第6話 戦乱の兆し
ニコラとセレンが森の村に帰って来てから五日が経った。
この間ニコラは森で特産品が無いか、あちこち探索を繰り返していた。料理や生薬に使えそうな種や実を探したり、染料に使えそうな草や植物を見つけては村人と共に試した。
あるいはセレンと二人で村からどんどん南へ行って、一日がかりで海を見に行く事もあった。ちょっとしたデートのような物だ。
そこで崖下に降りて研磨剤に使えそうな砂を採集しつつ、久しぶりに海魚を獲ってセレンと貪るように食べた。セレンは砂浜に打ち揚げられた沢山の綺麗な貝殻を集めては子供のように無邪気に喜んだ。森から出る事の無いエルフにとって海は街と同じぐらい未知の領域であり、余程の事が無ければ行く事は無いそうだ。
以前ニコラはセレンから御守りとして貝殻の首飾りを貰ったが、その御守りは今はガルナ戦の前にジゼルに貰った御守りの袋の中に詰めてある。
エルフにとって海産物は貴重な品として扱われているので土産として持ち帰った貝殻は砂以上に彼等から喜ばれた。
そして六日目の昼。ニコラは村人と昼食を摂っていた。食事はその日森で狩った猪の香辛料焼き。クセのある肉の味をマスタードに似た辛みの香辛料が抑えて、刺激のある味が舌を楽しませてくれた。
そんな楽しい食事のひと時も、村の外から荒い息と共にニコラの名を呼ぶ声が終わらせてしまった。
闖入者はエルフの青年と共にニコラの前に膝を着いた。白毛の馬人で、右の頬に黒い斑点がある。記憶が確かならこの馬人はピエール=ポルナレフの子供の一人だった。
「食事中に申し訳ない。ニコラ=コガ殿に折り入って頼みがある。私はピエールの子、ダニエル=ポルナレフだ」
「とりあえず水を飲んで息を落ち着けてくれ」
礼を言ってニコラに差し出された木の杯を受け取り一息で飲み干すと少し落ち着いたようだ。そして改めて事情を切り出した。
「実は我々の領地の北、オーベル子爵の領地が突如ギルス共和国の軍勢に襲われて占領されてしまったのだ!奴等、デウスマキナを八騎、随伴する兵も三百はいるらしい。我々に援軍の使者が来たのが昨日の朝だ。父は即座に出陣の支度を整えて、近隣の領主にも援軍願いを出している」
「では、この村…いや、俺にも援軍として来てほしいと?」
ダニエルはニコラの言葉に無言でうなずく。ニコラはその申し出に即答せずに顎に手を当てて思考する。隣国の軍事行動への対処に近隣の領地へ援軍を求めるのは当然の対応だ。独立した領主なら各自の判断で軍を起こすのも自由だが、自分はどうだろうか。
一代官の権限では勝手に軍を組織するのは越権行為だ。だが、一個人として参加するのは構わないだろう。と言うよりこのエルフの村一つだけの代官でしかないので土台軍と呼べる集団を組織するのは無理だ。そこはニコラも分かってるし、使者を送ったピエールも承知している。後は近衛騎士が王や団長の命令無しに地方領主に組して戦っていいのか、そこが問題視される。緊急処置と言って無視しても良いが、後々そこを咎められると困る。ニコラ自身だけで済むならそれでいいが、今はノンノの下に居る見習いだ。前のエドガー=ポワレのように、とばっちりで懲罰を受けるのは良心が咎める。
しかし、八騎のデウスマキナの侵攻となれば少しでも戦力が欲しいのはニコラにも分かる。ポルナレフの所有するデウスマキナは三騎、それでも一領主の保有する騎体としては多いのだから、少しでも戦力を集めなければ礼儀のなっていない招かれざる客を追い出せない。個人的には手を貸したいが、周りにまで責任問題が発展するのは望まない。ここにノンノが居れば意見を求められるが、居ない人間を頼るのは無駄だ。
悩むニコラの姿にダニエルはやきもきするが、そこに森の外で兵士やジュノー教に興味のあった物好きなエルフに説法していたヤンが戻って来た。そこでニコラは畑違いだと知りつつも事情を話して意見を求めた。
「コガ殿の危惧は私も理解出来ます。ですが、今は帝国の一大事です。もしコガ殿の行動が責を負う事になっても、私が力の及ぶ限り弁明しますから、憂い無く援軍に向かっては頂けませぬか?」
そこまで言われてはニコラも納得せざるを得ない。後は最低限筋を通すために手紙を認めて詳細を帝都のフランシス=メレス団長に伝えればいい。それと、ついでで愛騎のヘリウスを送ってもらうように書いておいた。間に合うかどうか分からないが、やらないよりはずっといい。
良い返事が貰えたダニエルは喜び、すぐにでも出発を促すが、そこに待ったを掛けた者が居た。フィーダだ。
「ニコラ、俺も援軍に加えてくれないか?」
