第2話 ガンパウダー
帝都に帰還して日常に戻った翌日、久しぶりに柔らかいベッドで眠って気持ちよく起きられたニコラはセレンと共に朝食を摂っていた。相変わらずパンにジャムを大量に塗りたくろうとするセレンを窘めつつも、戦や行軍中はまともに甘い物を口に出来なかったことを考慮して、いつもより量を多めに許していた。
「さて、村に帰るまでの数日、何するかな?」
「んー、みんなへのお土産を買うとか?お菓子とか良いよね」
「そうだな。色々珍しい物を買っておくか。報奨金も結構貰ったし、景気よく使うとしよう」
騎士団から戦功の褒賞として与えられた金は金貨三百枚。平の近衛騎士の半年分近くの給料と同等だ。臨時収入としては結構な額だが、村人全てに渡すお土産の予算として使ってしまう事にした。それ以外にも村の傍に駐留する兵士達への小遣いや今回赴任するジュノー教の聖職者への喜捨として幾らか残しておく。金は人間関係を円滑にする潤滑剤として機能する。
店を回る予定を二人で話し合いながら朝食を食べ終わり、外出の支度をしていると、玄関の扉を叩く音が聞こえる。
セレンが扉を開けるとそこには見覚えの無い少年が立っていた。
「あ、あの、こちらは騎士コガ様のお宅でしょうか?」
「うんそうだよ。ニコラー、お客さんだよー」
呼ばれたニコラが玄関に行って少年と対面する。彼の顔は知らないが服には見覚えがある。国営工廠の作業着だ。おそらく彼は工廠の見習い技師だろう。こころなしか顔が赤いのはセレンを間近で見たからか。
「おはようございますコガ様。コークス技師長から伝言を預かっています。『時間が出来たから早く教えて。城で待っている』以上です」
「昨日の今日でか。技術者は貪欲だな。分かった、了承したと伝えてくれ」
しばらくデウスマキナの修理に掛かりきりになると思っていたが、思いのほか早いお呼びである。こちらの予定が狂ってしまうが、技術者の機嫌を損なうのは後が怖い。
少年が帰ってからセレンに今日は買い物は無理と告げると少々ご立腹だ。
「もうっ!せっかく買い物に行けると思ったのに―!ニコラのあほー!」
「そう言うなよ。俺だって今日はお前とゆっくりしたかった」
ご機嫌斜めのセレンを宥めるように同意する。おかげで彼女の機嫌が少し良くなった。ただ、機嫌がよくなろうが予定が変わった事に変わりがない。相方不在の一日をどう過ごすか悩む。一人で買い物は味気無い、かと言って一日家に籠って家事だけするのは嫌だ。あれこれ悩んだ末にセレンは結論を出す。
「じゃあ今日はニコラに着いて行く。あたし一人居てもつまんないし」
「止めはしないけど、着いて行ってもそれほど面白い訳じゃないぞ」
仕事なので面白い物でもないが、女にとって好きな男と一緒に居られるだけで満足だった。予定が変わったものの、二人は伴だって家を出た。
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二人が城に行くと、城門の前でコークスが仁王立ちして待ち構えていた。ニコラの顔を見るなり、近づいてにこやかに挨拶をする。この様子では余程楽しみにしていたのだろう。
早速コークスに案内されて城の中へと入る。連れて行かれる場所にはニコラもセレンも一度も訪れた事が無い。
歩く時間に反比例するように、どんどんすれ違う人間は減っていく。そしてとうとう一人もすれ違わなくなった。だがそれでもコークスは歩みを止めず、長い廊下を曲がり、二人の屈強な兵士が並び立つ頑丈な扉の前で止まった。
「――――ここよ。国営工廠技師長、アルジェン=コークスです。通してもらえますか?」
「話は伺っています。どうぞ」
兵士達は力を込めて両開きの扉を空けた。オークの木を鉄で補強した重厚な扉が鈍い音を立てて開く。その先には下り階段があった。
そこからさらに階段を降りると、段々強い刺激臭が漂ってきて鼻や目を襲う。コークスやニコラはさして気にならないが、セレンは顔を顰めて嫌がった。
「随分と厳重だな。よほど見られたくない物を集めているのか」
「その通り。人であれ亜人であれ見られたくない物は地下に埋めて置くものよ」
「どうでもいいけど、この変な臭い何とかならないの?」
勝手に付いて来て随分な言い草だが気持ちは分からなくはない。この臭いは生き物が本能的に忌避する臭いが多い。刺激臭のする薬品を数多く取り扱っているのもあるが、生き物が最も嫌う臭いが漏れ出ていた。『死臭』がするのだ。
