第二十三話 死線の先にあるもの
迂闊、迂闊、迂闊。宿営地から鳴り響く敵襲の警鐘。敵の数を知らせる旗の数。そして味方の聞くに堪えない無数の悲鳴。それらは全て自分を責め立てる要因。シャーロットは内心、自らの無能と軽率を罵った。
敵は全デウスマキナを橋の奪取に費やしていると勝手に思い込み、こちらもまたほぼ全ての騎体を防衛に回した。今陣に向かえるのは総大将として遅れて参上するために、すぐ近くにいた自分と近習を合わせた三騎だけだ。
宿営地に被害が出るのはさして構わない。建物や物資は所詮物であり幾らでも替えが効く。兵士の人的被害は多少困るが、替えが利かない騎士とデウスマキナに比べれば誤差の範囲だ。ただし、本陣を攻撃されたと言う事実は迎撃に出ている騎士の士気へ少なからず影響を与えるのは拙い。如何に騎士とて背中を気にして戦えるほど万能ではないのだ。
悔しい。だが、それ以上に喜びが全身を駆け巡る。自分の事ながら度し難い性癖だと思うが、今この瞬間間違いなく自分は満たされている。直接見たわけでも相対したわけでもないが確信があった。あの陣の中には自分を満足させてくれる相手がきっといる。自分はこの日の為に世界に産み落とされたのだ。
「姫様、如何いたしましょう!?」
「このままここで迎撃するか、それとも放棄して橋の本隊と合流しますか?」
「――――三騎とはいえ勢いを駆って後ろから強襲されたら総崩れだ。我々だけで迎撃する!ジーン、シモン、やるぞ!」
配下の答えを聞かず、火照る身体を持て余したシャーロットは純白の愛騎『ティアー』を駆って元来た道を全速で戻った。残された二騎の赤紫色のデウスマキナは一瞬遅れて主人の後を追った。
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ガルナの本陣に侵入したニコラ達は、取りあえず目に付いた建物を壊し始める。夜明け直後だったので、あちらこちらに篝火や松明が燃えており、そこから火が着いて壊れた建物や天幕は次々燃え上がった。
この世界の戦いは今回のようにデウスマキナが出払った本陣を落としたところで終わらない。あくまで軍事力の象徴であるデウスマキナを無力化するか、総大将を倒して停戦するかだ。ただ、士気が落ちるのは確実なので、こうして陥落の狼煙代わりに建物を燃やしている。
「こんな所でいいでしょう。後はここに騎士が戻ってこなければそのまま橋を護っている騎士を後ろから強襲、戻ってきたら数によって引くか蹴散らすか選べばいい」
「殿下、くれぐれもご無理はなさらぬよう、このエルベ=デュプレにお約束してくださいませ。既に戦果は挙げておられるのですから、欲張ってはなりませんぞ」
デュプレ伯爵の釘差しを煩わしいと思いつつも、リシャールは彼の言葉をそのまま受け入れた。伯爵の言う通り、数で押されたらリシャールでも生き残るのは難しいと言わざるを得ない。一対一なら確実に勝てる、一対二でも大抵勝てる、一対三は防御に徹して引き分けに持ち込める。だが一対四まで差が開けば幾ら己が強いといっても無理だ。
伯爵も留守の陣を焼いただけでは満足していない。出来ればあの不愉快な姫騎士を倒すなり捕らえたかったが、どんな犠牲と損害を出してでもとは思っていない。せめてデウスマキナの一騎でも討ち取っておきたい欲はあるが、得てして引き際を誤ると碌な事にならない物だ。
「―――二人とも、家主が戻って来た。警戒を」
ニコラの簡潔な警告に、二人は瞬時に構えた。
十秒後、生身なら余裕で鼓膜を破壊しそうな轟音を響かせて、純白痩身の騎体を先頭に三騎のデウスマキナがニコラ達の前に躍り出た。
「主の居ない間に随分と好き勝手暴れてくれたな慮外者。その無礼、命を以って償ってもらうぞ」
透き通った若い女の声だ。先頭の白い騎体から戦場に不釣り合いな一流の演奏家が奏でる旋律のような美声が紡がれた。あれが噂の姫騎士とやらか。
「無礼で結構。僕達は戦をしているんだ。それで、貴方達は招かれざる客に対してどういう歓迎をしてくれるのかな?」