「いや、だがお前達に戦う義務は無いぞ」
「敵がギルスならそれだけで戦う理由になる。何より俺達は既にボルドの民でもある。仲間の窮地を見て何もしないほど森の民は情に薄くないぞ。お前達もそう思うだろう?」
フィーダの言葉に若いエルフの男達が同意の声を挙げた。正直言って、この申し出はありがたい。エルフはギルスの暴力から逃れるためにボルドに組する事になったが、それは必要に迫られニコラの提案に乗った形であり、半ば状況に流されての事でしかない。しかし自発的に国の、そして人の為に戦いに赴き血を流す献身となれば、極めて意義のある行動だ。古来より自由や権利が何もせずに手に入った試しはない。全て己の命や財産を賭して勝ち取る物だ。ニコラにおもねり何もしないだけで庇護を受ける連中ではないと、自ら証明して見せるのはエルフにとっても必要な通過儀礼だった。
エルフの声を了承したニコラだが、希望者全員を連れて行く気は無い。その中で参戦するのは三名までとした。
村は総勢百名前後。その中の三名は3%になる。これはこの大陸の従軍割合として妥当な数字である。余談だが、20世紀以降の地球国家の軍人の割合は国家総人口の1%、多くても2%程度が健全な財政負担と言われている。
そうなると今度は誰が戦に出るかで揉めた。行きたがらないのではない、誰もが行くと言って譲らなかった。ソランもニコラが戦に行くと知って、行くと言ったが、周りから馬鹿な事は言うなと叱られて頬を膨らませていた。
そして、すったもんだの末に人選は終わった。
まず言い出しっぺのフィーダ。彼は村一番の弓の使い手なので誰も異議を唱えない。
次に決まったのは右耳に四つの骨のカフスを着けた17歳ぐらいの外見のラフィム。彼はセレンと同じく精霊に親しく、ヤンやダニエルが村と外を行き来する時に崖の上り下りの手伝いを担当していた。弓の腕はそれなりらしい。
最後は外見年齢が35歳前後、比較的年配のサルマン。彼は弓はさっぱりだが、代わりに手先が器用で薬師として村の医師を務めていた。性格も温厚で人望がある。
ニコラと決まった三名はすぐに従軍の準備に取り掛かるが、そこで少々問題が起きた。セレンが自分も行くと言い出したのだ。流石にそれは村全体で止めに入ったが、自分も精霊の助けがあれば役に立つと言って譲らなかった。両親のシャイドやレイラも止めさせようとするが無駄だった。
そこでニコラが割って入って宥めるが、寧ろセレンは自分が居ないと困るんじゃないかと詰め寄った。
「この前の戦だってあたしが居なかったら勝てなかったでしょ?」
「お前が居てくれて良かったのはその通りだ。でも、そう何度もお前に頼るつもりはない。頼むから村で帰りを待っていてくれ」
「なにさ、ニコラのあほー!もう知らないんだからっ!」
セレンは怒って森へ入って行った。後ろ姿を見送り、溜息を吐くが時間が押している事もあって後を追わなかった。
そこで問屋が卸さないのが現実である。今度は何故かジゼルがニコラ達に同行を申し出た。それにはニコラも絶句したが、彼女が考え無しにそのような事を言うとは思えなかったので冷静に理由を尋ねた。
「占領されて不安を抱く民の方々にほんの僅かでも希望を抱いてもらいたいのです。末席ですが私も皇族。その私が戦地に赴けば帝国に、陛下に見捨てられたとは彼等も思いません。私の、いえ、私の身に流れる血が役に立つのであれば喜んでお使いなさってください。それに、これでも傷の手当てや炊き出しぐらいは出来ますから、役立たずにはなりません」
ニコラも拒否するのは簡単だが、彼女の言い分も一理ある。古来から災害を受けた地域や戦災地を王族や貴人が見舞い、民を慰撫する行為は幾度となく行われた。ジゼルを危険にさらす行為だが、一定の効果があるのは認めざるを得ない。それにまずありえない事だが、占領されたオーベル子爵やその一族が共和国側に寝返る事もある。その場合皇族のジゼルが居れば躊躇うかもしれない。
そこまで考えて拒否は難しいと思ったが、それでも非戦闘員を、それも少女を戦場に連れて行くのは躊躇われる。保護者のヤンに意見を求めるも、彼もジゼルを引き留めるのを諦めた。
「こうなると我々が何を言ってもジゼル様はお引きになりません。コガ殿、どうかこの方を護って頂けませんか?」
「――――分かりました。彼女の身柄は可能な限り護ります」
難しい仕事を任されたがやり遂げるしかあるまい。
時間が無かった事もあり、一行はすぐさま馬車に乗って一旦レンヌの街に向かった。セレンは最後まで見送りに来なかった。