階段を降りれば降りるほど死臭が強くなり、降り切った先の扉の前に立てば、セレンどころかニコラも強烈な臭いにうんざりした。それを知ってか知らずか、コークスは扉を開け放つ。
「ゴミ溜めの二番底へようこそ、ニコラ=コガ殿。歓迎しよう」
開口一番に浴びせられる言葉がこれである。声の主は扉から一番近い机に座ってふんぞり返っていた長い黒髪の壮年の男。平凡で取り立てて印象に残るような容姿はしていない。体躯もニコラとは比べ物にならないほど華奢で、如何にも荒事に向かない学者然としている。ただし、よく通る美声が印象に残った。
「おっと、名乗りを忘れていた。セージ=ベルモンだ。ここ、帝国研究局の局長をしている。それと全員知っているから挨拶は不要だ。そんなことよりさっさと教えてもらおうか」
「言葉が足りないわよセージ。まあいいわ。貴方に何を言っても無駄でしょうし。けど、最初に断っておくけど、隣にいるセレンちゃんは違うわよ。もし手を出したら大きな騎士さんが貴方達を皆殺しにするでしょうね」
「勿論知っている。今回の趣旨はそっちの騎士が持ち込んだ銃とやらの本質を知る事だからな。我々が何も理解し得なかった事象がこれ以上増えるのが捨て置けぬだけだ」
傲慢不遜とは彼のような人物を差すのだろうが、不思議と不快感は無く、ニコラは早速火薬について学者達に教える。
最も原始的な黒色火薬の材料は硝石、硫黄、木炭の三つだ。実はボルド帝国に限らず、この大陸の国家では三種類の材料はよく活用されているので比較的手に入りやすい物だった。当然、この研究局にも纏まった量が保管されている。
木炭は日常生活でよく使われる燃料なので特におかしくはない。硝石に関しては水に溶かす事で溶解の吸熱作用で水の温度が下がることが発見されており、貴族や金持ちの商人のような財力のある者の飲み物や菓子を作るのに使用されている。セレンの好物である砂糖付きゼリーも、この硝石を使って作られたお菓子である。
硫黄も一見、使い道の無い人体に有害な物質と思われるだろうが、この大陸ではある意味最も必要とされる物質だ。硫黄は硝石と併せて燃焼させて水に溶かせば金属を溶かす性質のある液体、硫酸が得られる事が広く知られており、デウスマキナの武器や装甲を磨く薬品として常に必要とされた。
ニコラはそれら三種を前にして、小学生だった頃に理科の授業で見た資料を記憶から掘り起こしながら作業をしていく。それをセージをはじめ、学者やコークスも、それにセレンもまた熱心に観察していた。
「三種類は全て乳鉢と棒で細かく丹念に砕いておく。その時に注意する事は、出来るだけ静電気を発生させないように金属製品を避ける。それと水気は湿気るから厳禁」
最初は自分で材料を砕いていたニコラだったが、途中から面倒になって実際にやってみろと言って学者達に丸投げした。当然と言えば当然だが、様々な薬品を扱っているだけあって学者の方がニコラより作業の手際が良い。おかげで最初の五分程度作業しただけで、後は監督しながら暇そうにしているセレンと駄弁っていた。
一時間後にはすっかり粉状になった材料。一応確認するが、どれも丹念に砕かれており均一な大きさになっていた。これを今度は混ぜ合わせなければならない。
「ここで一番重要なのは、この三種類の材料の比率だ。俺も詳しくは分からないが、完成品を100とした場合、硝石の比率を70~80、硫黄を10前後、残りを木炭にするのが最も兵器として適していると記憶している」
慎重に秤で重量を確かめてから、三種類の粉を再び乳鉢の中で混ぜ合わせる。
職業柄、火薬に慣れ親しんだ身とはいえ、流石に古すぎて造った事も無ければ扱った事もない物の詳細な配合までは分からない。後は研究者に何とかして探し当ててもらうしかない。
これも最初だけニコラが混ぜて、後は学者に丸投げした。
こちらも一時間以上かけて慎重にムラの無いように混ぜ合わせると、おそらくこの大陸で最初の火薬が誕生した。これをニコラは幾つかに分けて、一つは要らない小さな壺に無数の小石などと共に入れて、紙を一枚壺から出るように差し込んだ。
