第十八話 最前線の温度差
挨拶を終えたニコラ達は一旦解散した。総指揮官となったリシャールはこれから戦況の把握に忙しく、ノンノは今回派遣された騎士達へ挨拶に行ってくると言った切りだ。残るニコラは見習い騎士として雑用を宛がわれた。
現在は愛騎デウスマキナ『ヘリウス』を使い、運搬車両からリシャールとノンノの騎体を野戦工廠へと運び込む作業に追われていた。
工廠といっても実際は丸太の外壁に雨除けの天井板を張っただけの簡素なものだ。ただ、それでも最前線で雨に濡れずに作業が出来るだけマシだろう。
中は十を超える騎体が横たわり、周囲には武器や損傷した装甲板が無造作に打ち捨てられている。人型兵器故に、ニコラには負傷兵を看護する野戦病院の方がしっくりくるように思えた。
トリオーンとミーノスを運び込み、自騎のヘリウスを技師に預け、ついでに味方の稼働率や修理の状況をそれとなく訊ねた。
「毎日戦うわけではありませんし、余裕はほどほどにありますよ。といってもここで俺達が出来る事と言えば、装甲板の交換やクリスタルの補充、それと簡単な騎体調整ぐらいです。大きく損傷した場合は伯爵様の領地に送って直してもらわないといけませんが」
余裕があるのは良い事である。攻勢は華やかではあるが負担も大きい。特に相手に地の利がある以上は無理攻めはいたずらに損失を増やす事になりかねない。出来ればこのままにらみ合いを続けてガルナが歩み寄ってくれればいいのだが、世の中そこまで上手く行かない事ぐらいニコラにも容易く想像出来た。
技師達にそれなりに余裕があり、邪魔にならない程度に見学させてもらっていたニコラだったが、そこに技師達とは別に声を掛けてくる者が現れた。
背の低い茶色の毛並みの兎人だ。貴族の装束を纏っている事と陣幕内でエルベ=デュプレのすぐそばに侍っていたのを思い出し、ニコラは敬礼する。
「そう畏まらずともよい。私はデュプレ伯爵の与子をしているギー=ロマン。帝国から男爵の地位を賜っている。よければ君の名を聞かせてくれまいか」
「ニコラ=古河です。見習い騎士を務めています」
言葉短めに自己紹介を交わす。相手はニコラを値踏みするかのように遠慮無しに観察し、何か得る物があったのか、にこやかに話しかける。
「見習いとは言うが、既にデウスマキナを預けられている。つまり君は将来を約束された有望な騎士というわけだ。それに今年の帝都の武術大会で優勝したと噂で聞いている。今後、是非とも頼りにさせてもらおうか」
「はっ。男爵殿のご期待に沿えるよう奮闘する所存です」
軽い雑談の中に所々見え隠れするギーの思惑に、ニコラは内心辟易していた。この兎人の貴族は明らかに自分を利用出来るか否かを探っている。
ニコラも既に成人を迎えて数年経ち、世の中の人間は基本的に利己的だと知っているが、ここまであからさまに他人を利用する気満々の相手には早々お目に掛かった事が無い。空々しいまでに意味の無い会話を交わしながら、さっさと本題を切り出してもらいたかった。
「おっと、ついついこんな場所で話し込んでしまった。気分直しに良ければ私の陣でゆっくり酒でも呑まないかね?この辺りは良いワインの産地だ。飲んでおいて損は無い」
「――――男爵殿のお酌とあらば断れませんね。ご同伴に与ります」
不愉快な相手と飲んだところで折角の酒が不味くなるが、一時でも戦友となる相手を無下にすると戦の時が恐いので、ここは素直に従っておくことにした。
ギーに連れてこられた陣幕には先客が数名居た。どれも見覚えのある顔であり、全員先程顔合わせをしたばかりの騎士三名と貴族が二名。陣内には厄介事の臭いが漂っている。
「おう、よく来たな見習い。まあ、挨拶がわりに一杯やれや」
彼等の中でニコラより年上だが比較的若い騎士の一人が陶器の瓶を投げ寄越す。瓶に貼られたラベルを見ると、製造年とブドウの柄が描かれていた。中身はワインだった。
他の面子も瓶を手に持っており、一人は瓶に口を付ける仕草をする。ニコラにも飲めと催促しているのだろう。
断る理由も無く、酒に罪は無いので木の栓を引き抜き、直接口を付けて豪快に飲む。グビグビと一気に飲み干すと、周囲から喝采が生まれる。
「ほ、いい飲みっぷりじゃないか。気に入ったぞ。戦士たるもの酒と戦は豪快な方が良い。こんなお見合いをするために俺達は騎士になったわけじゃないよな!」
「そうだそうだ」
「我慢比べなんてガラじゃねーよ!」