「無論、騎士として剣でお相手しよう。実を言えば私はダンスより剣の方が得意なんだ」
「話が合うね。僕も剣の方が好きだよ」
リシャールと姫騎士はまるで長年の友人のように気安い。大将同士話が合うのだろう。そして当然のように二人は一騎打ちを所望した。
姫騎士の二人の従者、それにニコラは一騎打ちの提案にさして動揺は無い。三人は大将の強さを十二分に理解しており、負けると思っていないのだ。唯一、動揺して止めるべきか迷いを見せたのがデュプレ伯爵だった。彼だけはリシャールの強さを深く理解していないのだ。しかし、騎士の一騎打ちは神聖なもの。どの国でもそれを妨げるのは余程大きな理由が無ければかなわない。不安を隠し切れないが、ここはリシャールを信じるしかなかった。
ニコラとデュプレ、そしてガルナの騎士達は大将同士の一騎打ちの邪魔をしないように宿営地の外れへと移動した。
比較的広い場所まで移動した四騎は示し合わせたように武器を構える。元より騎士同士が戦場で相対したなら、やるべき事はただ一つしかない。敵を倒し、勝利を手にする。ただそれだけだ。
「騎士コガ。私は白の鶏冠と戦う。貴殿は青の鶏冠と戦いたまえ」
「分かりました。伯爵もご武運を」
飾り気のないごく短い言葉。だが騎士にとっては万の絶世の美女に囲まれて囁かれる愛の言葉より、遥かに頼もしく価値ある言葉だ。
デュプレと離れたニコラは全身は赤紫、頭部の鶏冠を青に塗った騎体と向き合った。相手は剣と長方形の大楯を手にしている。
「シャーロット姫の近習を務めるシモンだ。名を聞こう」
「ニコラ=古河だ。帝国近衛騎士団で見習い騎士をしている」
「見習いでも名は忘れない。果てる時、私の名も忘れるな」
例え敗れて果てても相手の名さえ胸に留めれば満足する。それが武で糧を得る騎士だ。故に後は剣で語るのみ。
ニコラは刃渡り7mのトゥーハンドソードを肩に担ぐように上段に構え、対してシモンは盾に全身を隠しつつ5m程度の片手剣を腰だめに構えて切っ先をニコラへと向ける。
対峙する両者は構えたままジリジリと間合いを詰める。そして一定の距離まで近づいた所でシモンは足を止める。これ以上先に進めばニコラの間合いだ。迂闊に間合いを詰めた瞬間、シモンの騎体は致命傷を負う。それが分かっているからニコラはさらに間合いを詰め、逆にシモンは後ろに下がって間合いを離して拮抗を作り出す。
その拮抗を先に崩したのはニコラだ。後ろに下がるシモンの数倍の歩幅で一気に距離を詰めて袈裟斬りを放つ。だが、その手は読まれていた。シモンは一歩下がったと見せかけて、足に力を溜めて前に出た。
間合いを詰め過ぎて威力の半減したニコラの剣を大楯で受け止め、片手剣をヘリウスの腹部へと突き込んだ。が、ニコラが一瞬速く動き、必死に身をよじって突きを避けた。おかげで装甲一枚斬られただけで済んだ。そこからさらに身をよじった勢いを殺す事無くその場で回転して剣を力任せに横に薙ぐが、シモンは再び楯で受け止めつつ剣を空中で逆手に持ち直してヘリウスの喉元へと突き放つ。
迫り来る必殺の一撃にニコラは恐怖で冷汗が止まらなかった。しかしそのまま剣を受け入れるほどニコラは素直でも潔い性格はしていない。両腕にありったけの力を込めて止められた剣で青い鶏冠の騎体を乱暴に吹き飛ばした。
流石は姫騎士の護衛。技量だけで高位騎体と高適性の優位を簡単に埋めてしまう。
(怖い、怖い、汗が気持ち悪い、喉がひりつく、吐きそうだ)
生まれて初めての対等な条件下での戦いは酷くニコラの精神を痛めつける。武術大会や訓練のような死ぬ事の無い遊戯とは違う。不意打ちで片腕を斬り落として最初から優位を取った初陣とも違う。
足元からせり上がる不安、背後から圧し掛かる重圧。それこそが自分にとって耐え難い恐怖となって襲い掛かる。
もう逃げたい、辞めたい、日常に戻ってセレンと穏やかに過ごしたい。心の叫びそのままに動きたかったが、かろうじて踏みとどまって剣を構え直す。
