第二十話 ミストスタイル
夕刻。野戦工廠から引き揚げた二人は簡易食堂で夕食を摂っていた。今日のメニューは具沢山のシチューと豚肉のグリル、それと大きめのパンだった。デザートにはドライフルーツが付いている。
ここは戦地だが近隣の領地から食糧を調達しているので騎士達はそれなりに良い物を食べられる。以前エルフの森から帝都まで旅をした時のように石のようなカチカチのパンや塩の味しかしない塩漬け肉だけの食事とは違う。
飲料は主に酒類、大抵はワインか蒸留酒になる。ニコラの向かいに座るノンノは酒にはかなり弱い方なので、水で薄めたワインでちびちび喉を潤していた。
「本当は果汁を絞った物のほうがありがたいんですけど、戦地でそれは贅沢ですからね。こういう時、お酒の強い人が羨ましくなりますよ」
目の前で遠慮なくガブガブ酒を飲めるニコラを羨ましそうに見ている。こればっかりは生まれついての体質なので、ご愁傷さまとしか言えない。
酒はともかく二人は食事を摂りながらも、何か敵に悟られずに済むような有効な手立ては無いか話し込む。
「狩人は獲物に悟られないようにギリギリまで近づく技能に長けていると聞きますし、軍でも偵察兵は目立たないように動きますが、私達騎士は目立って戦うのが仕事みたいなものですよ。そもそも迷彩という概念は騎士には無縁です」
「だよなー。けど、生きるか死ぬかの戦場で不必要に目立つのは褒められた事じゃないだろうに。まあ、味方の士気を上げるには役立つだろうけど」
この場合ノンノの方が正しい。
軍の兵士は集団戦を専門とするが騎士は違う。デウスマキナを操る騎士は突き詰めれば個人戦闘技能者であり、騎士団を軍集団と同列に見るのは誤りだ。無論、戦闘となれば隊列を維持するのは当然であり、一騎だけ突出してしまえば容易く袋叩きに合うが、単騎で敵複数を相手取るような凄腕も珍しくない。正しく一騎当千と呼べるような英雄やウルトラエースも過去に何人も居たと聞く。
兵士は出来る限り訓練によって均一化した質と動きを身に着けるが、騎士は個人芸を重視する傾向がある。これは地球の歴史において近代戦が始まる前、まだ銃器が普及する前の時代にまかり通っていた時代の常識とよく似ている。
東西の洋を問わず、派手な鎧兜あるいは煌びやかな軍服を身に着けた騎士や将校が先頭に立って兵を鼓舞し、命を惜しまず敵陣に突撃した、おとぎ話のようなロマンに満ちた戦いがこの星では現役だった。
そして話し込む二人に興味を持った他の若い騎士達が周囲に集まり、食堂はちょっとした議論の場、というより新入りのニコラの故郷ではどういう戦いをしているのか皆が気になり聞きたがった。
「俺の国だと戦で兵士が目立つのは五百年ぐらい前から廃れたよ。特に遠距離武器が発達してて、殺傷力も高いから目立つ指揮官は率先して狩られるせいで、服も装備も一兵士と全く同じにしていたな。その服も防御力より背景に溶け込めるように工夫を施して被弾率を下げていた」
「なんだそれ、まるで葉っぱや枝に似せて身を隠す虫じゃないか。そんなんで戦いになるのかよ?」
「デウスマキナの手に無数の小石を持たせて力いっぱい投げつけられるのを想像してみてくれ。恐れずに生身で目の前に立てるか?」
ニコラを笑う騎士もその例えには閉口して顔を引きつらせる。他の騎士も似たりよったりのリアクションをしている。銃火器の恐ろしさを少しは分かってくれたらしい。
「後は突撃時に煙幕を焚いて敵兵の目を誤魔化す装備もあったな。とにかく一発でも喰らったら死ぬか、四肢が千切れるから防御より回避重視の戦術に発達したんだよ」
「けど、そんな武器が当たり前のようにある戦場でどうやって戦うんだよ?」
「穴とか堀を掘って身を隠しながら大軍同士で我慢比べしたり、少数の兵を迂回させて後ろを取らせて攻撃させたり、敵の行軍進路を読んで待ち伏せ攻撃したり、やれる事は多い。どれだけ兵器が進歩しても、お互い読み合い騙し合いの応酬だよ。人間同士の戦はやる事考える事は何千年経っても変わらない」
ニコラの言葉は何気ないものだが、騎士達にとっては容易に信じられない。
