしい味方を連れて来たよー」


 裏口を控えめに叩くと、中から右の角が無い羊人が出てきた。


「分かったからさっさと入れ。連中に見つかると俺が殺される。ん?エルフか?こりゃ珍しい味方だな」


「済まない店主、一日だけ厄介になるよ。あと、金は出すから薬と店の設備を好きに使わせてくれ」


「俺はクソヤロウ共から逃げ遅れたせいで、ずっと店から出られないんだ。奴等を追っ払ってくれるならタダで何でも好きに使ってくれ」


 亜人と言うだけで殺しに来るような輩が闊歩する街に居るのは、さぞ生きた心地がしないのだろう。店に入ってから出るわ出るわ、ギルスへの罵詈雑言。それも連中の所業を知っていれば致し方ない。

 案内の終わったポルコは情報を集めてくると言って店を出ようとしたので、ニコラはついでで夜中の移動用に人数分の黒い外套を頼んだ。


「で、薬屋に何か用か?連中の食い物にでも下剤を入れるのかい?」


「いや、欲しいのは硫酸と硝酸。無ければ硝石と硫黄。それとグリセリン、えっと石鹸を作る際に大量に出来る粘り気のある透明な液体だな」


「酸なら両方あるぞ。グリセリンってのは知らないが、薬に入れる酒の臭いのする増粘剤の事ならそれもうちに置いてあるぞ」


「ああ、それでいいよ。全部出してくれ。あとガラス容器も貸してくれ。氷か冷水があればなお良いけど」


「氷は無いから井戸水に硝石を入れて冷水を作ってやるよ」


 流石に慣れた人がいると話が早くて助かる。ニコラとその助手を務める薬師のサルマンは調合室に案内された。そこは帝国研究局とは比べ物にならないほど簡素で小さな部屋だが、器具は一通り揃っているので問題無かった。フィーダとラフィムはやる事が無いので見学している。


 ニコラは用意してもらった硝酸に硫酸を加えて1対3の混酸を作る。急激に入れると沸騰して危ないのでゆっくりと、時間を掛けて混ぜる。混酸は熱いと危険なのでガラス容器の外に硝石を加えた冷水を張ったタライを用意しておく。

 次に混酸にグリセリンを少しずつ垂らす。すると硝酸エステルしたニトログリセリンが浮き上がって来た。これを陶器の匙で掬って、水を張った別のガラス容器に移す。これをニコラとサルマンが何度も繰り返しては一定量のニトログリセリンを作っていく。

 しばらくすると容器の中が2層に分かれる。上の層が水で下の層がニトログリセリン。ニトログリセリンは水に溶けないので、余分な酸が落ちて不純物が少なくなる。それでも酸は残るので一旦水を抜いてから本来は炭酸ソーダが最適だが、無いので代用品の木灰アルカリ液を入れて中和してから水を取り除いた。

 中和したニトログリセリンを手のひらに収まる小さなガラス瓶数本に目一杯移し替えて厳重に蓋をして密閉しておく。ニトログリセリンは弱い衝撃でも簡単に爆発するので極力動く空間を作らないように容器には隙間を作らない。

 一通り作業を終えたニコラは気が抜けたのか、疲れたような息を吐いた。あとはこれをもう一回繰り返すのだが、一旦休憩を入れないと集中力が持たない。


「ふう、これでニトログリセリンの完成だ。あとはこれを何個か作ってギルスの占拠した工廠に放り込めばいい」


「こんな小さな物で本当にあの巨人を壊せるとは。ニコラはどこでこんな知識を知ったんだ?」


 助手を務めてくれた中年エルフのサルマンが感心しながらガラス瓶を眺めている。村で百年薬師を務めてきた彼は、人間の薬とエルフの薬が全く違う事にカルチャーショックを受けつつも、新しい事を学べる事が楽しくて仕方が無いのだろう。


「五年ぐらい前に物好きな化学の先生と実験したんだよ。面白かったからいいけど」


 ハイスクール時代の変人と異名を持つ教師の事を思い出して微妙な気分になる。このニトログリセリンの実験は授業のカリキュラム外だったが、面白そうだからと言う理由で無理矢理時間を作って生徒にやらせていた。何かあったらどう責任を取るつもりだったのか、今から思うと相当無茶な事をしていたと思う。

 とはいえ、この知識が今となっては黒色火薬と共に非常に役に立っているのだから人生何があるか本当に分からない。

 軽い雑談をして集中力が戻ったので、もう一度同じ作業を繰り返した。

 二度の作業で計六本分のニトログリセリンが出来上がり、一気に気が抜けた。後は襲撃時の夜明け前まで振動を与えないように慎重に保管するだけだ。


「それで、この瓶はどうやって使うんだ?」


「そのまま床や壁に叩き付けて瓶を割るだけ。矢に括り付けて飛ばしてもいいかもな」


「なら俺の出番だな。ラフィムはどうする、お前も弓を使うか?」


「フィーダがやるなら僕はもしもの時に精霊に助けてもらうように待機しておくよ」


 役割分担はそれで十分だった。サルマンは弓がからきしなので襲撃には参加しない。彼はそれを恥じるが、一緒に危険な作業を手伝ってくれたのだから無用な恥だ。

 準備を整えたニコラ達は夜に備えて休息に入った。



      □□□□□□□□□



 翌日の未明、ポルコが集めて来てくれた情報によりギルスのデウスマキナの所在が分かり、そこから100m程離れた家にニコラ達は準備を整えて時を待っていた。

 デウスマキナはオーベル家の所有する工廠に四騎待機している。勿論、一騎しか所有していないオーベル家の騎体の面倒を見るだけなので相応の大きさしかなく入りきらない。そのため修理が必要な二騎を中に入れて、その上場所を確保する為に周囲の工房や家を無理矢理解体して住民は全員強制的に退去させていた。三名が居る家も家主がギルスの兵士を恐れて出て行った家の一つだ。あとの二騎は露天で補給作業を受けている。