完成した手榴弾を実際に使って確かめたかったので、研究所の隅にある一際頑丈に造った石壁のある小部屋に、人形やら生きたままの小鳥を籠ごと押し込んだ。ここは危険な実験を行う時に使う小部屋らしい。小鳥も薬品研究の時に有毒なガスが発生したのを知るためにここで飼っているそうだ。可哀想だが今回は犠牲になって貰うほかない。
全ての準備が整った所でニコラが紙に火を付けて、すぐさま扉を閉めて退避した。
十数秒後、この世界の住民にとって落雷かデウスマキナ同士の戦いに匹敵する爆音とともに研究所全体を僅かに揺らした。
「わっ、ひゃあー!!」
学者達の半数が驚き慌てふためく。もう半数も突然の爆音に身構え、セレンは隣にいたニコラの腕にその絶壁を押し付けて恐怖を誤魔化そうとした。隙間からは独特の臭いのする硝煙が漏れ出し、続いて焼け焦げた木や肉の臭いが漂った。中の小鳥は全て命を落とした事だろう。
学者達は恐る恐る小部屋に入って全てを持ち出した。死んだ小鳥や壊れた人形、火薬を入れておいた壺の破片に小石もだ。それらを注意深く観察し、ニコラになぜこのような現象が起こりうるのかを尋ねた。
「火薬の急速な燃焼によって固体が気体に昇華する際に体積が膨張して衝撃波が発生し、物体を破壊したり飛ばしたりする。銃はこの火薬を燃焼させることで金属弾体を超高速で射出する兵器だ。他にも鉱山採掘に使ったり、硬い岩盤を壊すような工事にも使える」
「面白い現象だ。お前住んでいた世界ではこのような兵器が溢れているか。だがこれでデウスマキナの破壊は無理だな」
「そうね。ここの小部屋の壁も崩せない様じゃデウスマキナに代わる兵器にはならない。でも、これだけじゃないんでしょ?クラウディウス家の騎体を破壊した銃はこんなものじゃない」
「おっしゃる通り。この黒色火薬は最も初期に生まれた火薬の元祖。俺が使った兵器はここから数千年掛けて改良を重ねている。それに断っておくけど、この火薬だって形状を工夫すればもっと破壊力は増すぞ」
そう言ってニコラは分けておいた火薬の一部に水を少量入れてかき混ぜた。
つい先ほど水は厳禁と言っておきながら水を直接入れる暴挙に学者たちは色めき立つが構わず作業を続ける。すると水を含んだ火薬はダマになって団子のようになった。
さらにこれを学者に用意してもらった極めて目の細かいザルに押し付けて無数の小さな粒を作った。
「黒色火薬は完全な粉状より、こうした米粒…は無いか、小麦ぐらいの小さな粒に成形したほうが破壊力が増す。勿論この後は乾燥させて完全に水を抜かないと駄目だが。それと水を混ぜる事で皮膜が出来て粉より湿気に強くなる副作用があるらしい」
「よく分かった。あとはこちらで色々と調べて試してみるとしよう。他にも色々と聞きたいが、今日はもうやめておこう。連れのお嬢ちゃんが退屈そうにしているからな」
セージから意外な言葉が聞けた。初見から傲然としていて他人を気遣うような真似は出来ないと思っていたが、どうやら少しばかり考えを改めなければならない。それに彼はニコラとセレンをコークスと共に隣の応接室に招いて飲み物と焼き菓子を出してくれた。飲み物の果汁は硝石を使っていたのかよく冷えていた。セレンはそれを喜んでモシャモシャ食べている。
「それで、対価は何がいい?金で良いならすぐに用立てるが」
「取り敢えず貸しで良いさ。まだまだ教える事は沢山あるし、今の所金には困っていない」
「欲が無い人ね。あの火薬、使いようによっては物凄い富を生むのに」
「信用を得るためのお試し品と思ってくれ。それに俺一人知っていても一見習い騎士だと出来る事に限りがあるからな。ある程度地位のある者が動いてくれた方が後々役に立つ」
ニコラも技術は囲い込んだ方が利益が得られると思っているが、現実問題として人手が少ない、流通経路の確保、それに信用問題もあるので持ち続けて腐らせるよりは価値がある内に交渉カードとして切ってしまった方が後々の為になると考えた。その上で一旦貸しにしておいて、ある程度需要と供給が生まれてからパテント料を請求するのも考慮している。
そこまでは口にしないが、ニコラの腹の内などセージもコークスもある程度見抜いているのかもしれない。そしてセレンは難しい話は関係ないとばかりに置いてある焼き菓子を全て食べ終わり、自分で水差しから果汁を杯に注いでガブガブ飲んでいた。実に欲望に忠実である。
それからニコラは次に教えるのはエルフの森から帰って来てからと告げ、さらに必要な材料などの用意を頼み、今日の所はこれでお終いにした。




