第7話 耐え忍ぶもの
ダニエル=ポルナレフを先導に最速でレンヌの街に戻って来たニコラ、ジゼル、ヤン。そしてエルフの四名。フィーダ以外のエルフは初めて見る人や亜人の住む街に茫然としているが悠長に観光する時間は無かったので、無理矢理引っ張って行った。
ポルナレフの屋敷は慌ただしく、出陣の準備の為にひっきりなしに使用人や兵士が走り回っている。
ダニエルに案内された一行は当主ピエールに会う。彼はニコラの参戦に感謝を示し、さらにエルフ達が参戦する意思を伝えると、自ら彼等の手を取って頭を下げた。
そこまでは良かったのだが、ジゼルが従軍すると知ったピエール以下、同席していた近隣領主やその代理はこぞって難色を示した。しかし本人の意思が強い事と、女とはいえ皇族が戦地にいる事が士気向上に役立つのを鑑みて反対の声は弱まった。この難事に使えるモノは何でも使う、形振り構わない思惑が透けて見えた。
出陣までの時間、主だった者で軍議を開いた。当然ニコラは出席、エルフ代表としてフィーダも居る。
敵のギルス軍はデウスマキナ八騎に兵三百。対してポルナレフは二騎、独立領主達のデウスマキナは一騎。本来はあと一騎、ポルナレフの騎体があるのだが、運の悪い事に一騎は分解整備をしており使えるまで時間が掛かった。正直劣勢だ。さらに悪い事にオーベル領で一番大きな街ローラは占領されて敵の本陣にされてしまった。街の住民はその人質だ。
纏め役のピエールは厳しい顔を崩さない。他の者も似たようなものだ。
「帝都に援軍の要請はしたが、騎士がこちらに来るのは早くても十日以上かかる。それまでは我々で対処せねばならない」
「八対三。そして街は敵の手の中にある。ただし一応オーベルも一騎デウスマキナを所持していて、敵襲の最中に敵わぬと見て逃して隠したらしい。それを加えれば八対四になる」
「そこにコガ殿を加えれば八対五になりますな。貴殿は生身でクラウディウスの至宝を二騎も奪い取ったとか。正直、コガ殿が参戦してくれて胸を撫で下ろしましたぞ」
「私も騎士として最善を尽くします。みなで愚かなギルス人を叩きのめしてやりましょう」
ニコラの自信満々の言葉にピエール達はようやく笑みを見せた。こちらはデウスマキナの数では劣っているが、単純に足し算になり得ない規格外が一人いる。その騎士が余裕を見せているのだから、きっと勝てる。領主達はそう自らに言い聞かせた。
実を言えば劣勢に変わりはない。だが指揮官が暗い顔をしていると末端兵士の士気にかかわる。ニコラは助っ人だが、間違いなく援軍の中核にいる一人だ。だから虚勢を張ってでもポジティブな姿を見せ続けなければならなかった。
そして出陣の準備が整い、全員が整然と街を歩く。街の住民は彼等に精一杯の声援を送り、勝利と無事の帰還を望んだ。
見送る側の中にはヤン司教の姿もある。彼は今から帝都に行き、現在の状況を説明する役目を担っている。
彼の表情には決して喜びはない。あるのは悔しさだ。妻子の居ない自分にとってジゼルは実の娘のように想っている。その娘が戦場に赴くと言うのに、自分は戦場から離れて無事を祈るしかない。これほど男として、父として悔しい想いを抱いたのは生まれて初めてだった。
本音を言えば自分も行きたい。だが戦えない、唯の農夫の子の自分には戦う術は何も持ち合わせていない。血と肉をまき散らし、死と破壊が支配する地獄のような場所に行った所で神の教えは役には立つまい。自分の人生を全て否定されるのが関の山だ。それが悔しくてたまらなかった。
そこで自棄を起こすほど短慮でも愚かでもないヤンは全てを飲み込み、死地へ向かう彼等に背を向けて、自分の仕事を全うする為に馬車に乗り込んだ。