そもそもこの新入りは農民の元兵士だ。つまり基本無学な非知識階級の出身であり、学問を学べる機会がある生まれでも育ちでもない。にも拘わらず、戦術や歴史に深い造詣を含ませた言葉を口にしている。ここにいる騎士達の多くは家が代々騎士か貴族出身であり、日頃から学に慣れ親しんだ者ばかり。だからこそニコラの言葉の端々に教育を受けた者特有の知性を強く感じた。
この新入りだけが特別なのか、それとも出身国の兵士全てがニコラと同等なのかは分からないが、どちらにせよ生身の高い戦闘力にデウスマキナへの適合性も相まって、相当手強く頼もしい同僚が出来た事が喜ばしい。同時に今後は手柄や評価を競わねばならない競争相手と思うと妬心が疼いて仕方が無い。
さらに彼等の心を掻き乱す存在が食堂に入って来た彼女だ。
「みなさーん、シチューのお替り持ってきたよー。あと、氷が欲しい人は遠慮なくあたしに言ってね」
シチューの入った大鍋を両手で抱えたセレンに若い騎士達は釘付けだ。戦場には女っ気が少なく、ノンノを除けば宿営地に居るのは近くの街から出稼ぎに来た娼婦ぐらいだったが、彼女達はお世辞にも容姿端麗とは言えない。それに比べてセレンは幼く肉付きが悪いが、極めて整った美貌を持っている。そんな彼女と懇ろのニコラに嫉妬するのは男の性だった。
騎士達はニコラとノンノをそっちのけで、セレンにシチューのお替りを貰いに行く。中には腹が減っていなくても、間近で目の保養をしたくて無理にでもお替りを頼む騎士もいた。
全員にシチューが行き渡ると今度はセレンが水の精霊に頼んで氷塊を作った。これも騎士達にとってはこの上ない楽しみだった。彼等も冬以外に氷を口にする事はあっても、こんな戦場では初めての経験だ。皆、我先に氷塊に群がり、氷を削っては酒の入った杯に放り込むなり、下戸でもそのまま削ってかき氷として貪るように食べている。
ノンノも滅多に口に出来ない氷を薄めたワインに入れてご満悦。
そしてニコラには何も言わずに砕いた氷を大量に入れた蒸留酒の杯が差し出された。スピリットのミストスタイルである。
「これが好きなんだよね」
「ああ、ありがとう」
礼を言ってから杯に口を付ける。大量の氷で冷やされた高アルコールが喉を焼く。杯は木製なので水滴が着かないのは不満だった。
「この戦いが終わったらガラスの杯を買おうか」
「あ、じゃああたしの分も欲しい。お揃いのを二つ、いいでしょ?」
「そうだな、帰ったら一緒に買いに行こうか」
このように衆人観衆の中で遠慮なしにイチャイチャしているのだから妬まれるのも当然である。
二口目をゆっくりと嚥下しながら、ふと視線が杯の氷に注がれる。
セレンは急に動きを止めたニコラを不思議がった。そして彼はゆっくりと杯をテーブルに戻し、セレンへと向き直る。
「セレン、精霊に頼んで氷や水を出す事は出来るけど、霧を作って身を隠す事は出来るか?」
「えっ、霧?うーん、やった事無いけど、多分できると思う。水の精霊よ、同朋たる我が願う。ただひと時、我を覆い隠す霧の帳を与えたまえ」
水の精霊はセレンの言葉に応えて、彼女の周囲に霧を生み出した。屋内に突如として幻想的な光景が生まれ、騎士達は度肝を抜かれる。中には酒の肴になっていいと捲し立てる騎士も居るのは御愛嬌だろう。
霧は見る見るうちにセレンを覆い隠し、最後には薄っすらとした影しか見えなくなってしまった。
ニコラは確信した。これならいける。霧なら土煙や煙幕より敵の警戒を生まない。この戦の鍵はセレンだ。
満足したので霧を止めてもらい、晴れるのを待つ。再び姿を現したセレンが感想を尋ねたので、ニコラは笑顔で答えた。
「セレンはこの世で最高の女の子だよ。お前が一緒に居てくれて良かった」
「ふへっ!?ちょ、いきなり恥ずかしい事言わないでよ!そういうのは二人の時にして!」
顔を赤らめて恥ずかしがるが、まんざらでもない様子のセレン。ニコラには憎しみの籠った視線が注がれるが、当人達は全く気にしなかった。
難事の解決への道筋が見えてきたニコラは上機嫌で氷入りの蒸留酒を呷った。