 周囲は寝静まっているので灯りは使えないので、月明かりの中で暇を潰すために三名は小声で雑談などをして時間を潰していた。一緒に来たポルコとサルマンは別の所で待機している。

 緊張するフィーダは他の二名に生返事を返しながら、しきりに弓の調子を調べていた。今回は彼が襲撃の要、そして危険なニトログリセリンを扱うのだ。緊張しない方がどうかしている。

 何より彼は自分がこれから殺人を犯す。事を成した後、自分が正気でいられるか保証できるか分からない。それがどうしようもなく恐ろしく、迷いや躊躇いを振り払うために何かしていないと落ち着かなかった。


「フィーダさん、落ち着きなよ」


「黙ってろラフィム。―――くそっ。ニコラ、お前はこんな思いをして俺達を救ったのか。それとも平気だったのか?」


「平気じゃないさ。誰かを殺すのは辛くて気持ちが悪くなる。俺だって村で兵士を皆殺しにした時は吐いたし、この前デウスマキナに乗って戦った時は死ぬかもしれないと思って震えたよ。そういう時は好きな女の事でも考えてろ。それで少しは落ち着く」


 経験者の言葉に従いフィーダは弓を手放して、懐から何か取り出して強く握る。

 しばらくするとフィーダも落ち着きを取り戻してラフィムに謝った。ニコラが何を握ったのか尋ねると、嫁の髪の毛を編んだ物だそうだ。親しい男に自分の体の一部や身に着けている物を渡すのはどこの世界でも一緒ということか。

 それに感化されたラフィムも嫁から渡された髪飾りをいじっている。ニコラもジゼルに貰った小袋と、その中に入れてあるセレンから貰った貝殻のお守りを見つめる。

 精神が落ち着くと、周りを見る余裕が生まれる。自分達が置かれている状況を冷静に鑑みて、フィーダの中に幾つか疑問が生まれた。


「俺達が街の中のデウスマキナを四騎倒して、外で待機している奴等が他の四騎を倒す。そこまではいい。だが、残った兵士はどうするんだ?」


「工廠を警備している兵や整備兵はそのまま巻き添えで倒せる。それと、周辺に兵士の宿舎が固まっているから、そこにもニトログリセリンを放り込めば半分はやれる。残りの見張り台や壁の外周で警備しているのは逃げ出すか、降伏するか、その時になって見ないと分からないが、まずはデウスマキナを倒すのが最優先だ。後の事は後で対処する」


 エルフから見れば行き当たりばったりだが、デウスマキナの戦闘力を勘定に入れれば兵士数百など誤差の範囲でしかない。この世界の軍事力はほぼ全てデウスマキナで成り立っていると言っても過言ではないので、兎にも角にもデウスマキナを何とかするのが常識だた。逆に言えばデウスマキナさえ排除してしまえば常識のある兵士は自然と戦意を失くす。

 自分達と世界の常識の違いに納得し切れないエルフ二名だったが、時間が来た事もあって、ニコラの言う通り後の事は後で考えればいいと思い直して、家を出た。

 外は半月がかなり傾いておりまだまだ暗い。おかげで漆黒の外套がこの上なく役立つ。三名は素早く、そして可能な限りガラスの小瓶を括り付けた矢を揺らさないように屋根をよじ登って、屋根伝いに工廠を目指した。

 50mまで近づいた所で止まり、身をかがめてギルス兵たちの様子をうかがう。あちらこちらに照明の篝火を焚いて騎体に取り付いて作業をしていた。おかげでニコラ達からはっきりと見えて、逆に兵士達からは明るすぎて闇に溶け込む三名の姿は見えない。

 今、彼等は仰向けの騎体の腹を開いている。動力源となるクリスタルを交換しているのだろう。コックピットの装甲も開いている。


「これから乗り込んで交代するのか、あるいは点検するのか。どちらにせよ良い頃合いだ。それに工廠のほうも照明が落ちていない。つまりまだ修理中という事だろう」


「で、どうするんだニコラ。矢は六本しかないからな」


「最初は二本、外の騎体に直接撃ち込んでくれ。近くの技師や警備兵も纏めてやれる。次の二本は工廠の中にだ。残り二本は何かあった時のために残しておく」


「分かった。任せろ」


 フィーダは矢筒からガラス瓶を括りつけた矢を取り出し、慎重に弓に番える。たった一本の矢が一度に何十もの人間の命を奪うなどと、今でも信じられないし、仮に本当だとしても恐ろしくて堪らないが、それでも恐怖を誤魔化し、振り払い、仲間と認めたボルドの民の為にフィーダは矢を放った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