「コガ殿、どうかジゼル様をお守りください」
馬の嘶きで掻き消えるほどの小さな祈りは誰にも聞かれる事は無かった。
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ボルド地方連合軍が街を出陣して二日が経った。現在はポルナレフ領の北、オーベル領との境にいる。そこから少し東にある森の手前で停止した。
連合軍は連日の強行軍で兵も馬も騎士も、ありとあらゆる者が少なからず疲弊している。『兵は拙速を尊ぶ』という言葉に倣ったわけでは無いが必然的に急がざるを得ないのだ。
それは相手がギルス共和国というのが唯一と同時に最大の問題だった。
彼等は亜人を殺す。それも教義に従って大した理由も無くてもだ。
ボルド帝国では亜人だろうが人だろうが所定の税を納めて法を遵守すれば、誰もが一定の権利を保証してもらえる。それがギルスにとって、正確にはユピリウス教の奉じる戒律では異端であり唾棄すべき邪法だった。彼等にとって亜人は家畜以下の不浄の生き物。故に殺すかデウスマキナの部品として利用するしかない。
そんな連中が武器を持って亜人の多く暮らすボルドに攻め入ってやる事など子供でも分かる。『浄化』という名の殲滅だ。それをボルド人は一人の例外もなく知っている。だからこそ無理をして一秒でも早くギルス共和国の尖兵を排除せねばならなかった。
そのために、より土地勘のある者の協力が必要不可欠だ。使者の話によれば、この森にオーベル家唯一のデウスマキナと共に逃げ延びた一族の何名かが潜伏しているらしい。その証拠に森の入り口の木々が無残に薙ぎ倒されて、地面に目を凝らすと無数の大きな窪みが残っていた。大きさと深さから間違いなくデウスマキナの足跡だった。
使者が森に入って行き、しばらくするとけたたましく無数の鳥が飛び立ち、森の方から轟音と共に亜麻色の巨人が姿を現した。あれがオーベル家所有のデウスマキナか。
騎体はこちらの前で止まり、片膝を着いてコックピットの装甲が開く。出てきたのは何と言うか、三十過ぎの四角い髭面の男だった。何が四角いかといえば、身体全体が四角だ。背丈はどちらかと言えば小柄。ニコラの頭一つ以上小さい。しかし横幅は非常に広く、服を着ていても筋肉の隆起がはっきりと分かる。特に腕など角材のように太く逞しい。まるで柱に手足を生やしたような印象を与えた。
「久しいなドルフ=オーベル。壮健で何よりだ」
「私のような敗残者に気を遣って頂き誠に申し訳ありません、ポルナレフ伯爵。各々方もよく我が家の窮地に手を差し伸べてくださいました。その義心には万の感謝の言葉でも足りませぬ」
感謝と悔しさがない交ぜになったような複雑な声でドルフと呼ばれた男は礼を述べながらとめどなく涙を流す。オーベルの名を持つとなれば間違いなく領主の一族。それもデウスマキナを任されるほどの男だ。並々ならぬ責任感と貴族の矜持を持ち合わせている。そんな男が戦力保持の最適解とはいえ、おめおめと敵を前に逃げ出し隠れているなど、今まで気が狂うほどだったに違いない。
ドルフが泣くのを止め、改めて援軍の面々に挨拶をする。彼は現領主の弟で領地の私兵を預かる身分、いわば子爵軍の指揮官と言うわけだ。
そのドルフもこちらの面子の素性を知ると、感嘆の声を挙げてまた大粒の涙を流して喜んだ。
「あの『クラウディウス狩りの騎士』とは!それに義に篤いエルフの戦士達!何より、先代皇帝陛下の一人娘であるジゼル様が、我々の為に身を挺してくださる!この戦い、我が命を賭す覚悟を以って挑みます!!」
ドルフの宣誓を聞いたニコラに疑問が湧く。一つは『クラウディウス狩り』だ。多分これは自身の事だろう。クラウディウスのデウスマキナを二騎奪い取り、一騎を撃破。四騎所有の内、三騎を仕留めていればそのような異名が勝手に付くのは、まあ分かる。