だが動揺を隠しきれなかったニコラの心情を正確に読んだシモンが肉薄する。ニコラの持つトゥーハンドソードは範囲の広さと攻撃力に秀でるが取り回しに難があり、一度懐に入られると長さが邪魔をして動きが損なわれてしまう。そのため対応が遅れて後手に回り、怒涛の攻撃を防ぐだけで手一杯になった。
防戦一方のニコラはどうにかして戦況を変えたかったが相手は自分より手練れ。正攻法ではどうにもならない。何か相手の虚を突くような奇策がいる。
(くそっ、剣を選んだのは失敗だったか?いや、今更遅い。剣を捨てて腰のハンマーに持ち替える…隙が大きすぎて無理だ。なら、投げて時間を稼ぐ……駄目だ。ノンノさんの時も大して効果が無かった)
相手の剣を防ぎつつ、どうにか打開策を見出そうとするも、戦いながら考える余裕が無い。焦りが心を締め上げ嘔吐を促す。呼吸も荒くなり、あと数分も持たないほどに心身を追い詰める。
藁にも縋るような想いで視線だけを動かして何か状況を優位に動かせる材料を探すと、ふとシモンの後ろで戦うもう一組の騎士の姿を捉えた。デュプレ伯爵ともう一人のガルナ騎士が操る二騎のデウスマキナだ。向こうはこちらに気を配る余裕が無い程に熾烈な戦いを繰り広げている。
その時ニコラに希望が湧いた。別世界へと迷い込んでから数か月。長らく遠ざかっていた自分の趣味の中に、この窮地を打開する起死回生の手があったのだ。
瞬間、ニコラは跳び上がる。それも後ろに飛び退くような形でだ。これにはシモンも対応が追い付かない。こんな動きは騎士の戦いでは普通やらない。
さらにそこからニコラは手の中にある剣を全力で投擲した。投げた先には白い鶏冠のデウスマキナがいた。
すさまじい速度で飛翔する剣は無防備な背中に深々と突き刺さり、白い鶏冠の騎体はその勢いで倒れ込む。その隙をデュプレが逃すはずがなく、剣を振りかぶり、だらりと下がる頭へと渾身の一撃を叩き込んだ。
「馬鹿なっ!!ジーン!!」
あまりの展開にシモンは反射的に後ろを振り向いてしまった。ニコラは決定的な隙を逃すものかと着地した瞬間、両足の力を前方に向けて一気に開放。二騎はぶつかり合った。
地を転げた末にマウントポジションを取ったヘリウスは左拳を叩き込む。拳は人体でいう眼球に位置する視覚装置を叩き壊した。代償に左手の指が何本か壊れたが、まだ右手が残っているので問題無い。
シモンも応戦しようとするも、両膝で両腕をがっちり固められてはどうにもならない。
さらにニコラは右手で腰に差したウォーハンマーを引き抜き、頭部へ渾身の力を以って叩き付けた。これには幾ら強固なアダマンチウムでもどうにもならず、中枢制御系を完全に破壊された騎体は沈黙した。
「―――――はは、はははは。フェイダウンシュート、練習しておいて良かった」
フェイダウンシュート。バスケットボールの後方に飛びながらのジャンプシュートの事。ディフェンスの選手から遠ざかりながら放つため、守るのが難しい反面、成功率が低い難易度の高いシュートだ。ニコラはこのシュートの要領で剣を投げて、ジーンの騎体に致命傷を負わせ、シモンの隙を作り、形勢を逆転させた。まさに奇策である。
勝つには勝ったが、薄氷の上の勝利に精神は限界寸前。失禁や嘔吐はしなかったが、膝の震えが止まらなかった。
どうにか落ち着いて立ち上がると、細身の緑の騎体が剣を持って近づく。軽量騎に改装したデュプレのアルセイスだ。
「大丈夫かね?」
「ええ、何とか勝てました」
差し出された両手剣を受け取り、どうにか返事をする。デュプレはそれ以上何も言わない。一対一の騎士の戦いに横やりを入れたのは褒められた行為ではないが、相手はまだ見習いでしかない。作法がどうだと説教するのはまだ先でいい。それにこれは決闘ではなく戦争だ。流れ矢の一本や二本、飛んでくるのも珍しい事では無かった。
それ以上に勝つ為に死力を尽す姿勢が好ましい。死線を越えた彼はもっと強くなる。それには生き残る事こそ肝要。
「ここはもういい。我々もリシャール殿下の元へ急ごう」
自分達の戦いは終わっても、まだ戦が終わったわけでは無い。総大将の行く末こそ戦いの終着点。それを見届けるのが騎士の務めだった。