口々に不満をぶちまける騎士達。それに無言ながら同調する意思を見せる貴族とギー。明らかに先程の陣幕と空気が違う。さらに彼等は指揮官のエルベを臆病者と罵倒する。おまけにニコラにも同意を求め、頼んでも居ないのに騎士の何たるかをベラベラとあげつらうので煩い事この上ない。内心白け切っているが、この手の相手に正論など説いた所で聞きはすまい。寧ろ生意気と言って余計な怒りを持たれて怨まれるだけだ。だから外見だけは神妙に取り繕い、深く頷くだけに留まった。
満足するまで不満を吐き出した騎士達をよそに、ギーの方がようやく本題を切り出した。
「彼等のように現状の方針に不満を持っている者も陣内には多い。我々もその一人だ。伯爵は持久戦が最も被害の少ない戦略だと思っているが、私から言わせれば大間違いだよ。
彼は大領ゆえに我々のような小領の与子貴族の負担を理解していない。何か月もここに張り付いたままでは我々の仕事が滞る。出来る限り早期に決着を付けて領地に帰らねば統治に支障をきたすというのに」
ここまで聞けば彼等の繋がりがニコラにも見えてくる。騎士と地元貴族という違いはあっても、彼等にとって長期戦の方針はご遠慮願いたいのだろう。
同時にそんな長期戦反対派が自分に接触してくるのはどういった意図があるのか読み取れない。単純に一人でも多く仲間に引き入れるつもりで手柄の欲しそうな見習いに声を掛けただけならさほど面倒はない。あくまで見習いでしかない騎士に大きな事は出来ないと謙虚に振る舞えばそれで事足りる。
「そこで君にはリシャール様を口説き落としてもらいたい。実質的な指揮官は伯爵だが、名目上の指揮官はあの皇弟殿下だ。彼が攻勢に打って出ると言えば反対は出来ない。我々と君自身の栄達の為に手を貸してくれまいか」
「俺はただの見習い騎士ですよ。何より俺は他国人でこの国にはまだ二月も居ない。正直、リシャール殿下を口説き落とせる程に信用されているとは思えませんが」
「謙遜するなよ。お前が武術大会の決勝であの殿下に勝った事はみんな知ってる。おかげで殿下から一目置かれている凄い奴だって騎士団でも評判だ。俺達じゃ無理だが、お前なら物申す事ぐらい訳ないだろ。今後を考えて先輩騎士のお願いは聞いておくべきだぞ」
先輩騎士からの脅しとも取れる助言にうんざりする。この手の階級や所属年数を傘に着て私事を強制する奴はどこにでもいるが、決して人望や尊敬など集めない事を理解していない。しかし、ここで突っぱねると今後嫌がらせが激増する事は目に見えている。どうにか上手く躱しておきたいが、この分では無理そうだ。
何か良い手は無いかと思ったが、都合よくホイホイ冴えた手は思い浮かばない。
「分かりました。俺からリシャール殿下にそれとなく話してみますが、過度な期待は持たないでください。彼は幼くても私情で権力を振りかざす気性ではない。何かしら攻勢に利と理を見出さなければ、誰であれ進言は退けるでしょう」
「分かった。手段は君に一任する。期限も決めない。好きにやりたまえ。だが、相応に結果は出してもらわねば困る」
ギーの身勝手な言葉にニコラの機嫌は急降下した。何の権限も無い奴が顎で使おうなどと思い上がりにもほどがある。そんなに戦いたいなら自分で伯爵を動かして戦えばいいし、リシャールに直談判すればいい。それすら出来ない奴が偉そうに人を使うなど無能を通り越して害悪でしかない。
おおかた騎士達もリシャールに負けるのが怖くて逃げ回っていたのだろう。そこに彼を倒した自分が居たから、見習いと上級騎士の立場を利用して良い様に扱き使うつもりに違いない。腰抜けが偉そうにも程がある。
しかしここで激昂したところで得る物など何もない。ならば冷静になり、何かしら得る物を模索するべきだ。
「では結果を出した場合、俺が困った時はみなさんが手を差し伸べると約束してください」
「任せな。かわいい後輩を助けるのは先輩の甲斐性だ。だから、くれぐれも頼んだぞ」
どの口がほざきやがる。だが、言質は取った。タダより高い物は無いと後で後悔させてやる。
フリーハンドも得て、こちらがやるべき事は状況を動かすだけ。別段敵将の首を獲るようにお膳立てをするわけでも、こいつらの引き立て役になる貧乏くじを引くわけでもない。難易度はそう高くはないだろう。
良い様に扱き使う奴等への怒りはあるが、見返りとこいつらへの嫌がらせをする楽しみを想像してやる気を保った。
気を良くした馬鹿どもは追加のワインをニコラへ振る舞い、茶番は夕刻まで続いた。酒は美味かったが、酌をする面子が最悪だったので折角の上酒が台無しだった。