それより気になるのがジゼルの出自だ。彼は先代皇帝の一人娘と言った。現皇帝ローランの前に一人皇帝が居て、それがジゼルの父。叔父と姪ならおそらく兄か。
ただそうなると、ジゼルが周囲から腫物扱いされるのは何故だろうか。普通先代皇帝の娘ならもっと丁重に扱われているだろう。政治闘争で冷飯食いにされているのか?だがそれならローラン本人とジゼルが親しく言葉を交わすのは得心がいかない。以前ノンノが理由を良い話ではないと言って言葉を濁したのが鍵なのだろう。
「これからはジゼル様って呼んだ方が良いですか?」
「やっ、止めてくださいっ!コガ様にそのように畏まられるのは心外です。そのままでお願いします!」
「いや、よくよく考えたらリシャールもだけど皇族に馴れ馴れしくするのは変ですから」
「コガ様は私にとってセレンさんと共に最初に出来た親しい友人なのですから、その方に距離を置かれるのは心が痛みます」
「親しい間柄なのに何時までも様付けも変だと思うけど。じゃあ、今まで通りにするから俺の事もニコラで良いよ。様も無しだ」
「え、いえ、それはそれで恥ずかしいのですが。そ、その―――――ニコラさん」
俯きがちに頬を赤らめて消え入りそうなぐらい小さな声でニコラの名を呼ぶジゼル。友人の男の名を呼ぶだけでこれとは。というか恋人以上嫁未満の相手のいる男に誤解を招くような仕草をするのは止めてもらいたいとニコラは秘かに思った。しかし時すでに遅し。周囲の貴族や兵士は小声で二人の関係を邪推している。
「おい、ニコラ。お前セレンが居ないのを良い事に他の女に手を出すのはやめろ。あれか、正式に嫁にしてないから大丈夫だと思ってるのか?」
「人聞きの悪い事言うんじゃないフィーダ!俺はそこまで不誠実な人間じゃない!」
親友と思っていた奴に謂れの無い事で責められるのがクソ腹立たしい。これで誤解されたまま森の村に帰ったら、セレンがどうするか、考えるだけでうんざりする。とにかくニコラはジゼルの事をただの友人兼教師だと、その場で言い切って誤解を訂正するのに必死だった。
どうにか誤解を解いて話をギルスとの戦に戻すと、ドルフからいくつか有力な情報を得られた。
一つ、ギルス軍は街を占拠して多くの住民や残ったオーベルの一族を人質にしている。
一つ、逆らう者は例外なく首を刎ねて街に晒す。亜人は見つけ次第殺して死体を街の外にゴミのように捨てている。
一つ、街は狭くデウスマキナの整備も碌に出来ないので、半分は外に配置して交代で示威行為をしている。
一つ、侵略軍の首魁はペレス=クラウディウス。
「やはりと言うべきか、当然と言うべきか。時間はギルスの味方だな。それに亜人の被害も捨て置けない」
「クラウディウスだと!俺達の村で散々好き勝手しておいてまだ懲りないのか!」
ニコラにとってもエルフのフィーダにとってもクラウディウスの名は愉快ではない。奇跡のような偶然が重ならなければ今頃村人全員がデウスマキナの部品として狩られていたのだ。非好戦的なエルフでなければクラウディウスに組する者は皆殺しにしてやりたいと憎悪を抱いてもおかしくない。
とはいえこれはこれで都合が良い。意図した訳ではないが、こちらには『クラウディウス狩り』の異名を持つニコラが居る。信仰心が高いこの大陸の民からすれば有効なゲン担ぎに使える。事実、全員がニコラが居ればクラウディウスなど怖くないと士気が目に見えて上がっていた。
高い士気を維持しつつ連合軍はドルフに水先案内人を任せてギルス軍が占領するローラの街に進軍した。
両軍が対峙するまで、あと二日。




